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日蓮大聖人・池田大作

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“病子”への愛情  

「随筆 人間革命」「私の履歴書」「つれずれ随想」(池田大作全集第22巻)

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2  桜花の季節は、入学・卒業のシーズンでもある。先日、こんな記事を読んだ(「毎日新聞」昭和五十三年四月十五日付『読者の広場』の投稿)。某大学入学式に馳せ参ずる親子の風景である。 ──途中で雨が降ってきた。ある父親は、着ていたレーンコートを、自分より背の高い息子にはおらせ、カメラを手に、愛息の側を濡れながら小走りに走っている。息子は平然と、父親のコートを着て……。ある母子。母は雨のなかを、大きな荷物を持ち、黒の羽織を着て、子どもに遅れまいと必死についていく。息子は、母親のものであろう、女物のカサを自分だけさして、大またに……。
 投稿者は、そこには「親子の愛情の美しさなどみじんも感じられなかった」と結んでいる。
 たしかにわが子は可愛い。私も三人の子どもの親である。晴れの入学式を迎える親の気持ちも、十分わかるつもりだ。しかし、そうであればあるほど、大きな愛情でつつんでやらなければならないと思う。子どもはこれから、学校という一つの“社会”のなかで、立派な大人になっていくための素養を身につけていくのである。そのさい、最も重要なことは、甘えや依存心から自立心へと向けていくことであろう。親の愛情は、側面からでも、その自立の心の涵養を、応援してあげるものでなくてはなるまい。
3  釈尊が亡くなる寸前に説いた経典に、「涅槃経」というのがある。
 釈尊が入滅するとき、最も心配でならなかったのは、阿闍世王のことであった。阿闍世王は、当時のマガダ国の王。父を殺し、母をも害そうとし、釈迦教団を弾圧しつづけた悪逆の人であった。その結果、身に悪瘡を現じて、瀕死の苦しみを味わう。釈尊は王の行く末を憂えて深く祈る。そして、不治と思われた王の病も、たちまちに癒えたという。
 そんなこととはつゆ知らぬ王が、怪訝に思っているのに対し、臣下で名医の評判の高かった耆婆が、次のように諭す。
 ――たとえば、一家に七人の子があり、そのうちの一人が病気したとする。父や母の子どもたちへの愛情は同じであるが、なかでも病気の子が一番心配になる。それと同じように、仏の慈悲というものは、すべての人びとに平等であるが、そのなかでも、最も罪深い者に、ひとえに注がれるものである。
 これを聞いた阿闍世王は、改悛の情厚く、のちに仏典結集のために大活躍している。
4  このエピソードには、仏法で説く慈悲の真髄が鮮やかに示されている。とともに私は、真実の親子の愛情のあり方にも、非常に示唆するところが多いと思っている。
 なぜ病子が一番気になるのか。彼が、自立し活躍していくうえで、最もハンディを背負っているからである。病は肉体的なものとはかぎらない。甘え、臆病、意志薄弱などの精神的欠陥の場合もあろう。ともかく、親の愛情というものは、健全な者より“病子”がどう立派に、独り立ちしていくかに注がれるにちがいない。
 こうした人間の心は、親子関係を超えて社会一般にも通ずることであろう。社会にも“病子”は多い。それをどう救うか──古来、宗教の存在意義はここにあったといってよい。
 私の恩師はよく語ってくれた。
 それは飢えた人に一片のパン、一袋の米を施すのもよいかもしれない。しかし、それだけでは、依存心を増すだけに終わりかねない。肝心なことは、それらの人びとがどう自立し、生命力強く生き切っていけるかだ。宗教は、その点に鋭く目を向けなければならない、と。
 桜の話が、親子の愛情のあり方にまで発展してしまった。しかし、両者はどこかで、根と根を通じあっているように思えてならない。
 自分たちだけが楽しみ“あとは野となれ山となれ”式のエゴ。子どもすべての自立心を育てようとせず、自分の子どもだけの未来の願望のみに投影しようとするエゴ。近ごろは、子どもをあまりにも甘やかし、なんでも好きな物を与えて、わがまま放題に育てあげたあげく、結局は、子どもの心が離れ去り、親が裏切られていく悲しき話を、耳にすることが非常に多い。
 私には、その荒れはてたわびしき心の世界が、美しき桜の花とはなぜか対照的な、匂う桜と紙の散乱と、二重写しになってしまうのである。

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