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日蓮大聖人・池田大作

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貧女の一灯  

「随筆 人間革命」「私の履歴書」「つれずれ随想」(池田大作全集第22巻)

前後
2  これは一つの説話である。
 しかし私は、そこにひとつの哲学ともいえる示唆が含まれていると思う。“貧女の一灯”の教えるものは、なににもまして、人間が人間としてもつべき真心の貴き証であるからだ。たしかに、それは目に見えない。わずかばかりの油に託した老婦人の微志に、世事に忙しい人びとは、一顧だにしなかったかもしれない。
 だが、さすがに釈尊は達眼の人であった。水も切れない、空気も切れない。同様に、人と人との心の奥に通い合う真心も、決して切り離せるものではない。それどころか、試練の風波の逆巻くなかで、いっさいが衰滅してしまったとしても、なおかつ、偉大なる心というものは、ますます不壊の輝きを増していくにちがいない。
 私は、老母の供養した油がともす一灯に、釈尊が、永遠に消えることのない、生命の火を見ていたように、思えてならないのだ。
 大切なのは、「物」ではなく「心」である。阿闍世王という、最大の権力者である国王の献じた百石の油よりも“貧女の一灯”が勝ったのだ。そこには、名もない一老婦人の、全生命を賭けた思いがこめられていたからであった。物を愛する心、物を大切にする心──。それあるがゆえに、わずかな物でも、千鈞の重みをもって、人びとの心を、深く強く打つのであろう。時とともに、わびしくも現代社会は、その心を、あまりに遠く、忘れ去ってしまっているようだ。
3  私事にわたって恐縮だが、私の母は数年前、八十歳で亡くなった。明治生まれで、貧困と戦火のなかを、多くの子どもを育ててきた苦労のためか、物を大事にするという点では、人一倍であった。物資のないときは当然のことながら、戦後、物資が豊富になってからも、このよき生活のリズムは変わることなく残されていった。デパートや商店の包装紙などにしても、一つ一つきれいに皺を伸ばして、たたんでしまっておく。子どもたちが、邪魔になるから捨てるように言っても「もったいない」が口癖であった。別に、これといって定まった使い道があるわけでもないのに──。いまにして思えば、その美しき律義の心が、私には尊く胸に刻まれて離れないのである。
 私の母にかぎらず、明治生まれのお年寄りなどには、こうした人をよく見かける。そのたびに私は、なにか教えられるような思いがしてならない。
 戦後の高度成長期の消費ブームのなかで、人びとは物を大切にするという習慣を失ってしまった。その結果、知らずしらずのうちに、物を愛し大切にしようとする心まで、どこかに置き忘れてしまった。物質文明の破綻は、あたかも鋳貨の表と裏のように、人びとの心の荒廃をもたらし、社会の乱れを増幅させている。公害問題や石油ショック以来の時流の混迷は、私たちに、こうした教訓をつきつけているといえるだろう。“貧女の一灯”が鋭く告発するのも、その一点である。
 私が申し上げたいのは、課題は身近にあるということである。2DKでも3DKでも、アパートの一室でもよい。その小さな“わが城”を、自分の生活と人生を支える心豊かな場として、大切にしていきたいということである。
 家具一つ取り上げてみても、自分が長年使い慣れてきたものには、多少旧式になっても、断ちがたい愛着を感ずるものだ。
 その感触を大事にしていきたいと思うのである。それが夫婦の美しき伝統の輝きといってよいのではなかろうか。私たち夫婦もその感覚を大事にしてきたつもりである。
 一人の婦人の真心や愛情は、夫や子どもの心を温かく潤す言語や動作に結集していくであろうし、また“貧女の一灯”が全世界を照らしだすのにも似て、それぞれの地域にあって、太陽のごとく輝いていくにちがいない。そうした身近な事柄を抜きにして、いかに社会を改革しようとしても、それは空理空論に終わってしまうであろう。
4  本年初頭の「朝日新聞」の社説欄に「いま、急がれているのは『同じ人間社会に住むという共通の運命感』を育て上げ、それを協調的な、新しい世界づくりに結びつけることである」(昭和五十三年一月十日付)とあった。自分の着るもの、食べるもの一つ一つに、それを製作する何十人、何百人の人びとの汗と体温を感ずることのできるような、日々でありたい。それが「新しい世界づくり」への着実にして誇りある第一歩ではなかろうか。

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