Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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「法門申さるべき様の事」  

講義「諸法実相抄」「生死一大事血脈抄」(池田大作全集第24巻)

前後
15  日蓮大聖人の御書を拝するたびに、私はいつも庶民の哀歓の情に迫り、心のヒダまで知悉されている日蓮大聖人の、深き人間性に驚きを覚えるのであります。一人の老婦人が子供を亡くしたことに対するお手紙の中に込められているものは、自らが子供を亡くしたかのような気持ちが縷々と語られている。まさに大聖人は”人間の中に””生命の中に”徹底して生きられたのであった。民衆をこよなく愛され、人間が可能な限りの生きる力を発揮することに真実の喜びを見いだされていたのであります。
 ある時は、乱世に生きる武士の人生観に対し、生と死の問題を鋭くとらえられ、人情味豊かに語りかける姿も、まざまざとまぶたに描かれてくる。またある時は、四条金吾や南条時光に対して、あまりにも凡夫そのままの、人情の機微に触れられた数々の激励をされている。
 「いなかことばにであるべし」との一言の中にも、この現実の大地に生き、自然と人間の中に呼吸する極めて土着的なものを愛された御本仏の心情というものが、鮮やかにうかがえるのであります。
 この土俗性の中に普遍の妙法を輝かせたところに、大聖人の仏法の優れて偉大な特質があることを、決して見落としてはならない。抽象的、観念的な言葉を弄することは容易である。しかして、現に生きる一人一人の人間の存在の中に、宇宙をも包むであろう妙法の力を説いていかれた大聖人のお振る舞いは、まさしく宗教革命の何たるかを示すに十分でありましょう。
 真の地域主義とは、一口に言えば、普遍性と土俗性の融合のいき方であるといってよい。土俗性――すなわち庶民の生活実感に密着した習慣や風俗等を触発しつつ、その中に、人類、世界と通ずる普遍性の響きを通わせていく。そこに、人間が真に人間らしく生きていくための価値は昇華されていくのであり、我々の志向する地域主義もその一点に結実するのであります。
 御書にいわく「虚空の遠きと・まつげの近きと人みなみる事なきなり」と。「虚空の遠き」とは哲理の普遍性であり、「まつげの近き」とは足元であり、まさしく我らが生を営んでいる地域そのものの土俗性と拝せましょう。私は、卑近な譬喩を用いて述べられたこの御金言に、我々の運動の目指す地域主義の方軌が、見事に要約されていることに驚きを禁じえません。
 ともかく、大聖人門下の中で重きをなしていた三位房でさえ、権威、権勢にあこがれ、仏法の本義から外れていったということは、いかに大聖人の仏法を正しく実践することが難しいかを、端的に示しているといえましょう。真実の人間の在り方を示されたのが大聖人の仏法なのであります。
 我が創価学会の行動は、この大聖人の仏法を”人間のための仏法”としてより明確にし、すべての人々に平等に開いて展開しているのであります。それは日蓮大聖人の御精神にかなっていることは疑いない。
 そして今日、末法流布の大河の時代を到来せしめた評価は、何よりも世界を舞台にして活躍する地涌の勇者の姿が証明しているでありましょう。私どもは、この厳粛なる事実に大いなる誇りを持ちたいのであります。

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