Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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二本の蘆束(あしたば)  

「随筆 人間革命」「私の履歴書」「つれずれ随想」(池田大作全集第22巻)

前後
1  これはある婦人から聞いた話である。 ──隣の家に幼稚園に通う男の子がいた。ある日、庭、といってもアパートの一室と通路との間の、猫の額ほどの土地にしゃがみこみ、スコップ片手にごそごそやっていた。しばらくすると立ち上がり、可愛らしい手を合わせて、こんどはむにゃむにゃ……。なにをしているのか尋ねると「ハムスターの“××太”が死んだんだ。だから、こんどは人間に生まれてくるようにって、お祈りしたんだよ」と。小さな“友人”の埋葬儀式であった。べつに母親に言われてやっていることではなかったという。
 私は思わず微笑んだ。そして、子ども心とはいえ、まことに大切なことではないかと思った。大人がペットの墓に何十万円もかけるような話には、どこか奇異な不自然さを感ずるが、この子どもの場合は、まことに自然な感情の発露であるからだ。清々しい生命感覚とも、私は感じとれたのである。
 このような仕草は、緑したたる自然への親近感、また自分の仲間への友情を、薫らせていくにちがいない。小さいころから、生命への畏敬の念が培われていけば、長じて物を傷つけたり、かんたんに自殺したり、殺生沙汰を引き起こすようなこともないであろう。最近は、その種の暗いニュースを耳にすることが多いだけに、なおさら私は、この小さな見聞に、心を打たれたのであった。
2  仏法に「縁起」という考え方がある。よく「縁起でもない」などという使われ方をされているが、もともとは「縁りて起こる」との意味である。すなわち、世の中には、事物であれ人間であれ、なに一つ無条件で独立して存在しているものはない。かならず、なんらかの条件に「縁りて」この世に生起しているのである。すべての自然間の連関もそうであるし、また自然と人間、社会と人間、親と子、夫と妻……、すべてが「縁起」なのである。
 この「縁起」の教義は、思想的にも非常に高度な内容を含んでおり、古代インドの民衆には、なかなか理解できなかったらしい。そこで、釈尊の門下で智慧第一といわれた舎利弗が、次のような譬喩で説明している。
 たとえば、二つの蘆束があるとしよう。それらの蘆束は、相依っているときには立っていることができる。つまり、これがあることによって、かれがあり、かれがあるから、これがあるのである。もし、二つの蘆束のうち一つを取り去れば、ほかの蘆束も倒れるであろう。同じく、これがなければ、かれもなく、かれがなければ、これもないのである──と。
 なかなか巧みな譬えである。自然と人間との共倒れをもたらす環境破壊などには、“頂門の一針”であろうが、私はそれ以上に、人間関係のうえでも、教えられるところが多いと思う。
3  夫婦の愛情のあり方や、嫁姑の間のいざこざなど、たしかに、人類の歴史とともに古く、いまなお新しい難題といってよい。しかし、当事者のうちだれか一人でもいい、「かれがあるから、これがある」──すなわち、相手があるから、いまの自分があるとの、確たる人生観に立てば、その人の周囲には、決して無用ないざこざは起きないものだ。相手の善し悪しによって自分が決まるのではない。夫や姑がどうあれ、それに「縁りて」現在の自分があるという事実。そこに着目すれば、いっさいをみずからの成長の因としていけるのではなかろうか。
 もとよりこれは、言うは易く、行うに困難な問題であることも、私は承知している。それだけに、いっさいが互いに相「縁りて」存在しているのだという、共生・共存の生命感覚が大事になってくると思うのである。
 大宇宙の小さな、青いオアシスに生まれ、縁あってかぎられた一生を、互いに共にする身である。そうであればあるほど、いがみ合ったり、犠牲を強いたりしていてよいはずはない。この深い慈しみの情こそ、不和を和合に変えていく、テコともなるのではなかろうか。
 ハムスターの“墓”に合掌する少年の姿に、私はそうした生命感覚の萌芽を、感じ取ったのである。
4  志賀直哉に『和解』という、半自叙伝風の佳品がある。
 父と子の確執と和解を描いた名作だが、そのなかに、子である主人公が、妻の出産を手伝う場面がある。夜明け前のことで、医者が間に合わず、妻の両肩を押さえ、泊まり込みの看護婦と悪戦苦闘、無事出産──。
 「赤子はすぐ大きい生声を上げた。自分は興奮した。自分は涙が出そうな気がした。自分は看護婦のいる前もかまわず妻の青白い額に接吻した。(中略)
 妻は深い呼吸をしながら、自分の目を見上げて力のない、しかし安らかな微笑を浮かべた。
 『よしよし』自分も涙ぐましい気持ちをしながらうなずいた。自分には何かに感謝したい気が起こった。自分は自分の心が明らかに感謝をささぐべき対象を要求している事を感じた」(岩波文庫) 一つの生命の誕生という厳粛な事実、その感動。夫と妻、親と子──。主人公は、ほどなく父との永年の不和にピリオドを打つ。父との和解は、それにもまして、みずからの心との清らかな和解であったであろう。

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