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日蓮大聖人・池田大作

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小鳥の知恵  

「随筆 人間革命」「私の履歴書」「つれずれ随想」(池田大作全集第22巻)

前後
2  ラバという鳥がいる。
 といっても、馬とロバの間の子のそれではなく、小鳥である。パーリ語辞典によれば、鶉のこと、と出ている。 そのラバがあるとき──と釈尊は弟子に語る──空中で鷹に捕らえられた。家で遊んでさえいれば、こんなことにはならなかったのに、と嘆く。鷹は、見くびって家のありかを聞いた。ラバはわが家が田のあぜの中にあり、そこはだれも手がつけられない、と言い放った。
 自分の力を過信した鷹はラバを家へ帰す。するとラバは、再びあぜの上に出てきて、闘志満々の構えである。小癪な! 怒り狂った鷹は、翼に力をいよいよこめて、一直線に襲いかかる。ところが、ラバはすばやく家の中へ隠れてしまう。力あまった鷹は、わが身を固い土に打ちつけ、その場で息絶えてしまうのである。
 ラバは歌う。「鷹は力で来る、わたしは自分の家で防ぐ。怒りに乗った鷹は、身を砕いて死んだ。わたしは勝手を知っている、わたしの家によって、敵をほろぼした。たとえ百千の竜も象も、わたしの知恵にはかなうまい。わたしの知恵で、鷹はほろびた」(仏教説話文学全集刊行会編『仏教説話文学全集 5』422㌻、隆文館)と。 ──「雑阿含経」に説かれている説話である。仏教のなかでは、小乗教という比較的低い部類に属する経典なのだが、なかなか鋭い教訓をはらんでいると思う。
3  日々の現実の生活と、それにもまして不況と戦っている、若きお母さん方の姿は、なにかこの知恵者・ラバのイメージを、彷彿とさせているような気がしてならない。自分を知る賢明さ――そこから幸福の芽が出る。ここに庶民の、人間としての、権力者よりも、学者よりも、財界人よりも偉大な力の光が輝いている。
 力において鷹に太刀打ちできないことを、ラバは十分知っている。だから、知恵で戦う。たしかに、かぎられた収入内での工面など、不況の大波にもまれる小舟のオールにも似た、ささやかな抵抗にみえるかもしれない。人間界の“鷹”は、少々ずる賢くできているため、あぜの上から“土の家”を突き崩したりする場合もあろう。しかし、彼女らは決してへこたれない。時流の荒波のなかにあって、ときに愚かな為政者に怒りの声を発しつつも、足元に知恵をめぐらしつづける。
 明日を見つめて、明るくしぶとく生き抜き、じっと時を待っている。彼女らこそ、あのラバのように、最後に勝利の歌を高らかに歌うであろうと、私は信じている。また、そうした時代を、なんとしても創り出していかなければならないと、強く念願もしている。
4  話は変わるが、アリストパネスの喜劇『女の平和』をご存じの人も多いだろう。当時はペロポネソス戦争の最中で、アテナイとスパルタの覇権争いは、いつはてるともなく、人びとの生活は困窮をきわめていた。そこで、意を決したリューシストラテーという一女性が、敵味方を問わず、女たちに呼びかけて、性的ストライキに訴える。音をあげた男たちが、ついに白旗を掲げ、両国間に平和が成立する──という、すこぶるユーモラスな発想と展開なのである。平和主義者・アリストパネスが、切なる願いをこめたものであった。
 奇想天外と言うなかれ。いま開かれている国連軍縮特別総会で、国連の名物男として知られるサウジアラビアの代表が「戦争を始めるかどうかは、母親の投票に問う」との提案をしている。会場は苦笑につぐ苦笑であったそうだが、私はさわやかに聞いた。国益と支配欲しか念頭にない、権力者流の駆け引きなどにくらべて、平和に資すること、よほど大であろう。

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