Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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弾琴の譬え  

「随筆 人間革命」「私の履歴書」「つれずれ随想」(池田大作全集第22巻)

前後
4  ある本で、警察犬を専門的に育てる訓練士の話を読んだことがある。ドイツのフランクフルトでのことである。
 彼は、気分がすぐれなかったり、気がかりなことがある日には、訓練を休むというのだ。なぜかというと、そういうときは、なにかのはずみで訓練中の犬に対して、本気で腹を立ててしまうからである。もちろん、訓練なのだから、叱ったり、ときには鞭を使うことも多々あるが、それには自分の心に余裕がなければならない。もし、一度でも本気で怒ってしまうと、もうその訓練はご破算である。犬がこちらを軽蔑し、訓練を受けつけなくなるからだというのである。
 嘘のような本当の話である。詳しいことは、専門の動物学者にでも聞かなければわからないが、私はこうしたことはありうると、自分の体験からも、そう思える。犬など、自分を可愛がってくれる人と、そうでない人とを、じつに敏感に見分けるものだ。まして相手が人間ならば、たとえ幼児であっても、こちらの感情の起伏する波長を、感じ取らないわけがない。
 一時の感情にとらわれ、環境に振り回されるようなことがあっては、まことに愚かな生き方と言わざるをえない。その意味で、いっさいは自分との戦いに帰着し、またそこから発するといってよい。
 「中道」とは、「道に中る」と読む。なにが道であるかは、むずかしい問題であろうが、それは決して固定的なものとしてあるのではない。さまざまに変化しゆく日々の生活のなかで、主体的に選び取らなければならないものであろう。
 「琴の弦」を緊めすぎたり、弛めすぎたりすることなく、見事な人生の和音を奏でていく日々でありたいものだ。

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