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日蓮大聖人・池田大作

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「観心本尊抄」講義  

講義「諸法実相抄」「生死一大事血脈抄」(池田大作全集第24巻)

前後
1  信心帰命の原点は”観心の本尊”
 まず、当抄に開顕され、末法万年の一切衆生救済のために御建立あそばされた「観心の御本尊」について、愚感の一端を述べさせていただきます。
 私は、愚昧の身であり、とうていこの重書を講ずる資格はありませんが、ひたすら血脈付法唯授一人であられる御法主日達上人の御指南を仰ぎながら、展開していく所存であります。それは、三大秘法の南無妙法蓮華経こそ仏法の究極であり、日蓮大聖人は、末法一切衆生の成仏のために「観心の本尊」としてこれを建立くださり、遣されました。ゆえに、この「観心の本尊」にこそ、私どもの仏道修行の極理、信心帰命の原点があり、末法万年にわたって、真実の仏法実践の正しき軌道はこれ以外にありえ在いことを、この時にあたり、大聖人の仰せを拝しつつ、はっきりと確認しておきたいからであります。
 言うまでもなく、本尊とは、根本として尊敬する当体を言います。根本として尊敬するとは帰命ということであり、帰命する対境を本尊と言うのであります。
 さて、この帰命の対象について、大聖人は「御義口伝」に、次のように教示されております。
 「御義口伝に云く南無とは梵語なり此には帰命と云う、人法之れ有り人とは釈尊に帰命し奉るなり法とは法華経に帰命し奉るなり」と。
 ここに仰せの「釈尊」とは、文底独一本門の教主としての釈尊であり、久遠元初自受用報身、末法御本仏日蓮大聖人御自身であられます。
 また「法華経」と仰せられているのも「今末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし、但南無妙法蓮華経なるべし」と「上野殿御返事」に示されているごとく、釈尊の二十八品の法華経などでないことは明らかであります。したがって「但南無妙法蓮華経」を指して「法華経」と仰せられたと拝するのであります。
 諸御抄を拝する時、大聖人は、種々の場合に応じて、ある時は「人」の面で表現され、ある時は「法」としてこれを述べておられる。
 例えば「三大秘法抄」で本尊を明かされている御文は「人」の面であります。いわく「寿量品に建立する所の本尊は五百塵点の当初より以来此土有縁深厚本有無作三身の教主釈尊是れなり」と。
 「報恩抄」の「日本・乃至一閻浮提・一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし」の御教示も、同じく「人」の本尊を言われております。
 これに対して「本尊問答抄」の場合は、法の本尊を示されている。すなわち「問うて云く末代悪世の凡夫は何物を以て本尊と定むべきや、答えて云く法華経の題目を以て本尊とすべし」とございます。
 このように、一方に、おいては「人」として仰せられ、他方、法華経の題目、妙法蓮華経という「法」として示されている元意は、人即法、法即人を明かされるにあり、そして、一幅の漫荼羅の御本尊こそ、この人と法とが体一である人法一箇の御当体なのであります。
 先の「御義口伝」の御教示は、それを前提とされての表現であり、また、同じく「御義口伝」には「無作の三身の宝号を南無妙法蓮華経と云うなり」と、人法体一の義を示されております。
 しかして、この大御本尊こそ、その人法一箇の当体であることを「日女御前御返事」には、次のように仰せられている。
 「伝教大師云く「一念三千即自受用身・自受用身とは出尊形の仏」文、此の故に未曾有の大曼荼羅とは名付け奉るなり、仏滅後・二千二百二十余年には此の御本尊いまだ出現し給はず」とございます。
 結論して言うならば、日蓮大聖人御自身が、我が身妙法の当体と覚知された法即人の仏であり、無作三身の如来であられる。
 ゆえに「御義口伝」に「無作の三身とは末法の法華経の行者なり」と。
 大聖人は、この無作三身如来としての御自身の生命を、そのまま一幅の曼荼羅として御本尊に顕された。そこに人法一箇の御本尊たるゆえんがあります。
 四条金吾夫妻に与えられた「経王殿御返事」に「日蓮がたましひすみにそめながして・かきて候ぞ信じさせ給へ、仏の御意は法華経なり日蓮が・たましひは南無妙法蓮華経に・すぎたるはなし」と述べられているのは、まさに、このことなのであります。
 これらの御教示を信心で受ける私どもは、御本尊即、生身の日蓮大聖人と拝するのみであります。
 末法の御本仏日蓮大聖人は、本門戒壇の大御本尊として総本山大石寺の正本堂にましまし、そして、法灯連綿の御法主上人のお力によって分身散体されて全世界の各寺院、各会館に、おのおのの家庭に厳然とましますのであります。
 したがって、七百年前、御在世の時代に生まれ合わせえなかったことを嘆く必要もありません。大聖人御誕生、大御本尊御安置の日本に住めないことを恨む必要もないわけであります。御本尊を受持し、勤行唱題を行うところ、いつの時代であれ、いずれの地であれ、朝々仏とともに起き、タ々仏とともに臥すの、常住の寂光土にあることを、深く確信していただきたいのであります。
2  胸中に赫々たる久遠の本地
 大御本尊が人即法の御本尊であられることの背景には、この御本尊を図顕せられた日蓮大聖人が、法即人の仏であられた事実があります。言い換えると、大聖人の生命をそのまま顕された御本尊が、事の一念三千の当体であるということは「一念三千即自受用身」でありますから、大聖人の生命が自受用身でなければなりません。
 御本仏のお振る舞い、その甚深の御境地を、私ども凡愚の者が拝察申し上げるのは、あまりにも恐れ多い限りでありますが、大聖人の立宗より竜の口の法難、佐渡流罪にいたる二十余年の激闘は、この人本尊としての御自身の確証のためであったと思われるのであります。
 すなわち、日蓮大聖人は悪世末法に妙法を弘める人が受けると記されている、法師品の況滅度後、宝塔品の六難九易、勧持品の二十行の備にある三類の強敵等の文を、この二十余年の大難によって、ことごとく身読されました。弘教者としての、事実の握る舞いのうえでの法華経身読は、法華経が明かしている五百塵点劫の当初の久遠本仏、また、虚空会の儀式が暗示している事の一念三千の大生命も、ほかならぬ大聖人の御生命そのものであるとの内証の境地の御確認でもありました。
 「開目抄」にいわく「されば日蓮が法華経の智解は天台・伝教には千万が一分も及ぶ事なけれども難を忍び慈悲のすぐれたる事は・をそれをも・いだきぬべし」と。
 ここに、二十余年にわたる筆舌に尽くせぬ大難を忍ばれたことは「慈悲のすぐれたる事」と表裏の関係になっていると拝せられる。なぜなら、大聖人の難は、当時の日本国民衆を救済しようとして、折伏の戦いをされたために起こったものであるからであります。
 三類の強敵のうち最も厳しい、そして見抜くことの難しいとされる僣聖増上慢が起きたのも「立正安国論」による幕府諌暁を皮切りとしてでありました。もし民衆救済の大慈悲の実践がなかったならば、難は起きなかったとさえ考えられます。大聖人自ら「世間の失一分もなし」と言いきられているように、これらの難は、世間法、国法の罪によるのではない。慈悲のゆえの難であり、難のいかに大なるかをもって、そこに貫かれた慈悲の広大さを知ることができるのであります。
 ゆえに私どももまた、御本仏の大慈悲の一分を受けて、この世に実践していく以上は、難を受けることは当然であります。そして、いかなる難にもひるむことなく、忍び抜いていった時、仏法の実践の真偽が証明されることを確信していきたいと思うのであります。
 ともあれ、大聖人は竜の口、佐渡の法難をもって、法華経に記されている外用の辺の予言をすべて身読し終わり、御自身、久遠御本仏としての内証を確証されるや、初めて御本尊を顕されたのであります。
 大聖人の御内証においては、久遠の仏としての御境地は、すでに赫々としてあられたと拝察します。恩師戸田城聖先生は「清澄寺大衆中」の御文を講義された際、大聖人は、虚空蔵菩薩に、日本第一の智者となし給えと祈願された清澄寺在住の時、すでに御本仏と覚られたと拝せると言われておりました。
 事実、もし、末法御本仏としての御境界を得ておられなかったならば、三十二歳の立宗宣言もなかったはずであります。時すでに釈尊の白法は隠没した末法であることは明々であり、したがって釈尊の仏法をもって立てられる道理がありません。釈尊の仏法ではない新たなる仏法を立てられたことは、御自身が末法救済の御本仏であるとの御確信があったればこそであります。
 しかも、大聖人は二十余年間、釈尊の法華経を身をもって読みきられ、大聖人の出現によって釈尊の法華経は虚妄でなくなったといえるまで実践しぬいて、いよいよ、御自身が御本仏としてのお振る舞いに移られたわけであります。竜の口、佐渡の時期は、まさにこの発迹顕本の時でありました。
3  己心を観じて妙法を見る
 さて、大聖人は、末法万年の衆生の成仏のために、御本尊を顕されました。御在世当時の人々は、法即人の当体であられる大聖人という仏の生命に縁することができる。しかし大聖人も、いつかは入滅なされる。その滅後の衆生のために、御自身の生命を曼荼羅の御本尊として顕し、遺されたのであります。
 この人即法の当体としての御本尊は、一往は法本尊でありますが、再往は人法一箇の御本尊であります。ゆえに「南無妙法蓮華経 日蓮」と中央にしたためられております。南無妙法蓮華経は”法”、日蓮在御判は”人”をあらわすのであります。
 このように顕された大聖人のお立場に約せば、御本尊の根本的特質は「人法一箇」ということでありますが、では、御本尊を拝する私どもの立場で言えば、何が最も根幹となる特質でありましょうか。それを日蓮大聖人は御自ら「観心」であると教えてくださっているのであります。法本尊開顕の書を「観心本尊抄」と題されたのは、このゆえであります。
 「観心」とは、どういうことかといえば、本尊抄の文中では、一往の立場で「我が己心を観じて十法界を見る是を観心と云うなり」と示されております。そして鏡を用いなければ、自分の眼、耳、鼻等の六根を見ることができないように、己心の十界も、仏法の鏡なくしては見ることができない、と教えられています。
 いわく「設い諸経の中に処処に六道並びに四聖を載すと雖も法華経並びに天台大師所述の摩訶止観等の明鏡を見ざれば自具の十界・百界千如・一念三千を知らざるなり」と。
 これで明らかなように「十法界を見る」といっても、一念三千を見るということであります。しかして、単に一念三千というなら、それは理であり、南無妙法蓮華経こそ「事の一念三千」であるというのが、大聖人の結論であります。したがって「我が己心を観じて十法界を見る」とは、我が己心を観じて南無妙法蓮華経を見ることにほかなりません。
 十界のいかなる衆生であれ、我が己心の究極の実相は南無妙法蓮華経であります。この本来、我が身が妙法の当体であるという真理を教えたのが、法華経の迹門であります。
 なかんずく迹門方便品の「諸法実相」が、これを述べたものであることを、大聖人は「諸法実相抄」に、次のように論じられておられます。
 「下地獄より上仏界までの十界の依正の当体・ことごとく一法ものこさず妙法蓮華経のすがたなりと云ふ経文なり」、「万法の当体のすがたが妙法蓮華経の当体なりと云ふ事を諸法実相とは申すなり」と。
 しかしながら、本来、我が身が妙法の当体であるという道理だけでは、成仏にはならない。もし、それだけで成仏であるなら、万物は等しく妙法の当体でありますから、仏と衆生の差別が現実問題としてあるはずがないし、仏道修行も必要なくなるはずです。
 問題は、我が身が妙法の当体であることを、自身が覚知するかいなかにある。この事実のうえでの覚知した仏の境地を明かしたのが本抄であります。そして、覚知したとき成仏と言い、それを知らずに迷うのを凡夫、衆生と言うのであります。これを「諸法実相抄」に「然れども迷悟の不同にして生仏・異なるに依つて倶体・倶用の三身と云ふ事をば衆生しらざるなり」と述べられていることは、すでにご存知のとおりであります。
 また「一生成仏抄」にいわく「夫れ無始の生死を留めて此の度決定して無上菩提を証せんと思はばすべからく衆生本有の妙理を観ずべし、衆生本有の妙理とは・妙法蓮華経是なり故に妙法蓮華経と唱へたてまつれば衆生本有の妙理を観ずるにてあるなり」と。
 衆生本有の妙理、すなわち、我が身が本来、妙法蓮華経であることを観ずることが「無上菩提を証すること」、すなわち成仏の本義であります。我が身を妙法と観ずるとは、言い換えれば「観心」でありますから、「観心」とは、すなわち成仏得道の謂にほかならないのであります。
 ゆえに「観心の本尊」とは、十界の衆生が、我が身妙法の当体なりと観じて成仏するための本尊であり、十界のいかなる境界であれ、それを受持するならそのままで、いわゆる即身成仏できる御本尊ということになるわけであります。この「観心の御本尊」を建立された日蓮大聖人によって、初めて、あらゆる衆生の成仏の直道が開かれたのであります。
4  ”の”の字を形見と思え
 「観心本尊抄」の題号をめぐって、第二十六世日寛上人は「観心の本尊」と読むべきことを強調され「”の”の字を形見と思え」と仰せられたことは、あまりにも有名であります。それは「心の本尊を観る抄」とか「心を観る本尊抄」とかの、大聖人の本意から外れた邪義を破して言われたものでありますが、それ以上に「教相の本尊」に対して「観心の本尊」であることを明示せんがためであられたのであります。
 「教相の本尊」とは「文上脱益・迹門理の一念三千」であり、それに対し「文底下種・本門事の一念三千」を「観心の本尊」と言います。すなわち、釈尊の説いた脱益の文上の一念三千ではなく、文底秘沈の下種の一念三千こそ、大聖人の顕された御本尊の正体であるということが、ここでの論議の主題であることは言うまでもありません。
 この点を、更に広い立場で考察してみるならば、過去のあらゆる宗教が立てた本尊というのは、信仰する衆生の外にあって、衆生の運命や生涯を支配し動かしていると考えられた超越的な力の具象、あるいは表現でありました。したがって、そこに求められる信仰の姿勢は、あるいはそうした力に救いを求め、赦しを乞い、慈悲を願い、怒りを解いてくれるよう祈る、奴隷的ないき方であったといっても過言ではありません。
 そして、一般的にはそのような信仰姿勢は、それらの本尊に直接仕える神宮、聖職者を、本尊である超越者との間をとりもつ存在であるとし、現実社会においても厳しい差別の相を現出してきたのであります。また同時に、世俗の体制内においても、王などの権力者を、特別の恩寵を受けた存在であるとすることにより、身分制的階級構造を生みだすことになった。
 このように、過去のほとんどの宗教は、人間の平等の尊厳性という考え方に対して、真っ向から否定的な非人間主義、反ヒューマニズムの牙城というべき様相を呈してきたのであります。
 「教相の本尊」すなわち「脱益の一念三千」は、もとより、それらと同等にみるべきではありませんが、すでに得脱した立場とする以上、迷いの底にある衆生とは天地の相違があり、そこに、既存の多くの宗教がもたらしたのと同じ弊害に陥る要因を多分に持っていたのであります。
 文上脱益法門を立てた天台仏法が、民衆とは縁の遠い特権的宗教となり、もつぱら王侯貴顕と結びつかざるをえなかったその歴史をみる時、この事実は明々白々であります。
 それに対し、日蓮大聖人の「観心の本尊」は、文底下種の事の一念三千であります。この観心とは、日寛上人によれば、我等衆生の観心であります。ゆえに「観心の本尊」とは、人々の生命の外にあるものではなく、本来、平等に、生命の内にある妙法という尊極の当体につながっていくのであります。そこでは、あらゆる人にとって、本尊と自分との聞に、全く距離がないと説くのであります。ゆえに、何ものも入り込むすきまはない。衆生は、ただ朝な夕な唱題して、自身が妙法の当体であることを覚ればよいのであります。
 だが、これを覚るには、それだけの「智」が必要です。その「智」を得る方法を、法華経は「信」と教えたのであります。「以信代慧」「以信得入」というのは、それであります。日蓮大聖人の教えでは、この「信」が更に具体的に「受持」として明確化されます。それは、受持する当体として御本尊が顕されたことによるといえます。
 したがって、御本尊を受持することが、我が身を妙法の当体と覚る観心であり、これを「受持即観心」と言うのであります。
5  三大秘法も「大御本尊」に収まる
 最後に、三大秘法に配して「観心の本尊」を拝するならば、御本尊それ自体が本門の本尊であり、御本尊を信受し唱える題目は本門の題目、御本尊所住の所が本門の戒壇でありますが、この三大秘法も、究極するところは「観心の本尊」の一大秘法に収まることを知らなければなりません。
 すなわち、本門の本尊とは、久遠元初自受用報身としての生命それ自体であり、本門の題目は、この無作三身の生命の宝号たる南無妙法蓮華経であります。すでに挙げた「法華経の題目を以て本尊とすべし」との「本尊問答抄」の御文に照らしても明白であります。
 更に、戒壇もまた、壇とはマンダーラの訳であり、その本来的意義は、御本尊即戒壇であります。これを歴史的にみると、インドにおいて、僧への授戒の場として壇を設けたのが戒壇の始まりでありますが、魔を寄せつけないために四隅に四天王を配して守護せしめ、中央に釈尊像を安置して、そこで授戒の儀式を行ったと言われております。
 この中央の仏の資格を明らかにするために、種々の脇士がおかれ、その形式が整えられていった。本尊抄の中にも仰せられているように、小乗の釈尊は迦葉、阿難を脇士とし、権大乗や法華経連門の釈尊は文殊、普賢等を脇士としたのであります。
 しかるに釈迦仏、多宝仏を脇士とし、更に上行等の四菩薩を釈迦仏、多宝仏の脇士としている久遠元初の仏を中心にした戒壇即本尊は、正像に未曾有であり、これが大聖人御建立の「観心の本尊」なのであります。この御本尊が即事の戒壇であるという深義については、すでに日達上人が明確にお説きくださっているとおりであります。大御本尊を三大秘法総在の御本尊と申し上げ、三大秘法といえども一大秘法に帰着すると言われるゆえんは、ここに存するのであります。
 この三大秘法総在の御本尊こそ、弘安二年十月十二日御図顕の本門戒壇の大御本尊であることは、言うまでもありません。「聖人御難事」に明らかなように、日蓮大聖人の出世の御本懐はここに尽きるのであり、末法万年の人類救済のために、完壁に法体は確立せられたのであります。
 日寛上人の文段には、大御本尊の功徳の広大深遠を、次のように讃えられております。
 「これ則ち諸仏諸経の能生の根源にして、諸仏諸経の帰趣せらるる処なり。故に十方三世の恒沙の諸仏の功徳、十方三世の微塵の経々の功徳、皆咸くこの文底下種の本尊に帰せざるなし。譬えば百千枝葉同じく一根に趣くが如し。故にこの本尊の功徳、無量無辺にして広大深遠の妙用あり。故に暫くもこの本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うれば、則ち祈りとして叶わざるなく、罪として減せざるなく、福として来らざるなく、理として顕れざるなきなり」(文段集四四三㌻)
 私どもは真の仏法者として、この素晴らしい大御本尊に巡りあえたことを無上の喜びとし、一人の退転もなく、いよいよ「受持即観心」の修行に励み、進んではこの大法を広宣流布して、所願満足の人生を送っていこうではありませんか。
6  「無二の志」でこの書を開祏
 今回講義しますのは、本抄の中でも最も重要な、受持即観心について説かれた段でありますが、講義にあたって一言申し上げておきたい。それは、本抄を拝読し、学ぶ心構えについてであります。
 この点に関しては、本抄御述作の翌日付でしたためられた「観心本尊抄送状」に、日蓮大聖人御自ら述べられているので、この送状の御文を中心に申し上げることにしたいと思います。
 初めに帷、墨、筆等の御供養に対するお礼を述べられ「観心の法門少少之を注して大田殿・教信御房等に奉る」と、本抄のことを言われております。
 「少少之を注して」ですから、軽い内容のように聞こえますが、あくまでこれは御謙遜されているのであって、御本意は次に述べられるように、大変な甚深の法門であり、心血を注がれた書であります。
 すなわち「此の事日蓮身に当るの大事なり之を秘す、無二の志を見ば之を開沰かいたくせらる可きか」と、この「観心本尊抄」の内容が、大聖人の内証の生命を明かした法門であり、いいかげんな姿勢で読んでは絶対にならないことを戒められております。
 富木殿、大田殿、曾谷殿等、ことに名前を記されている人々は、一往、その信心を認められて許されたのでありましょう。しかし、もし、他の人に見せる場合は「無二の志」の人でなければならないと断られているのであります。「無二の志」とは、どこまでも大聖人を信じて疑わない人、どんなことがあっても退転せず、生涯、信心を貫く人、また、その覚倍があるということです。
 このことから、私どももまた、本抄を拝し学ぶには、生涯不退転の確固たる信心、そして更に進んでは、御本仏大聖人の生命と大慈悲を受け継いで、末法広布に邁進する燃ゆるがごとき大情熱に立つべきであることを、強く訴えておきたいのであります。
 また「此の書は難多く答少し未聞の事なれば人耳目を驚動す可きか、設い他見に及ぶとも三人四人坐を並べて之を読むこと勿れ」と。
 仏法の歴史において、究極の真理、法体は「言語道断・心行所滅」で、言葉としてあらわしうるものでも、思惟の及ぶところでもないとされてきました。いわんや、具体的な当体として顕しうるものとは、考えられもしなかったのでありましょう。
 それを大聖人は、御本尊として具体化し、題目として万人が唱え実践できるものとされたのであります。この極理は、難信難解であり、既存の知識や道理で説き明かせるものではありません。
 したがって、これを公にするなら、疑惑を生ずるのみで、それがひいては不信、誹謗に発展し、かえって多くの人々を堕獄の罪に追いやることにすらなる。このことから「之を秘す」と言われ、「三人四人坐を並べて之を読むこと勿れ」と戒められているのであります。
 ただし、だからといって、絶対に誰にも見せてはならないというのではないことは「無二の志を見ば之を開祏せらる可きか」の御文からも明らかです。開祏の祏という字が、衣偏になっていることに注意してください。すなわち、真に胸襟を開いて語り合える同志であったならば、ともに研鑽してもよいとの仰せなのです。
 この御文に関連して、日寛上人は、本尊抄を講義された時、受講する人々が異体同心であり、信心無二であるがゆえに「四十余輩寧ろ一人に非ずや」(文段集四四四㌻)と言われ、この戒めを免れていると断ってなされたエピソードがあります。
 原理は同じであります。私どももまた、御本尊を無二と信ずる同志の集いであり、広布の大願に立った異体同心の同志であります。
 むしろ、これだけの膨大な人々が、これほどまでに無二の志、異体同心の生命をもって、大聖人己心の法である本抄を、こうして拝し学んでいる姿を、大聖人はどれほどお喜びくださっていることかと、私は確信するのであります。
 同送状の終わりに「仏滅後二千二百二十余年未だ此の書の心有らず、国難を顧みず五五百歳を期して之を演説す乞い願くば一見を来るの輩は師弟共に霊山浄土に詣でて三仏の顔貌を拝見したてまつらん」と仰せられております。
 私は、本抄を拝するたびに、佐渡流罪という国家権力による大難のなかでこの書をしたためられた大聖人のお姿をしのび、大慈大悲に涙を禁じえません。その身は流人であり、念仏者達は昼夜に大聖人の命をねらっていた。
 全編十七紙からなる本抄の御真筆は、前半と後半が同質紙でなく、ふつうの和紙と雁皮紙(ガンピの樹皮の繊維を原料にして作った和紙)を用いられ、裏にもしたためられている。――筆や紙も思うように手に入らなかった、当時の窮状がしのばれるのであります。
 そのなかで書かれた本抄は、まさに心血を注いでしたためられた書であります。
 ゆえに本抄を一見した人は、仏法の真髄に触れたのでありますから、誤りなく信心を全うし、必ず成仏を遂げなさい、と励まされているのであります。
 「三仏の顔貌を拝見」するとは、釈迦仏、多宝仏、分身諸仏を三仏ということはご承知のとおりですが、この三仏はまた、法・報・応の三身をあらわし、文底の辺から言えば無作三身如来を意味するのであります。そして、この顔貌を拝見するとは、我が身が無作三身であると覚ることであり、成仏得道ということです。「霊山浄土に詣で」は依報に約しての仰せであり、「三仏の顔貌を拝見」は正報に約して言われております。
 ここで拝読するのは、全編の一部分ではありますが、最も肝要の個所であり、意義は少しも変わるものではありません。
 特にこの御書が、佐渡御流罪中に著されたということの深い意味を、かみしめていただきたいと思います。大聖人は、大難の真っただ中において法本尊を開顕され、仏法の極理を、私どもに教えてくださっているのであります。ここより始まって、本門戒壇の大御本尊御建立にいたる大聖人の御生涯を拝する時、私は、本抄にとどめられた甚深の意義が感じられてならないのであります。
 ゆえに、この御本尊を根本として強盛な祈りを奮い起こす時、必ず難は即、成仏得道へと開かれていくのであります。私は「観心本尊抄」の深義を、そのように拝したいのであります。
 どうか、ひとたび本抄を拝する以上は、何があっても退くことなく、必ず信心を全うして、我が人生を縦横に生き抜き、悔いなき生涯の歴史をつづっていただきたいのであります。
7  仏の智慧を生む根源の種子を内包
 問うて曰く上の大難未だ其の会通を聞かず如何
 問う、先の論難(人界の生命に尊極の仏界が具わるということに対して信じ難い旨を述べたもの)に対して、いまだその会通を聞かないが、いかがなものであろうか。
8  「観心本尊抄」の中でも、最も重要な受持即観心の義を明かすにあたって、この少し前に一つの疑難を設けられています。
 それは仏の持っている功徳、力、智慧、威光は、あまりにも荘厳であり、広大、甚深である。そのような素晴らしい仏の生命が、我ら凡夫の小さな生命の中に具わるなどということは、とうてい信じられない、ということであります。
 それに対して、前段では、法華経の開経である無量義経の「諸仏の国王と是の経の夫人と和合して、共に是の菩薩の子を生ず」(妙法蓮華経並開結一〇四㌻)という文、法華経の結経である普賢経の「此の大乗経典は諸仏の宝蔵なり。十方三世の諸仏の眼目なり。三世の諸の如来を出生する種なり」(妙法蓮華経並開結六八八㌻)等の文を挙げられております。
 すなわち、たしかに、仏の持っている福徳は無量であり、智慧は深遠、力は広大であるけれども、それらを生じたところの種子があるのだというのであります。
 爾前権経においては、仏の福徳や力、智慧の一つ一つについて、それを生ずる因の修行を説き、それらを次々と、一つずつ行ずることによって、仏と等しい無量の福徳、智慧を具えさせようとした。ゆえに、その実践は、大変な長い期間を要する歴劫修行とならざるをえなかったのであります。たとえて言えば、樹木の生育過程を探るのに、一枚の葉、一本の枝の分析から始めるようなものでありましょう。それに対し、根源の種子に目を向けるようにうながしているのが、法華経であります。
 法華経の開経である無量義経は「無量義とは一法より生ず」(妙法蓮華経並開結八四㌻)と説き、そうした無量の福徳、智慧を生ずるただ一つの法が実在することを宣言しました。そして法華経の結経である普賢経は、この一法から、あらゆる仏の福徳と智慧が生じていることを述べて、その偉大さを讃えたのであります。
 まさに、この”一法”それ自体を、真っ向から説き明かした経典こそ、法華経にほかなりません。そして更に、この法華経が明かしている”一法”の正体、種子そのものとは、法華経の題目、妙法蓮華経であり、すなわち南無妙法蓮華経なのであります。
 したがって、一切の仏の種子である妙法蓮華経を受持する――すなわち、凡夫が我が生命に南無妙法蓮華経を植える時、仏の一切の功徳、智慧は、ことごとく凡夫の生命に具わるのであり、これを大事に育てるならば、凡夫がそのまま功徳と智慧に満ちあふれた仏となる。――これが、受持即観心の義であります。
 ともあれ、この「問うて日く……」は、先の疑難に対する答えの結論を求めているのであります。ちなみに”会通”とは「和会疏通」の意で、異議や異説を照らし合わせ、その本義を明確にして筋道を通すこと、つまり納得ができるようにすることを言います。
9  六波羅蜜は自然に在前
 答えて曰く無量義経に云く「未だ六波羅蜜を修行する事を得ずと雖も六波羅蜜自然に在前す」等云云
 答う、無量義経にいわく「いまだ六波羅蜜の修行をしていなくても、この経を信じ受持する功徳によって六波羅蜜は自然に具わってくる」と。
10  これは無量義経に「是の経の不可思議の功徳力」として十個挙げられている中の、第七に述べられている文であります。言うまでもなく、無量義経は法華経の開経と位置づけられる経でありますから、ここで言う「是の経」とは法華経であり、なかんずく妙法蓮華経の題目を指します。
 今、その前後を挙げますと、次のようにあります。
 「若し善男子、善女人、仏の在世若しは滅度の後に於いて、是の経を聞くことを得て、歓喜し信楽し希有の心を生じ、受持し読誦し書写し解説し説の如く修行し、菩提心を発し、諸の善根を起し、大悲の意を興して、一切の苦悩の衆生を度せんと欲せば、未だ六波羅蜜を修行することを得ずと雄も、六波羅蜜自然に在前し、即ち是の身に於いて無生法忍を得、生死、煩悩一時に断壊して、菩薩の第七の地に昇らん」(妙法蓮華経並開結一〇八㌻)
 すなわち、心底から歓喜と求道心と感謝の念を持って、自行化他にわたる実践に励むならば、菩薩の修行の要諦とされている「六波羅蜜」の一々を修行せずとも、自然に具わりあらわれてくる、との意であります。それは「是の経」すなわち妙法蓮華経に、一切の諸仏の宝蔵が包含されているからであります。
 ここで六波羅蜜について、若干、申し上げますと、これは大乗の菩薩が悟りを得るために修行しなければならないとされた六種の修行で、それだけについて説かれた「大乗理趣六波羅蜜多経」という経典もあり、古来、大乗仏教においては、必須の修行として重視されてきました。
 波羅蜜とは、梵語のパーラミターの音写で、その意味は、度、到彼岸等と訳されます。迷い、苦しみの境涯を此岸とし、涅槃、悟りの境地を彼岸として、此岸から彼岸へ渡るということです。そのための修行の内容が六波羅蜜のそれぞれであります。
 このことと関連して申し上げておきたいことは、無量義経のこの文は、妙法を持つ人は修行として六波羅蜜を行ずる必要はないと教えているわけでありますが、六波羅蜜を行じたことによって得られる種々の徳は、おのずから具わるとの意であることを見逃してはならないということです。
11  六種の修行は人間の条件を示す
 では、六波羅蜜のあらわしているものは何か。これを私は、端的にいって人間の条件をあらわしたものといってよいと考えるのであります。
 古来、人間の条件とは何かという問題は、多くの思想家によって論じられ、また文学者を刺激し続けてきたテーマでもあります。様々な人が、それぞれに、この問題に対して答えを模索してきました。六波羅蜜とは、ある意味で、そうした大きな疑問への、一つの集大成された回答とも言えるのではないかと考えるのであります。
 そして、それは同時に、人間革命運動を進める私どもにとって、自己の変革、完成のために、黄金の光を放つ指標ともなるものといえましょう。確固不抜の生命観に立脚した人間革命の実証とは、要するに、どのようになることなのか、この目標がここに示されているといえるのであります。
 まず六波羅蜜の第一は「布施」です。
 これには大きく分けて、財物を与える財施と、法を説き教える法施と、恐怖を取り除き安心を与える無畏施の三つがあるとされている。このそれぞれについては、ここでは詳しく述べませんが、布施といっても、財物を与えるだけが布施ではない。むしろ法を説き教えること、あるいは恐怖を取り除き安心を与えることのほうが、仏法においてはより大きい比重を占めております。
 財物の布施によって救えるのは、わずかの期間にすぎない。財物自体、限られておりますから救える範囲も狭くなります。例えば飢えた人にパンを与えても、一日の命をつなぐことができるだけです。だが、何らかの仕事の技を教えてあげれば、その仕事によって一生、飢えないで生きていけるでしょう。これは広い意味での法施です。
 更にまた、生きていくのに困らないですむだけの技術を持っているけれども、絶望に陥り、生きる意欲すら失っている人々に対しては、その不安や恐怖を取り除き、安心を与える無畏施が、大きい布施となります。
 財施が、どちらかといえば、依存心を増長させ、個人の自立を奪う結果になりがちなのに対して、法施、無畏施は、自立の心と力をもたらします。
 そして仏法が最も重視しているのも、法施であり、無畏施であることを忘れてはなりません。私どもの実践に約せば、仏法を教え、導く折伏弘教、講義、指導などは、無畏施を含む法施といえます。
 ともあれ、妙法を持った場合、布施行の根底を形づくるものは、慈悲であります。しかし、恩師はよく「我々は凡夫である。慈悲といっても、なかなかそれを実践できるものではない。それに代わるものは勇気である。勇気が慈悲に通ずるのである」ということを言われておりました。
 すなわち、いかなる怒涛にも決然と立って、妙法弘通に勇往邁進していく姿そのものが、慈悲の行につながっていくのであります。どうか皆さんは「日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず」の御金言を胸に、広布の街道を、朗らかに進んでいってください。
12  自己規制が現代の「持戒」
 次に、六波羅蜜の第二は「持戒」であります。
 持戒の戒とは「防非止悪」の戒とされ、身口意にわたる悪業を断じ、一切の不善を禁制することを言います。
 元来、仏教を修行する者が守るべき規範として定められたものですが、仏教修行者が出家僧団に代表された初期のころに、その集団生活の規律のため定められたところから、戒といえば、生活のあらゆる面にわたって束縛する煩瑣なものという印象が強い。
 そしてそのために、時代が変わり状況が異なると、そうした戒はそのままでは実践できないものとなりました。言い換えると、戒は、人間性にとってプラス面よりもマイナス面を持つ結果となったのであります。
 戒律を主体とする小乗仏教が、時代で言えば像法、末法、地理的に言えば中国、日本において、もはや顧みられなくなったのは、このためであるといえます。
 しかし、これはある社会の、ある状況下につくられたものを、異なった状況の人々に、そのままあてはめることが誤りであるということであって、戒そのものの原点に立ち戻って言えば、それぞれの状況のもとに、それにかなった戒が立てられるべきであります。人間の心には、仏法の十界互具論が徹底的に解明しているように、善の心もあれば悪心もあります。「治病大小権実違目」の次の御文は、このことを明確に示されているのであります。
 「善と悪とは無始よりの左右の法なり権教並びに諸宗の心は善悪は等覚に限る若し爾ば等覚までは互に失有るべし、法華宗の心は一念三千・性悪性善・妙覚の位に猶備われり元品の法性は梵天・帝釈等と顕われ元品の無明は第六天の魔王と顕われたり
 妙覚の位、すなわち仏といえども、十界を具足しており、一念三千の当体であります。ゆえに地獄、餓鬼、畜生、修羅等の悪心も、当然、具わっているとの仰せです。いわんや、我々凡夫において、これらの悪い生命が具わり、常にその働きを顕現させようとしていることは言うまでもありません。
 餓鬼、畜生、修繕等の悪心は、本来、生命の最も基本的な動因である生存本能と結びついており、そのゆえに、最もあらわれやすい働きといえる。これに対して、善心の代表である声聞、縁覚、菩薩等の働きは、そうした自己の醜い深淵から飛朔しようとするもので、強い引力に逆らわなければならないでありましょう。
 したがって、悪心に引きずられないようにすることは、絶えまない用心と努力とを必要とする。それは、あたかも、険難の断崖の道を進むようなものでありましょう。
 「防非止悪」すなわち戒を持つということは、この険路を過たないでハンドルを操作するようなものであります。
 一般的にも、自分自身の意思で自らに課した義務も、戒ということができましょう。
 ロマン・ロランが「ベートーベンの生涯」について記している文に次のようなところがあります。
 「彼は自己に課せられていると感じた義務についてしばしば語っている。それは、自己の芸術を通じて『不幸な人類のため』『未来の人類のため』 der kunftigen Menschheit に働き、人類に善行を致し、人類に勇気を鼓舞し、その眠りを揺り覚まし、その卑怯さを鞭うつことの義務である。甥への手紙にも書いている――『今の時代にとって必要なのは、けちな絞い卑怯な乞食根性を人間の魂から払い落すような剛毅な精神の人々である』と」(片山敏彦訳 岩波書店)
 このベートーベンが「自己に課せられていると感じた義務」も、彼にとっては生きていくうえでの一つの戒であったといってよいでしょう。
 この現代的に言えば自己規制が戒であり、その意味において、重要な人間の条件と考えられるのであります。
13  正義のために苦難を耐え忍ぶ「忍辱」
 六波羅蜜の第三は「忍辱」であります。
 成仏という最高の理想を目指して登攀する以上、荊棘の道があるのは当然としなければなりません。
 「山中の賊を破るはやすく、心中の賊を破るは難し」と言われますが、実際、仏教経典には、仏道修行をする人が、いかに大きな苦難を忍び、障害を乗り越えなければならないかが、数えきれないほど挙げられております。
 舎利弗が過去において、婆羅門から眼を乞われて与えながら、そのあとの処遇に耐えきれず退転してしまったことは、忍辱行の厳しさをあらわしたエピソードといえましょう。
 釈尊自身、九横の大難と呼ばれる多くの迫害や苦しみに遭いながら、それを耐え忍んだことは周知のとおりであります。「されば釈迦如来の御名をば能忍と名けて此の土に入り給うに一切衆生の誹謗ひぼうをとがめずよく忍び給ふ故なり」、また「此の世界をば娑婆と名く娑婆と申すは忍と申す事なり・故に仏をば能忍と名けたてまつる」と、日蓮大聖人も、忍辱ということを、釈尊の特質として強調されております。
 更に言えば、末法御本仏日蓮大聖人こそ、釈尊よりも更に大きい苦難を耐え忍ばれた、真実の「能忍」であられました。悪世末法に逆縁の衆生を救うために出現された大聖人の遭われた難は、客観的にみても、釈尊のそれより厳しいものであったことは間違いありませんし、経文にも「況滅度後」と予記せられているとおりであります。
 これは仏道修行、仏法実践にかかわる問題でありますが、広く言えば、この世界を人間として生きていく過程においても、思うにまかせないとと、つらいこと、苦しいことは、つきものであります。それを耐えられないで、若くして自ら生命を絶つ傾向が、一部ではありますが、顕著になっていることは悲しむべきことであります。
 もとより、この人間社会から、苦しみをもたらすようなことは、できるだけ取り除き、すべての人が人生を楽しんで生きられるよう、互いに力を合わせるべきであります。まして、互いに争いあい、いじめあうような愚はなくすべきです。だが、それでもなおかつ、避けることのできない苦難は、どこまでもつきまとうと考えなければなりません。それに耐え抜くこと、更には、己の信ずる正義のために、あらゆる苦難を耐え忍ぶこと――これは、人間としての大事な条件なのであります。忍辱とは、それを教えたものといえましょう。
14  進歩と向上への努力――「精進」
 六波羅蜜の第四は「精進」です。これは、これまでの布施、持戒、忍辱、及びこのあとの禅定、智慧の五つの波羅蜜を、心身ともに力を尽くして修行することを言います。
 精進の意味は、精とは無雑、進とは無間と釈されるように、純粋に、絶えまなく実践することであります。これを敷衍して、人間としての生き方という立場で考えてみたいと思います。人間は、誰しも未完成であります。凡夫であり、喜怒哀楽に生きる生身の存在である限り、未完成は当然でありましょう。真実の宗教とは、そうした微妙な感情を、ある特定の方向へと圧迫するのではなく、喜怒哀楽のヒダを一本一本たどりつつ、その根底から生きる勇気と生命力を奮い起こさせていくものであります。私は、未完ということは、むしろ人間の紋章であるとさえ思っております。
 しかし、それゆえにこそ、向上ということを、欠かすことができないでありましょう。未完であるからこそ向上心が必要なのであり、向上があるからこそ人間と言えるのであります。進歩と向上への努力を失えば、人間社会は、畜生界、または修羅闘諍の巷と化してしまうでありましょう。ここに、常の精進が要請されてくるのであります。コマは回転しているからこそ、細い心棒によって立つことができるのであります。また自転車は、走り続けることによって、平衡を維持しております。人間も同様でありましょう。
15  生きていく上での根本的依処――「禅定」
 六波羅蜜の第五は「禅定」であります。
 禅とは、静慮と訳し、心を一つに定めて真理を思惟することを言います。釈尊が、苦行を捨ててナイランジャー河で沐浴し、スジャーターの捧げた乳粥を食べて、心身ともに爽快になり、菩提樹の下で膜想に入ったのは、この禅波羅蜜の代表といえます。くだって中国の天台大師は、一般的に観念観法の仏法と言われるように、一心三観・一念三千の法を立て、禅定の修行をとりわけ重視しております。
 このように、禅定といえば、仏道修行の仕上げともいうべき重要な実践とされているわけでありますが、広く人間の生き方の条件としてみても、極めて大切な要素の一つであります。
 この広い意味での禅定とは何かと言えば、人生において、達成すべき目標、理想、自分が生きていくうえで根本のよりどころとするものを持つことでありましょう。先に挙げた忍辱といい、精進といっても、明確な理想と確固たるよりどころなくしては、挫折せざるをえないでしょうし、耐え抜いて挫折は免れても、事実は彷徨に終始してしまうでありましょう。
 初代会長牧口常三郎先生は、あの獄中にあっても、悠々たる心境であられました。それは、次のような獄中書簡の一節からもうかがえるのであります。
 「警視庁と異って、三畳一人のアパート住居で、本が読めるから、楽であり、何の不足はない。心配しないで留守を守って下さい。……独房で、思索が出来て、却ってよい。朝夕の勤経(行)、外に特別の祈願をまじめに怠らない。……お互に信仰が第一です。災難と云ふても、大聖人様の九牛の一毛です、とあきらめて益々信仰を強める事です。広大無辺の大利益に暮す吾々に、斯くの如き事は決してうらめません。経文や御書にある通り必ず『毒変じて薬となる』ことは今までの経験からも後で解ります」
 まさに、この澄みきった心と高邁な気迫は、生涯を広布殉教に生き抜いた禅定の心からくるものと、私は推察するのであります。
 社会的にいっても、その時々の状況や、ときにはむなしい風評にさえ、右へ左へと揺れ動く民衆の心の不安定さ、どこへ暴走するか分からない危険をはらむのは、こうした禅定という指標の欠如によるともいえるのであります。そして、その揚げ句は、社会を挙げて人間が人間らしい生き方というものを見失い、互いに傷つけあい、殺しあう事態にさえ立ちいたる。人類の歴史の示すところは、まさにこの人間の悲しむべき性の露呈であり、それゆえにこそ、人間が真実に生命のよりどころとするに足る仏法の広宣流布こそ、私どもの恒久平和への最も根底的な貢献の道と信ずるのであります。
16  真実を正しく見極める「智慧」
 最後に、六波羅蜜の第六は「智慧」であります。これは、一切諸法に通達し、邪見を取り払って真実を正しく見極める智慧を得ることとされております。
 仏道修行の究極の目的は、言うまでもなく成仏することでありますが、仏とは、覚者すなわち覚り、智慧を得た人の意であります。このことは、仏の原名である仏陀が、覚り、智慧を意味する菩提と同じ語である事実から明瞭に知ることができます。
 覚り、智慧といっても、現代的に言えば物理学のそれもあれば、経済学、数学等のそれもあるように、多種多様であります。そのように多岐にわたり、多彩に広がる”智慧”に対して、そのすべての根源であり、すべてを包含する、最高究極の智慧が仏の得る智慧であります。
 ゆえに、仏の得るこの智慧を、梵語で「阿耨多羅三藐三菩提」と言うのです。阿耨多羅は無上、最高の意で、三藐は正等、正遍と訳し、清浄にして偏頗がない、一切を包含していることを意味しています。三菩提は正覚、正しい智慧ということであります。これを総称して「無上正遍知」と訳されております。
 したがって、六波羅蜜にいう智慧とは、こうした仏法の究極的な覚りからでた智慧を言うのでありますが、広く人間の在り方として考えても、智慧は、古来、洋の東西を問わず、人間の基本的な条件とされてきたものであります。
 西洋において、学問的に現人類を「ホモ・サピエンス」と呼んで、先行の旧人や猿人と区別しているのも、この一つであります。ちなみに、ホモ・サピエンスとは賢い人、知性ある人、智慧ある人の意であることは、周知のとおりです。古代インドでも、人間のことをマヌシャと呼びましたが、これは「思惟する人」の意で、やはり智慧を人間の特質とする考え方からでたものであります。なお、これは言語学の問題になりますが、同じインド・ゲルマン語系であるドイツ語で、人間をメンシュと言うのは、このマヌシャの転化と考えられます。
 ともあれ、智慧によって人間は、あらゆる現象を正しく把握し、そこに貫かれている因果の法を究めたのです。それによって、ある事象が起きた時に、次にどのような事象が起こるかを予知し、それに対応できるようになったのであります。
 このように、人間が自然の脅威から身を守るためにも、また自然の力を応用して価値を創造していくためにも、智慧は重要な力であった。生物学的に言えば、かよわい存在である人間が、今日まで生き延びてこられたのは、智慧あったればこそといっても過言ではありません。
 それはそれとして、この強力な智慧によって、人間は、他のあらゆる生物を制覇し、自然を破壊し、ひいては、自らの生存を危機に陥れているのが実情であります。この時にあたって、何よりも求められるのは、外界の事象に対して振るう智慧の力を、内なる自己すなわち生命を知る智慧によって正しく調整することでありましょう。この内なる自己の智を説き明かしたのが仏法であり、そのゆえにこそ、仏法の智慧が、今日の人類にとって最も要請されていることを、私は強く訴えておきたいのであります。
17  以上のように、六波羅蜜は、人間が人間らしく生きるための条件を実に見事に説き示しているわけですが、過去の思想、宗教は、それらのいずれかを、個々別々に説いたにすぎない。六波羅蜜は、それを総体として完壁に明かしている。ここに大事な意義があります。
 それは、これらの条件は、いずれも大切でありますが、もし、その一つ、二つのみにとらわれたならば、行き詰まってしまうし、偏頗になり、偏狭にさえなってしまうからであります。
 もし布施、利他のみにとらわれたならば、現実社会に生きる人々は、ほとんどが絶望感に陥らざるをえないでしょう。また、持戒のみを事とするいき方は、発展性を失い、固定化、歪曲化を招くでしょう。忍辱のみを強調した場合は、悪の跳梁を許すことになるでしょうし、精進のみでは、人を踏みにじっても、ということになりかねません。禅定のみの場合は、現実社会から遊離し、独善主義に走る危険がありますし、智慧のみでは、狡猾になってしまうでしょう。
 したがって、本当の意味で人間らしいと言えるのは、これらの条件が、その正しい時と所を得て発揮されていることが大切であります。
 その意味で、六波羅蜜として総括して示されていることに重要な意義があるのでありますが、更には、無量義経のこの文に明かされているように「六波羅蜜自然に在前す」ということが大事なのであります。
 すなわち、この文は、妙法を受持した時、六波羅蜜の全体が、おのずと具わってくるということであり、言い換えると、この妙法蓮華経こそ、六波羅蜜のあらわす諸条件を、正しい調和を保って顕現させる当体であるということなのであります。
18  十界の生命作用が本有の尊形と輝く
 しかも、六波羅蜜とここで言っているのは、成仏を目指す菩薩の修行という観点からであって、より根本的に言えば、十界、三千のことごとくが、この妙法蓮華経の一法に具わり、そのそれぞれがその所を得てあらわれてくるのであります。
 どこまでいっても十界三千を具えているのが凡夫であり、人間が人間として生きていくには、そのいずれが欠けてもなりません。それが”生命”の正しい姿であります。ただ、その働きが偏向を生じ、働く場を誤ったところに、悩み、苦しみが生じます。
 南無妙法蓮華経は、一切を具足し、統合させていく力であります。
 本抄に「其の本尊の為体本師の娑婆の上に宝塔空に居し塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏……」と仰せのように、南無妙法蓮華経という根源の一法を中心にした場合には、地獄界から仏界にいたるまでの種々様々な生命作用が、本来の正しい位置を与えられ、本有の尊形と輝くのであります。
 互具であるべき十界の個々が離ればなれになり、断絶と孤独、悩みの淵をさまよっていたものが、自らの位置を回復し、自然に本来の機能を発揮するのであります。ゆえに円教と言うのであります。
 これを私どもの実践にあてはめて言えば、御本尊を根本とする人生には、行き詰まりも挫折もなく、そこには六波羅蜜にわたる一切の修行の功徳が、おのずと具わってくるでありましょう。唱題によって妙法と合致した生命は、同時に大宇宙の生命を呼吸しつつ、あらゆる障害を跳躍台に、そして逆風を追い風に変えつつ、ダイナミックな回転の輪を、幾重にも広げていくのであります。
 私どものあらゆる振る舞いは、深き一念の所作として、南無妙法蓮華経を”体”とした”用”として、見事に所を得ていくものであります。
 御書にいわく「南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや、鬼子母神・十羅刹女・法華経の題目を持つものを守護すべしと見えたり、さいはいは愛染の如く福は毘沙門びしゃもんの如くなるべし、いかなる処にて遊びたはふるとも・つつがあるべからず遊行して畏れ無きこと師子王の如くなるべし
 もとよりこれは、御本仏の御境界ではありますが、凡愚の私どもも、御本尊根本の信心を貫き通すならば、必ずやその一分に浴することができるのであります。「六波羅蜜自然在前」の意義であります。
 ゆえに恩師も「功徳の大海に思うがままに遊戯する、自在の境涯を会得せしむるために、忍辱の鎧を著、慈悲の利剣をひっさげて戦うのである」と述べております。皆さん方も、こうした大福運と大満足の人生を贏(か)ち得ていってくださるよう、お願い申し上げます。
19  具足の道の本体は妙法
 法華経に云く「具足の道を聞かんと欲す」等云云、涅槃経に云く「薩とは具足に名く」等云云、竜樹菩薩云く「薩とは六なり」等云云、無依無得大乗四論・玄義記に云く「沙とは訳して六と云う胡法には六を以て具足の義と為すなり」吉蔵疏に云く「沙とは翻じて具足と為す」天台大師云く「薩とは梵語なり此には妙と翻ず」等云云
 法華経方便品にいわく「一切を具足する道をお聞きしたい」と。涅槃経にいわく「薩とは具足のことである」と。竜樹菩薩いわく「薩とは六である」と。『無依無得大乗四論玄義記』にいわく「沙とは六と訳す。インドでは六をもって具足の義となすのである」と。吉蔵の法華経義疏にいわく「沙とは翻訳して具足となす」と。天台大師いわく「薩とは梵語であり、ここには妙と翻訳したのである」と。
20  ここは、前の無量義経の文を受けられて、妙法蓮華経即御本尊が一切の因行果徳を具足していることを裏づけるために、経文及び論釈を挙げられているところであります。最初の「法華経に云く……」の文は、方便品にあるもので、一座の大衆の疑問を、舎利弗が代表して仏に質問した言葉であります。
 この要請に答えて、釈尊は開示悟入の四仏知見を明かし、すべての衆生に一仏乗の法を得させることが、仏の一大事因縁であることを述べるのであります。この一仏乗の法が法華経の全体を明かしているものであり、それこそ妙法蓮華経にほかならないのであります。したがって、舎利弗が仏に聞いた「具足の道」の本体は、妙法蓮華経となるのであります。
 次に「涅槃経に云く……」以下の文は、妙法蓮華経の”妙”にあたる梵語の「薩」や「沙」が具足、六の意味になることを明らかにされております。
 ご存知のように、法華経の梵語の題名は「サ・ダルマ・フンダリキャ・ソタラン」と言い、これをそのまま音写しますと「薩達磨・芬陀梨伽・蘇多覧」となる。これを鳩摩羅什が、その意味を訳して「妙法蓮華経」としたのであります。
 「御義口伝 南無妙法蓮華経」には「又云く梵語には薩達磨サダルマ芬陀梨伽フンダリキャ蘇多覧ソタランと云う此には妙法蓮華経と云うなり、薩は妙なり、達磨は法なり、芬陀梨伽は蓮華なり蘇多覧は経なり」とあります。ここに「薩は妙なり」とあるように、妙法蓮華経の”妙”にあたるのが、もとの梵語の”薩”なのであります。
 『無依無得大乗四論玄義記』の文には「沙とは訳して六と云う胡法には六を以て具足の義と為すなり」と記されております。これは、涅槃経の「薩とは具足」、竜樹の『大智度論』の「薩とは六」を受けて、なぜ同じ「薩」(沙)と言う言葉が一方では具足、もう一方では六と説明されるのかを、中国、唐代の学僧・慧均の文によって解明されているわけであります。すなわち「胡法には六を以て具足の義と為す」とあるように、胡法すなわちインドの習わしでは、六を具足の義としたからであると言われている。
 なぜ、六が具足の義とされたか。これも興味をそそる問題でありますが、おそらく、古代インドで、六をもって満数とする習慣があったと考えられます。これは、一日を十二刻、二十四時間、一年を十二カ月、角度を三六〇度、また十二支、十二を一ダースとする等、六を基調とする数え方の慣習は、今も世界的にいたるところにある事実にもうかがわれるのであります。
 ともかく、妙法は一切を具足するのであります。それは、妙法が宇宙森羅万象を貫いて脈動する”生命”そのものの法であるからにほかなりません。
 「蒙古使御書」にも「外典の外道・内典の小乗・権大乗等は皆己心の法を片端片端説きて候なり、然りといへども法華経の如く説かず」とお示しのとおり、妙法は”生命”を、余さず説き尽くしているのであります。それに対して、外典、爾前権教の諸経典は”生命”を部分部分に分割して説いているにすぎません。
 したがって、一切の経典、並びに外典の思想、哲学は、妙法に具足するのであり、妙法に支えられて初めて蘇生するのであります。六波羅蜜の修行に代表される釈尊の仏法の因行果徳の二法が妙法の五字に具足されるのも、まさに妙法が、生命の全体を把握した究極の法にほかならないからであります。
21  受持即観心の義を明示
 私に会通を加えば本文を黷が如ししかりと雖も文の心は釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う
 私に会通を加えるならば、かえって引用した文の意をけがすことを恐れるのであるが、その文意は、釈尊の因行と果徳の二法は、ことごとく妙法蓮華経の五字に具足している。我らがこの五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給うのである。
22  これまでの引用の文を受けて、受持即観心の義を正しく釈されたところであり、本抄の中でも肝要中の肝要といえる個所であります。
 「私に会通を加えば本文を黷(けがす)が如し」とは、どこまでも経文並びに論釈を重んじ、自分勝手な解釈を慎まれた謙虚な姿勢を示されております。
 しかしながら、これらの経論から明確に、間違いなく結論できるとして仰せられているのが「釈尊の因行果徳の二法は……」以下の、あまりにも有名な御文であります。
 これこそ、仏法の究極であり、一切衆生成仏の根源を明快に断言された、珠玉の御金言であります。
 すなわち、前にも掲げましたが、日寛上人が「観心本尊抄文段」において「この本尊の功徳、無量無辺にして広大深遠の妙用あり。故に暫くもこの本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うれば、則ち祈りとして叶わざるなく、罪として減せざるなく、福として来らざる在く、理として顕れざるなきなり」(文段集四四三㌻)と仰せのように、この御文は私どもが日夜拝している御本尊の広大無辺の功力と尊貴さを、実に明快に示されております。
 恩師戸田城聖先生も、生前、ことあるごとにこの御文を引き、病気や貧困と必死に戦う人々に、最大の激励とされておりました。
 まさに「私に会通を加えば本文を黷が如し」とは、今、この御文を講義している私自身の痛感しているところであり、拙い解説や講義を加えようものなら、大聖人のお叱りを受けるのではないかと恐れるのであります。
 どうか、この御文をしっかりと胸に刻み、その妙法蓮華経の五字を御本尊として顕し、私どもに譲り与えてくださった日蓮大聖人の大慈大悲に、心から報恩の誠を尽くしていってほしい、と念願いたします。
 ともあれ、今この御文を拝する時、重々の深義が秘められていることを実感いたします。
 言うまでもなく、一つは文字の意味から、このまま顕されているところであり、インド応誕の釈尊のあらゆる因位の修行によって得た功も、仏果を成じてからの衆生救済の大行動による徳も、すべて妙法蓮華経の五字に具足されており、私どもはこの妙法を受持することによって、おのずからその一切の功徳を譲り与えられるということであります。
 ひとことに「釈尊」といっても、そこには、様々な意味が含まれていることを知らなければならない。日寛上人は「観心本尊抄文段」や「末法相応抄」において、そこに六つの意味を立て分けられております。
 すなわち、インド応誕の釈尊は、蔵・通・別・同の四教を説く過程に即して、それぞれ蔵教の釈尊、通教の釈尊、別教の釈尊というふうに、仏身を現じてきた。更に円教である法華経においても、迹門の釈尊、本門文上の釈尊と異なりがあります。
 以上五つの釈尊が、釈尊の仏法の領域であるのに対し、日蓮大聖人は、寿量文底に秘沈せられた南無妙法蓮華経を説く、末法の御本仏としての本地を明らかにされているのであります。これ文底の釈尊であり、釈尊といっても、このように多義にわたることを心得ていかねばなりません。
23  広大無辺の功徳具う御本尊
 さて本抄に「釈尊の因行果徳の二法」と仰せられているのは、これらすべての意義を含んで言われており、しかも釈尊の功徳のみならず、あらゆる仏の諸法の力を包含しております。
 ゆえに日寛上人は「観心本尊抄文段」において「一切諸仏の因位の万行、果位の万徳、皆悉くこの妙法五字に具足するなり。故に本尊の功徳無量無辺にして広大深遠の力用を備えたまえり。而るに但『釈尊』というは即ちこれ一を挙げて諸に例する故なり」(文段集四八五㌻)とされているのであります。
 実に御本尊は、十方三世の諸仏の因位の万行、果位の万徳の凝結した宝珠であり、しかもそこに、宇宙をも包む偉大なる力用が具足されているのであります。
24  ではインド応誕の釈尊は、どのような因行、果徳を明かしているのかということについては、この段の前文の質問として詳しく挙げて述べておられます。
 要約して言えば、爾前迹門の始成正覚の立場でいっても、その因位の修行は三千塵点劫にわたり、能施太子、儒童菩薩、尸毘王、薩埵王子等として仏道を行じ、あるいは多くの仏に供養をしている。果位の菩提樹下で成道してからの功徳も、凡夫の想像を絶する大変なものであります。更に本門の久遠実成の立場で言えば、その因位の修行は、五百塵点劫以前の菩薩道であり、果徳にいたっては「十方世界に分身し、一代聖教を演説して、塵数の衆生を教化し」と明かされているように、始成正覚の立場の遠く及ばぬ膨大なものなのであります。
 始成正覚の立場でも、その修行がいかに苛烈を極めたものであったかは、私どもは、雪山童子や楽法梵志の例によって学んでいるところであります。
 ここでは、本抄にも挙げられている薩埵王子について触れてみたい。
 無量世の昔、ある国に大車という国王がおり、その国王に摩訶波羅、摩訶提婆、摩訶薩埵という三人の王子がいた。
 ある時、王は三子を連れて野へ出かける。大竹林の中を進んでいるうちに、一匹の傷ついた虎に出あう。かなりの重傷らしく、獲物をあさる力もなく、ひどく飢えているようである。周りには、生まれてから七日ほどたったぐらいの七匹の子供が取り囲んでいる。
 波羅が言うには「この虎は七匹の子を産んで飢えきっている。そのうち、きっと子まで食べてしまうだろう」と。また提婆はそれを聞いて「かわいそうに、この虎はまも、なく死んでしまう。何とかして助けてやれないものだろうか」と言う。
 それを聞いて薩埵は、心中深く「我が身は、百生千生を経ても、むなしく朽ちてしまう。しかも、何の利益も及ぼすことができない。ならば、何とかして今、命を捨てることができないだろうか」と思う。
 そして、兄二人が王宮へ帰ったのちに、衣服を脱いで、虎の前に我が身を投げだす。しかし虎は、薩埵の威勢に恐れをなしたのか、一声うなったのみで手を出そうとしない。そこで薩埵は、断崖をよじ登り、はるか下の飢えた虎の前をめがけて身を投げる。
 しかし弱っている虎は、その肉体に牙をかける力もない。そこで薩埵は、身を引きずるようにして一本の乾いた竹を手にし、自分の頸動脈に突き刺す。飢えた虎は、鮮血をしゃぶり、たちまち勢いづいて、薩埵王子の肉体を骨だけ残すのみで食べ尽くしてしまう――。
 釈尊は、阿難に向かってこのような故事を語り、その薩埵王子が、実は自分の因位の修行の姿であったことを明かすのであります。「捨身飼虎」として知られている物語であります。
 経典には「是の時に大地六種に震動して、風の水を激するが如く、涌き没みて安らかならず、日は精明無くして羅喉の障の如く、諸方暗蔽して復た光暉無く天は名華及び妙香末を雨らし、繽紛として乱れ墜ちて林中に偏満す。爾の時虚空に諸の天衆有り。是の事を見己りて随喜の心を生じ、未曾有なりと歎じ、咸共に讃言すらく……」(国訳大蔵経 第一書房版)とあります。
 これは一つの説話であり、釈尊の因位の修行の壮絶さを説いたものであります。これらの因位の修行も、妙法の広大無辺の功力のほんの一部に位置づけられてしまうのであります。しかし、この功徳は釈尊の仏法における因果をよく示しています。過去の因によって現在の果があるという原理であります。
25  御本仏の比類なき大慈悲
 これと関連して恩師は、よく”浄玻璃の鏡”の譬えを引かれておりました。
 その鏡は、閻魔庁の光明王院の中央にかかっており、業鏡とも呼ばれている。亡者が閻魔のそばへ行って「お前は、生きている間に、こんな悪いことをしただろう」と言われると「何もそんな悪いことをしておりません」と答える。すると閻魔は「そこにある浄玻璃の鏡を見よ」と言う。するとその鏡に、生前の悪事の数々が、余すところなく映しだされるというのであります。
 単なる勧善懲悪ではなく、生命にはごまかしのきかぬ因果応報があるということを、譬えを借りて示しているのであります。
 恩師は「この裟婆世界においては、我々のこの身、この境遇が、浄玻璃の鏡なのである。過去世に我々のなした業が、この現世に我々の心身に業報として感ずるのである」と述べています。
 これが、誰人も逃れることのできない、生命というものの真実の相なのであります。これを避けて通ろうとしても、絶対に避けることも逃れることもできません。その衆罪衆禍を滅尽させんがために、釈尊は、歴劫修行の重要性を説いたのであります。
 しかしながら、これは本文の一往、文上の義である。この御文を、文底仏法の日蓮大聖人御自身の立場に拝するならば、無始永遠の過去から大聖人は、無作三身の仏として「百六箇抄」にあるごとく「本因本果の主」(御書八五四㌻)として、無量無辺の因果の功徳を具されております。
 しかも、そこには、日寛上人が「一を挙げて諸に例する」と述べておられるように、釈尊一仏でなく、あらゆる仏の徳分を、すべて含んでいるのであります。そして、御自身の一切の因行果徳を三大秘法の御本尊として、そのまま移されたのであります。
 「日蓮がたましひすみにそめながして・かきて候ぞ信じさせ給へ、仏の御意は法華経なり日蓮が・たましひは南無妙法蓮華経に・すぎたるはなし」との仰せは、これをはっきり言いきられており、釈尊の仏法の月光の次第に失せゆくなか、太陽の仏法の赫々たる出現を宣言せられているのであります。
 まさしく、仏法史、いな人類三千年の歴史を画する一大事であると拝する以外にありません。
 御自身の久遠元初の南無妙法蓮華経如来としての御生命を、妙法五字に包み「我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」と、私ども末代幼稚に与えてくださったのであります。
 私はこの「譲り与え給う」との御文に、御本仏の比類なき大慈悲が感じられてならない。なぜなら、久遠元初の生命といっても、仏法哲理の極理を極めた難信難解の法であり、凡夫の容易に知りうるところではありません。私どもが今、それに触れることができるのは、七百年前の歴史の現実のうえに、日蓮大聖人が御出現になったからであります。
 「旃陀羅せんだらが家より出たり」と仰せになり、自ら凡夫の姿をとりつつ、事実のうえに「因行果徳の二法」を示してくださったからであります。しかも、その偉大な力と無量の功徳を御本尊にとどめられ、末法万年の衆生をうるおす本源の力として残されたのであります。
26  「受持」の一念に輝く大功徳
 「我等此の五字を受持すれば……」とは、この御本尊に帰依する受持の一念の中に、もったいなくも日蓮大聖人の御命、そして久遠元初の自受用身如来の命が通ってくるのであります。それこそ、宇宙本然の姿である万法の体に合掌冥合しゆく尊い座であり、そこには、一切を包括し、統合し、作動させていく、あふれるばかりの力が秘められているのであります。
 私どもは、御本尊に南無する今の一瞬において、根源の法に立っているのであります。そこから、社会に、人生に、我が当体に、妙法五字を顕現していくのであります。
 言わば釈尊の仏法が、百千枝葉が一根に趣くように、妙法へと向かう努力、精進であったとすれば、私ども受持の当体には、妙法を百千枝葉へと展開する未曾有の宗教運動の世界が、豁全と眼前に開かれていくのであります。
 そして今、この元初の太陽が、全世界を照らしつつある――。思うだに感無量であります。
 更に敷衍して言えば、私どもの眼前には既存のあらゆる体制、イデオロギーというものが、あたかも峨々たる高山のごとくそびえ立っている。その既存の鉄鎖は、がんじがらめに人々を呪縛し続けているようであります。人類は、自らが生みだしたものの重圧の下に従属させられ、あえいでおります。大聖人の仏法は、その主客転倒、本末転倒を正す、壮大なる逆転劇なのであります。これまさしく、一個の人間の命は地球よりも重いという、人間ないしは生命を王座にすえ、はるか二十一世紀を望む哲理の光芒といえましょう。
 この根源的変革運動に、難が競わないはずがありません。妨害の波浪が高まらないはずはないのであります。どうか皆さんは、人生と広布の途上に何が起ころうとも、未聞の大業なるがゆえの必然の試練と受け止め「賢者はよろこび愚者は退く」の御金言のままに、胸を張って進んでいってください。
 誰人も、それぞれの悩みを持ち、また将来にかける夢をいだいております。病弱の人が健康になりたいという願い、住むに家なき人がせめて一家団欒の場を持ちたいという切なる願望、自らの色心に荒れ狂う貪欲、修羅の衝動を克服しようとする必死の努力等々――こうした多種多様な願いを持ちながらも、なすすべを知らず、悶々として楽しまざる日々を過ごしているのが、通常の人生といえましょう。
 だが本因妙の仏法においては、いかなる人であれ、自らの願いを、久遠元初の妙法の当体である御本尊にかけることにより、未来の輝ける人生が開けゆくのであります。
 いな、厳密に言えば、人それぞれの願いが、久遠の本因と冥合した瞬間、因果倶時で、結果そのものが生命の内奥にはらまれてしまうのであります。電源にスイッチを入れたとたん、暗かった部屋の隅々まで電光に照らしだされるように、その瞬間、すでに生命の奥底では、宿命転換が成し遂げられ、未来の実証を呼び寄せる永遠無量の宝珠が積まれているのであります。
 これ、ひとえに宇宙本源の当体たる御本尊に、三世十方の諸仏の因位の万行、果位の万徳がそなわっているからであり、御本尊の仏力、法力の無量無辺なるがゆえであります。もはや釈尊の爾前経の仏法のように、過去の悪業を未来永劫にわたって断ちゆく修行をする必要はありません。
 たとえ過去に少しも福運を積んでいないとしても、御本尊を信じ祈る一念の中に、因位の万行が流れ込み、果位の万徳が満ちあふれ、未来の燦たる黄金道の実証を、現在のこの瞬間に開くことができるのであります。
 ゆえに大聖人は、流罪の地・佐渡において「当世・日本国に第一に富める者は日蓮なるべし」とも、また「流人なれども喜悦はかりなし」とも仰せなのであります。
 ともあれ、御本尊の御建立によって、末代の荒凡夫の私どもが、久遠元初の御本仏の生命と感応し、合一できる道が開かれた。いな、一切衆生を久遠元初の仏と同じ尊極の当体ならしめようとされたところに、御本仏大聖人の大願があったのであります。
 「御義口伝」には「此の我等を寿量品に無作の三身と説きたるなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱うる者是なり」と仰せられ、「今日蓮が唱うる所の南無妙法蓮華経は末法一万年の衆生まで成仏せしむるなりあに今者已満足こんじゃいまんぞくに非ずや」と言いきられております。
 ただし、言うまでもなく、御本尊を受持するといっても、大切なのは信の字であります。しかも「受くるは・やすく持つはかたし・さる間・成仏は持つにあり」と仰せのように、信の一字をどとまで持続させ、深めていくか――そこに観心の成就のカギがある。
 「一生成仏抄」に「深く信心を発して日夜朝暮に又懈らず磨くべし何様にしてか磨くべき只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを是をみがくとは云うなり」と仰せのように、朝晩の勤行を欠かすことなく、たんたんと水の流れるような信心を貫いていっていただきたいことを強くお願い申し上げます。
27  四大声聞の歓喜は我が歓喜
 四大声聞の領解に云く「無上宝聚・不求自得」云云、我等が己心の声聞界なり
 法華経信解品には四大声聞の領解の言葉として「無上の宝聚を求めずして自ら得たり」とある。これは我等己心の声聞界を示している。
28  譬喩品の”三車火宅の譬え”を聞いた中根の四大声聞、すなわち摩訶迦葉、迦栴延、須菩提、目犍連の四人が、領解した喜びを述べた言葉であります。
 一切の仏法の究極であり、釈尊の因行果徳のすべてを収めた具足の法である妙法を、いま我々は求めずして得ることができた、ということです。それは、この妙法を説いてくれた仏への感謝をあらわした言葉でもある。
 言うまでもなく、法は求めてこそ得られるものであります。しかるに「求めざるに得たり」とは、仏の大慈悲のゆえと言わなければなりません。だからこそ、四大声聞は心から歓喜し、仏に感謝の気持ちを込めて、この言葉を述べたのであります。
 しかし、もう一歩厳密に言えば、これら声聞の弟子達は、何ものも求めなかったわけではありません。まさしく、それをあらわしているのが三車火宅の譬えであります。
 この譬え話をここで詳しく述べることはいたしませんが、長者が火事になった家から子供達を誘い出すために、日ごろ子供達が欲しがっていた羊車、鹿車、牛車が、いま門の外にあるから出てごらん、と呼びかける。子供達が急いで出てきたのは、そういった車を欲しがっていたからです。
 三車とは、声聞、縁覚、菩薩の三乗の法をあらわしております。これら三乗を求める心は、極めて強いものがあったわけであります。しかし、父の長者は、子供達に三車でなく、ずっと素晴らしい大白牛車を与えた。すなわち、三乗の法でなく、最高の一仏乗の法、妙法を与えたということであります。
 一仏乗の法、成仏の境界は、あまりにも高く壮大で、声聞の弟子達にとっては、想像すら及ばないものでありました。想像できないくらいですから、それを求める心が起きなかったのは当然です。
 求めたのは、三乗の法という小さな安っぽい宝石でありましたが、この法華経にいたって仏から与えられたのは、求めもしなかった一仏乗の妙法という無上宝聚であったというのが、この文の意味であります。
 これは、そのまま、末法の今日の御本尊を信受した私どもにも、当てはまるのではないでしょうか。御本尊を信受しようという気になった動機は、ほとんどの場合、人生、生活のうえでの、低い次元の小さな願いであったに違いありません。成仏という最高の境界を思い描いて、それにあこがれて信心に入ったという人は、おそらく皆無に等しいでしょう。
 むしろ、仏といえば死んだ人のことと思い、成仏とは死ぬことだぐらいの認識しかありませんから、成仏を目指そうなどと言われると「縁起でもない」と思った人がいるのではないでしょうか。
 ところが、信心を始めて、仏法を深く学ぶにつれて、仏とは決して死人のことではなく、智慧と福徳と生命力に満ちた、最高の人格完成の姿であることが理解できるようになった。そして御本尊は、単に小さな願いを実現させてくれるだけの存在ではなく、仏の生命の当体であり、私ども凡夫を無上の仏にしてくださる尊極の宝聚であることを、次第に明確に知るにいたったのであります。
 まさしく「無上宝聚・不求自得」と叫んだ四大声聞の歓喜の生命は、御本尊を受持した私どもの己心の中にあるのであります。
29  信力、行力を奮い起こす精進を
 次に「自得」ということでありますが、「自ら得る」とは、自らの中に得ていくことであり、自らの力で得るということであり、更に自由自在に得ていくことであります。
 仏界の大生命は、御本尊と自身との真剣な冥合の作業のなかに涌現するものであり、所詮、自得とは信心であり、受持即観心であります。御本尊は絶対の対境であり、御本尊なくしては私達の成仏、観心はありえない。
 しかし同時に、受持すなわち、自らの信心より発する修行精進がなければ、御本尊の功力が顕れるはずがないことも明らかであります。
 なお、声聞界とは、声を聞くという名称が示すように、仏の説法、仏法の話を聞き、求める求道心をあらわします。求道の心とは、自らの現状に甘んずることなく成長し、向上していこうとする心です。そうした求道、向上の心があってこそ、仏法の偉大さ、素晴らしさは身にしみて感じられ、理解されてくることを忘れてはなりません。
 この声聞について、信解品には、四大声聞が「無上宝聚・不求自得」と領解したことによって、いわゆる二乗根性を大きく脱皮して、真の声聞への大転換を成し遂げたことが説かれております。
 「我等今者 真に是れ声聞なり 仏道の声を以って 一切をして聞かしむべし 我等今者 真に阿羅漢なり 諸の世間 天人魔梵に於いて 普く其の中に於いて 応に供養を受くべし」(妙法蓮華経並開結二七五㌻)と記されております。
 すなわち、自己の悟りのためにのみ、仏の声を聞いていた声聞達が、ひるがえって、人々のために、仏の声を聞かしめる声聞として、見事によみがえったことをあらわしております。
 法華経以前の声聞について「開目抄」には「二乗は自身は解脱と・をもえども利他の行かけぬ設い分分の利他ありといえども父母等を永不成仏の道に入るれば・かへりて不知恩の者となる」と破折されています。
 寂しい、孤独の世界に陥っていた声聞、増上慢とエゴイズムの暗闇の淵に沈んでいた声聞、また、それゆえに爾前権教において厳しく問責され、自身が低くみていた大衆からもかえって軽んじられた声聞が、法華経にいたって、仏界という思ってもみなかった無上の宝聚を得て、大衆の中へ仏の声を聞かしめる戦いへと出で立っていったのであります。
 長い叱責に耐えて仏に随従してきた声聞達は、法華経のこの開会を聞き、どれほど歓喜し、弘教の誓いを新たにしたことでありましょうか。経にいわく「歓喜踊躍」と。今こそ、声聞の真実の使命が明らかにされたのであります。
 この法華経の開会がなければ、声聞の修行はただいたずらごとにすぎません。法華経のこの二乗作仏が、珠玉の原理とされるのはそのゆえであります。
 「我等が己心の声聞界なり」とあるように、我が己心の声聞も、また法華経の声聞として、仏の声を聞かしめる戦いへと回転させていくべきでありましょう。
 「御義口伝譬喩品九箇の大事」には信解品の「仏道の声を以て一切をして聞かしむ」との文に関して、次のように記されております。
 「よって身子此の品の時聞此法音と領解せり、聞とは名字即法音とは諸法の音なり諸法の音とは妙法なり、ここを以て文句に釈する時長風むことしと長風とは法界の音声なり、此の音声を信解品に以仏道声令一切聞と云えり一切とは法界の衆生の事なり此の音声とは南無妙法蓮華経なり
 仏道の声とは、まさしく南無妙法蓮華経であります。一切とは一切衆生のことである。一切の衆生の生命内奥から尊極なる仏界を涌現せしむる力こそが、妙法なのであります。
 ゆえに、南無妙法蓮華経の声を自ら聞き、体得するとともに、三悪道、六道の巷を巡りゆく民衆に聞かしめてこそ、真の声聞、真の弟子となるのであります。したがって、五濁悪世の真っただ中で、名字凡夫の当体のまま妙法弘通に邁進する地涌の菩薩こそ、真実の声聞であります。
 ある識者が「声は生命である。生命の奥深いところから発するものである。その声の響きは、宇宙に向かって発せられている」という意味の発言をしていましたが、誠に含蓄の深い言葉であります。
 音吐朗々たる勤行、唱題の声は、まさにこれであり、いかなる名音楽にもまして宇宙と人間の生命を揺り動かしていくでありましょう。またその人が、ひとたび実践の立場に立てば、大誠実より発するその音声は、硬く凍てついた大地をたたき割るように、人々の心を閉ざす三毒の殻を、必ずや打ち破っていくものであります。
 「若し能く駈遣し呵責し挙処せば是れ我が弟子真の声聞なり」との涅槃経の文は、このことを指しているのであります。
30  妙覚の釈尊は我らが血肉
 「我が如く等くして異なる事無し我が昔の所願の如き今は已に満足しぬ一切衆生を化して皆仏道に入らしむ」、妙覚の釈尊は我等が血肉なり因果の功徳は骨髄に非ずや
 方便品には「私(釈尊)がその昔に誓願した、衆生を私と等しくして異なりのないまでにしようという誓いは、今はすでに満足した。一切衆生をして皆仏道に入らしめることができた」と説かれている。妙覚の釈尊は我らの血肉であり、その因果の功徳は我らの骨髄ではないか。
31  この段について、日寛上人は、自受用身に約して師弟不二を明かした文とされております。
 引用の方便品の文のままで言えば「我が如く」の”我”は、まだ迹門始成正覚の釈尊であります。しかし、大聖人がここで引用された元意から言えば、この”我”は、久遠元初の自受用身と拝するのが当然であります。ゆえに日寛上人は「自受用身に約して」と釈されているのであります。
 この点については「御義口伝方便品八箇の大事」の「如我等無異如我昔所願」の項に「我とは釈尊・我実成仏久遠の仏なり此の本門の釈尊は我等衆生の事なり、如我の我は十如是の末の七如是なり九界の衆生は始の三如是なり我等衆生は親なり仏は子なり父子一体にして本末究竟等なり、此の我等を寿量品に無作の三身と説きたるなり」と述べられていることを考えあわす時、更に明瞭となりましょう。
 したがって「如我」の”我”とは末法御本仏日蓮大聖人であられます。御本尊を受持し、真剣な唱題に励む時、私どもの凡身が即、御本仏日蓮大聖人と全く等しい、無作の三身とあらわれるとの仰せであります。
 「妙覚の釈尊は我等が血肉なり」とは、それを言われている。「妙覚の釈尊」とは無作三身如来であり、「我等が血肉」とは凡夫の肉身であります。すなわち、凡夫即極の原理を仰せられたものにほかなりません。ここに「我等」とありますが、これはもとより、別しては日蓮大聖人のことであるのは言うまでもありません。
 「因果の功徳は骨髄に非ずや」とは、これまで繰り返し申し上げたごとく、無作三身、自受用身の仏の因果の功徳が、ことごとく御本尊を受持する私どもの生命の中に具わるとの仰せであります。
 なお「因果の功徳」を更に掘り下げて言えば、因とは九界であるがゆえに、凡夫、人間としてのあらゆる幸せをいい、相対次元の幸福になります。それに対して、果とは仏界でありますから、仏としての内奥に開かれた絶対的幸福をいうと考えられます。
 ともあれ、三大秘法の御本尊を受持した時「妙覚の釈尊は我等が血肉なり」とあらわれることを、日寛上人は「我等この本尊を信受し、南無妙法蓮華経と唱え奉れば、我が身即ち一念三千の本尊、蓮祖聖人なり」(文段集五四八㌻)と教えられております。
 久遠元初の自受用身としての大聖人の御生命を顕されたのが御本尊であり、ゆえに、御本尊を信受して南無妙法蓮華経と唱える時、私どもも自受用身の当体となる。師匠である大聖人も自受用身、弟子である私どもも自受用身であり、師弟不二となるのであります。
 この段を拝するたびに、私は、日蓮大聖人の一切衆生を成仏させんとの大慈悲と、仏法の本源的な平等観の深さを思わざるをえないのであります。
32  一人の人間の色心こそ最も尊貴
 古今のほとんどあらゆる宗教は、人間を超えた何らかの”絶対者”を設けるのを常としてきました。西欧の宗教などでは、人間と神との間に深い断層があり、人間は、ただ絶対神たる神の恩寵にすがる以外にない存在です。ところが仏法においては、我々衆生が仏であり、尊極無上の存在なのであります。
 ゆえにこの大聖人の宣言は、あらゆる人間蔑視の古き宗教に訣別を告げると同様に、権威の”絶対者”の手から人間の尊厳を取り戻そうと模索し続けてきた、近代の多くの人権宣言の根源を射抜く、高らかな人間宣言ともいうべき師子吼であったといってよいと考えます。
 私は、大聖人が「妙覚の釈尊」を「血肉」に、「因果の功徳」を「骨髄」に配されていることに、甚深の意義が感じられてならない。
 「佐渡御書」には、御自身のことを指されて「心こそすこし法華経を信じたる様なれども身は人身に似て畜身なり魚鳥を混丸して赤白二渧とせり其中に識神をやどす濁水に月のうつれるが如し糞嚢に金をつつめるなるべし」と仰せであります。月の映れるがゆえに、金を包めるがゆえに、一人の人間の色心こそ、何にもまして尊貴なのであります。
 三災七難の嵐が荒れ狂う中で、必死に戦い生きていく民衆一人一人に、大聖人がどれほどの愛情の眼を注いでおられたかは、察するにあまりあるでありましょう。「日蓮は・なかねども・なみだひまなし」との仰せが、あたかも肉声のように胸中に響いてならないのであります。
 思うに私どもの信仰も、どれだけこの御本仏の生命に感応できるかということに尽きるといえましょう。一人が一人の宝塔を開き、そのまた一人が一人の宝塔を開く――この地道にして着実な生命の開拓作業の中に、御本尊との感応の響きは、段々と幾重にも、幾次元にも広がっていくのであります。
 インドの詩人タゴールに、次のような言葉があります。
 「偉大な心をもった人の体験から出てくる生きた言葉の意味はどんな体系的論理的な解釈によっても理解しつくされるものではない。それはひとりひとりの生活を通しての理解によって、たえず解明されなければならない。またそれは、ひとりひとりの新しい意味の発見によっていよいよその神秘と奥深さを増すものである」(『タゴール著作集』4、美田稔訳、アポロン社刊)と。
 非常に含蓄の深い言葉であると思います。私どもの御書の拝読は、単に文字を追い理解することで終わるものでは決してありません。生命自体に刻んでいくのであります。「八万四千の法蔵は我身一人の日記文書なり」と仰せのように、仏法は我が身一人の胸中にあるのであります。
 多くの聖典のように、権威の響きをもって、上から人間を教化、訓導するのではなく、生命の内より、生きて生き抜く不壊の力を引き出してくれるのが御書の金言であります。だからこそ、生活の中に生きているのであり、事の仏法なのであります。
 ともあれ、人間の心を最も動かすものは、人間の心であります。大聖人は、自ら凡夫僧の姿をとって御出現になり、常に庶民と哀歓をともにしつつ、心のヒダに触れながら、この原理を私どもに事実のうえで示してくださいました。これは、蔵の財、身の財の次元の満足をはるかに超えた心の財の充足、すなわち絶対の幸福境涯であります。
 その点について、恩師は、次のように述べています。
 「されば、この大宗教を信ずることによって生命のリズムは宇宙のリズムに調和して、生きている幸福をしみじみと感ずるのである。生命の歓喜こそ、幸福の源泉である」
 私どもの一生成仏の目標は、まさにこの一点にあります。「我が如く等しくして異なること無からしめん」との、御本仏の大慈悲に浴する道は、ここにしかないことを確信しつつ、障魔に紛動されず、我が道を進んでいこうではありませんか。
33  己心の仏界に輝く三身
 宝塔品に云く「其れ能く此の経法を護る事有らん者は則ち為れ我及び多宝を供養するなり、乃至亦復諸の来り給える化仏の諸の世界を荘厳し光飾し給う者を供養するなり」等云云、釈迦・多宝・十方の諸仏は我が仏界なり其の跡を継紹して其の功徳を受得す「須臾も之を聞く・即阿耨多羅三藐三菩提を究竟するを得」とは是なり
 宝塔品にいわく「それよくこの経法を護持する者は、釈迦仏および多宝仏を供養する者であり(中略)また、もろもろの来り給える化仏の諸の世界を荘厳し光飾している者を供養することになるのである」と。この釈迦・多宝・十方の諸仏は我らの仏界であり、妙法五字を受持する我らは無作三身の跡を紹継して無作三身の功徳を受得するのである。また「わずかの問でもこれを聞く者は即ち阿樗多羅三親三菩提を究竟して、凡身そのままで名字妙覚の悟りに入ることができる」と言うのはこれである。
34  日寛上人は、ここは「無作三身に約して親子一体を示す」(文段集四八八㌻)段とされております。
 なぜ無作三身に約すかといいますと、この宝塔品の文中の「我」とは釈迦であり、これは無作の報身にあたります。「多宝」は無作の法身、「諸の来り給える化仏」は法華経の会座に来集した十方世界の分身諸仏であり、これはそれぞれの世界に応現した仏でありますから、無作の応身にあたります。この「釈迦・多宝・十方の諸仏」を無作の三身と言うのであります。
 さて、このように法華経の会座に列なった三仏は、無作の三身をあらわしているのであり、「能く此の経法(御本尊)を護る」者は、無作の三身を供養したと同じ功徳で、ちょうど子が親の跡を継ぐように、その跡を継紹して無作の三身とあらわれるのであります。したがって、これは、私どもの己心の仏界をあらわしているといわれるのであります。
 ここで私が強調したい点は、「護る」ということの意義であります。経典には、諸処に法を護れと説かれている。「護る」というと、何か保守的な響きがありますが、単に消極的に護るということではない。真に仏法の流れを滅尽させないためには、よりすすんで人々に伝え、発展させるという姿勢がなければならない。なぜなら、不幸の人々に手をさしのべ弘教していくなかに、真の仏法の生命があるからであります。
 しかも御文には「能く護る」とある。私はこの「能く」ということに注目していただきたいと思うのであります。すなわち「能く」とは、受動ではなく能動であり、また身口意の三業で実践することであります。
 護るとは、まず第一に、徹底して御本尊を護持しぬくことであります。それが、尊い自らの仏界の生命を護りゆくことになるのであります。
 「阿仏房御書」に「多宝如来の宝塔を供養し給うかとおもへば・さにては候はず我が身を供養し給う」とあるごとく、御本尊を護持することは、即我が生命を護持することになるのであります。御本尊におしたためのように、私どもの胸中の仏界は十界三千の様々な生命の渦巻く中にある。修羅の命もあれば、地獄、畜生、餓鬼界の生命もある。更に二乗や菩薩の働きも、本有のものなのであります。
 ゆえに、少しでも油断をすれば、仏界の生命は、九界の厚い雲の陰に隠れてしまうのであります。ゆえに私どもは、常に精進を忘れず、本来、怯いばかりの光沢を放っているこの妙法の主体が障魔の雲によって覆われることのないよう、心して御本尊を護持しぬいていきたいものであります。
 水は、常に流れていなければ腐ってしまいます。生命も同様であります。「月月・日日につより給へ・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし」と仰せのように、朝晩の勤行を欠かさず実践し、日々新たな目標に挑戦し続ける姿勢を貫いてください。
 第二に、自分一人のみでなく、尊い仏子を護っていただきたい。仏子を護ることが、即妙法を護ることに通ずるからであります。
 御書には「伝持の人無れば猶木石の衣鉢を帯持せるが如し」、「持たるる法だに第一ならば持つ人随つて第一なるべし、然らば則ち其の人を毀るは其の法を毀るなり其の子を賤しむるは即ち其の親を賤しむなり」等と仰せであります。ゆえに、仏子を徹底して護り抜くことが大切であります。
 皆さん方にとって、因縁深き仏法兄弟であり、それぞれが尊い使命を持つ、地涌の菩薩の眷属であります。どうかそれらの人々を「当に起って遠く迎うべきこと、当に仏を敬うが如くすべし」(妙法蓮華経並開結六七二㌻)の経文のごとく遇していっていただきたいと思います。
 第三に大切なことは、互いに激励しあい、薫発しあえる尊い仏法教団を護り抜くことであります。大聖人は「されば仏になるみちは善知識にはすぎず、わが智慧なににかせん、ただあつつめたきばかりの智慧だにも候ならば善知識たいせち大切なり、而るに善知識に値う事が第一のかたき事なり」と仰せであります。すなわち、我々凡夫が仏道を成じていくには、善知識にあう以外にない。熱さ冷たさを知るほどの才覚があったならば、ひたすら善知識を求めよ、と述べられているのであります。
 ここで私が訴えたいことは、私ども一人一人が、ほかならぬとの善知識であるということであります。一生成仏と広宣流布という尊い使命のもとに、互いに寄り合って自己を磨く友と友――これが日蓮正宗創価学会なのであります。ゆえに、この尊い法団、尊い同志を大切にし、尊重していくことが、護るということの重要な意義となってくるのであります。
 私どもの教団は、世界的にみれば、まだまだこれからであります。しかし、そこに深く流れ通う御本仏の戚光は、やがて必ずや人類の未来を明々と照らしだすでありましょう。「是あに地涌の義に非ずや」との御金言に照らして、それは私どもの確信であります。ゆえに、自身を護り、正義の仏法教団を護るということは、即、全人類の未来を護ることに通じていくということを知っていただきたいのです。
35  「我聞」は全生命で聞く義
 次に「須奥も之を聞く……」は法師品の文でありますが、ことでいう「聞く」とは、御本尊を受持することであります。
 「聞く」との言葉を、受持、実践の意に拝すべきことを示されている例としては「御義口伝」の「如是我聞」の項があります。そこで大聖人は「我聞とは能持の人なり」との天台の釈を受けて「不信の人は如是我聞の聞には非ず法華経の行者は如是の体を聞く人と云う可きなり」と教示されております。
 したがって「須奥も之を聞く」とは、ほんの一瞬でも御本尊を信受し実践するならば、「阿耨多羅三藐三菩提を究竟するを得」――すなわち、無上の仏の悟りを得ることができるということです。これは、御本尊を信じ唱題しているその瞬間瞬間、私どもの生命に仏界が顕れているとの仰せです。
 この瞬間瞬間の持続、また、真剣な祈りで出発し、報恩感謝の唱題で終わる一日一日の積み重ねのなかに、一生成仏があり、未来永劫の成仏が決定づけられることを忘れてはなりません。
 なお、ここで「我聞」についての『法華文句』の文を紹介しておきます。
 「問ふ、応に耳聞と言ふべし、那ぞ我聞と云ふや、答ふ、我は是れ耳の主、我を挙げて衆縁を摂す、此れ世界の釈なり」
 「聞く」という本義が、ここに明らかに読みとれます。すなわち、単に耳で聞くという作業ではなく、生命全体で迫ることが「聞」の趣旨なのであります。”衆縁”すなわち眼、耳、鼻、舌、身、意のすべてが作動して、”我”すなわち生命全体で聞くのが「我聞」の意義であるというのです。
 また「釈論に云く、凡夫に三種の我あり、見と慢と名字とを謂ふ」という一節もあります。「我」といっても、いかなる「我」なのか、これが問題です。邪見の我や、慢の我であっては、真実の仏法の精神の流入は妨げられてしまうのであります。
 「如是我聞」の「我」とは、具体的、直接的に言えば阿難を指しております。この阿難について、いま挙げた釈論(智度論一)には「阿難は是れ学人、邪我無くして能く慢我を伏す、世の名字に随て我と称するに咎無しと」と説かれている。阿難のごとくに、慢心、邪見等を吹き払って、清浄な求道の生命で迫りゆく時に、初めて「聞く」ことになるということであります。
 「聞を釈せば、阿難は仏の得道の夜生れ、仏に侍すること二十余年、未だ仏に侍せざる時は応に是れ聞かざるべし」との記述もあります。「仏に侍す」ことが「聞」の本義だというのであります。ここから「聞」とは、もはや単に言葉として聞くというものではなく、生命の触れ合いのなかに、その真義があることを知るのであります。
36  「聞くことを喜ばざる」怨嫉
 その生命それ自体の触れ合いを妨げるものが怨嫉であります。御書には「障り未だ除かざる者を怨と為し聞くことを喜ばざる者を嫉と名く」との妙楽の言が引かれております。
 ここに「聞くことを喜ばざる」とある点に注目したい。”忠言耳にさからい良薬口に苦し”といわれているように、自分にとってきらいなこと、生命に痛いことは聞きたくないというのが、凡夫の常でありましょう。逆に、お世辞や甘言に、いとも簡単に乗ってしまう。こうした通性に棹さしていたのでは、そこには自身の成長などありえず、気の合った者や自分の取り巻きにのみ甘え、かえって墓穴を掘ってしまうことは必定であります。
 『太閤記』(吉川英治著)の中に、毛受勝助家照という人物が描かれています。柴田勝家の小姓頭であったのですが、若いに似ず、なかなかの見識の持ち主でありました。ある時、彼は、主君・勝家が、大将としての振る舞いが粗暴にすぎるのをみて、勝家から乞われた本のあるぺージを目につきやすいように折っておく。開いてみるとその個所には、暗に勝家を戒める文々句々が書かれであった。それを読んだ勝家は、露骨にいやな顔をして、それ以来、毛受家照を遠ざけてしまうのであります。
 しかし、真の忠臣はいったい誰であったのか。のちに柴田勝家は、賎ケ岳の戦いにおいて、秀吉軍に壊滅に近い打撃をこうむるのですが、その時、死中の勝家を救ったのが、ほかならぬ毛受家照でありました。彼は敗走する主君に対して、大将の居所を示す馬印を手渡すように、再三にわたって懇願する。そして、ついにそれをもらいうけるや、わずかな手兵を引き連れて、秀吉軍の中に取って返し、壮烈な戦死を遂げる。勝家は、馬印を望む毛受家照の姿を見て、翻然として悔い、悟るのであるが、すでに後悔先に立たずであった。そして勝った秀吉は、毛受家照の首を篤く弔い、彼の母を探しだして、丁重な慰問を行ったと伝えられています。
 もとよりこれは、戦国時代史を飾る忠君道徳にまつわる一つのエピソードではありますが、私はここには、貴重な教訓が含まれているように思います。すなわち勝家は、毛受家照の言を聞くことを喜ばなかったのであります。その安逸におぼれる彼の怠惰と傲りが、後に賎ケ岳の敗北を呼び、北の庄での壊滅をもたらした遠因であったといえましょう。
 ともかく私どもは、積極的に和合の輪の中に飛び込んでいき、自らも語り、人の言うことをよく聞いていくという姿勢を忘れてはなりません。怨嫉ということの恐ろしきは、本来、同心であるべき地涌の連帯の中で、心の壁をつくってしまうことであります。そして、ひとたび壁をつくってしまうと、四壁に閉じ込められた狭い空間の中で、三毒の炎は燃えさかるばかりであります。これでは、自らの福運を消してしまいます。
 ゆえに、個人指導、一人対一人の親身の激励が大切となってくるのであります。組織といっても、せんじつめれば一人の人間をどう成長させるかの一点に、存在意義があるといえましょう。たしかに悩める友、嘆きの友の声を聞いていくことは、大変な生命力を要するものであります。また、自分が苦手な人の前に胸襟を開いていくことは、非常な勇気を必要とするでありましょう。しかし、そこをあえて突破してこそ、自身の人間革命もあるのであり、宮殿堂の奥深く眠っていた友の魂を呼び起こしていくことができるのであります。ゆえに私は、まず勇気をもって動こう、そして友の声を聞き、そして語ろう、と申し上げておきたいのであります。
 御書に「竹の節を一つ破ぬれば余の節亦破るるが如し」と示されています。これは一人の成仏の重要性を述べられたものですが、この譬えを応用して、どんなつらいことがあろうと、それを避けずに「一つの節」を突破するならば、思ってもいなかった境涯が開けてくるものであるということがいえましょう。そのことを確信して、まず祈ることが大切であります。なぜなら御本尊への強盛な祈りが内なる真我を輝かせていくことになるからであります。
37  仏も菩薩も我が生命に厳然
 寿量品に云く「しかるに我実に成仏してより已来・無量無辺百千万億那由佗劫なり」等云云、我等が己心の釈尊は五百塵点乃至所顕の三身にして無始の古仏なり、経に云く「我本菩薩の道を行じて・成ぜし所の寿命・今猶未だ尽きず・復上の数に倍せり」等云云、我等が己心の菩薩等なり、地涌千界の菩薩は己心の釈尊の眷属けんぞくなり、例せば大公・周公旦等は周武の臣下・成王幼稚の眷属けんぞく・武内の大臣は神功皇后の棟梁・仁徳王子の臣下なるが如し、上行・無辺行・浄行・安立行等は我等が己心の菩薩なり
 寿量品にいわく「しかるに我実に成仏してより己来、無量無辺百千万憶那由位劫である」と。我らが己心の仏界たる釈尊は、久遠元初所顕の三身にして無始無終の古仏である。同じく寿量品にいわく「我本菩薩の道を行じて成ぜし所の寿命は今なお未だ尽きることなく、また上に説いた五百塵点劫に倍するのである」と。これすなわち、我らが己心の菩薩等の九界である。地涌千界の菩薩は己心の釈尊の眷属である。例えば太公は周の武王の臣下であり、周公旦は幼い成王の眷属であった。また武内の大臣は神功皇后の第一の臣であり、また仁徳王子の忠義の臣下であったようなものである。上行・無辺行・浄行・安立行等、地涌の大菩薩の上首唱導の師達は、皆ことごとく、我らが己心の菩薩である。
38  この一節は、久遠元初に約して君臣合体を示すと、日寛上人は釈されております。
 すなわち、久遠元初の仏も私どもの己心にあり、地涌千界の菩薩も私達の己心にあることを示し、ゆえに、久遠元初に立脚した私どもの一個の生命の中に、君(仏)、臣(菩薩)ともにあると、合体を明かされているのであります。
 まず寿量品の「然我実成仏……」の文は、五百塵点劫の成道を明かしたものでありますが、大聖人は「五百塵点乃至所顕の三身にして無始の古仏」と仰せのごとく、久遠元初に所顕の無始無終の仏を示されております。
 ここにいう「乃至」とは、後より前に向かって、つまり久遠本果の時から、久遠名字の時をのぞんで「乃至」と言われているのであります。
 したがって「乃至」とは「当初」の意であり、例えば「当体義抄」に「釈尊五百塵点劫の当初此の妙法の当体蓮華を証得して世世番番に成道を唱え能証所証の本理を顕し給えり」とある「五百塵点劫の当初」にあたると拝するのであります。
 また日寛上人の文段によると「我実成仏己来」は、通じて三身を明かしており、我は即無作の法身、成仏は即無作の報身、己来は即無作の応身となります。
 次に「我本行菩薩道」の文は、因位の修行を明かしたものであり、ここでは本因の久遠元初の無始の九界をあらわしております。
 一方、先の「我実成仏」の文は本果の久遠元初の仏をあらわし、この両者がともに私どもの己心にあることが示されているのであります。
 日寛上人は「我本行菩薩道 所成寿命 今猶未尽」を”流入の義”と釈され、例えば「衆流の海に入るが如し」と言われております。すべての河川がやがて大海に注ぐように、仏においては、一切の万行が果徳の海に注ぎ込んでいるとの意であります。
 もとより、これは久遠の仏について言われているのでありますが、この原理は、私達の実践に、おいても、極めて重要なものです。
 世間では、いかに辛酸をなめ努力を重ねたとしても、所期の目的が成就されるとは限りません。むしろ悲しい結末となることが少なくない。因は確実に果をもたらすのではなく、努力が空転し、幾多の悲劇を生んでいるのが現状であります。
 しかし、御本尊を根本とした場合には、因は必ず果に至るのです。いな、果の中にすべての因は流れているのであります。広布のために尽力し、御本尊のために働いたことは、すべて無駄なく自身の財産となっていくのであります。
 ちょうど深山に発した流れが、誰の目にも入らない微々たるものであったとしても、やがて平野へと躍りでて、大海へと流入しゆくようなものであります。と同じく、いかなる陰の目立たない努力も確実に未来の大海へと向かっていく、その大海こそ大涅槃の大海、すなわち真実の幸福の世界なのでありまであります。これが”流入の義”であります。
 強い信心に立つての広布のための辛労は、すべて三世にわたる、功徳への揺るぎない道であると確信していただきたい。
39  さて「地涌千界の菩薩は己心の釈尊の眷属なり」と仰せのように、地涌の菩薩の九界の生命が、常に己心の釈尊の眷属として仏界の働きを助けていくと明示されております。このように久遠元初の仏も、地涌千界の菩薩も、私どもの己心にあることをお述べなのであります。
 大聖人は、以上を説明するために、二つの例を挙げられております。一つは、中国の太公や周公旦の例で、彼らは周の武王を助け、武王なきあとは幼い成王を助けて守り立てた。もう一つは、我が国の歴史にとられたもので、神功皇后を助けた武内宿禰は、神功皇后の孫である仁徳王子の臣下としても補佐した。この君臣の関係を例とし、己心の地涌千界の菩薩は己心の釈尊の眷属として、己心の釈尊の働きを助けていく関係にあることを示されているのであります。
 君臣の関係といいますと、何か封建的なイメージがありますが、大聖人がここで述べられているのは、自身の生命に冥伏するところの仏界の生命を限りなく躍動させていくための君臣合体であり、自己の胸中の内なる高揚を説かれたものであることは言うまでもありません。
 更に今の譬えの中に、実は重要な視点があります。太公とは太公望であり、周の文王に会い、見いだされてその師となり、文王の死後はその子・武王に仕え、そして武王の滅後には武王の子である幼い成王を助けた歴史上の人物であります。周公旦は武王の弟で、成王にとっては叔父にあたります。その周公が成王が長ずるまで摂政となって政事を担当している。また、武内宿禰が助けた仁徳王子も、主君はいずれも幼児であります。
 これは、私どもが御本尊を信受した時、仏界の生命が顕れるけれども、信のみではまだ極めてかよわい状態であることを表現されているのであります。
 では、この仏界の生命を揺るぎなく力強いものとするためには、何が必要なのか。それは臣下にあたるところの地涌の菩薩の働きが不可欠であり、地涌の菩薩があってこそ、仏界の生命は脈動するのであります。
40  仏法広宣こそ地涌の本懐
 地涌の菩薩とは、妙法流布への実践の生命であります。なぜなら、地涌の菩薩とは、悪世末法に仏法を流布する使命をうけるために法華経の会座に涌出した菩薩だからであります。つまり仏法広宣を己が使命と決定した実践の生命こそ、地涌の菩薩の真骨頂なのであります。
 したがって、私どもの己心に住する仏界の働きを助け、守り、育てていくためには、広宣流布への使命を深く自覚した力強い実践が不可欠であることを、この譬えをとおして教えられていると拝することができます。
 振り返ってみれば、創価学会の今日あるは、まさしく獄中における初代会長牧口常三郎先生と二代会長戸田城聖先生の、壮絶無比な死身弘法の戦いあってのゆえであります。恩師戸田先生は、よく男子青年部に語られていました。
 「男というものは、自分がどこの分野にいようとも、どのような仕事を担おうとも、当面する現実と、ともかく戦うことだ。私は獄中にあって『今は獄にいる。獄にいる限り、私はここで戦うのだ』と決めていた」と述懐されておりました。
 その獄中で戸田先生は、翻然としてご自身の深い仏法上の使命を自覚され、偉大な境涯を得られたのであります。
 「出獄の日を期して、私はまず故会長に、かく、こたえることができるようになったのであった。
 『われわれの生命は永遠である。無始無終である。われわれは末法に七文字の法華経を流布すべき大任をおびて、出現したことを自覚いたしました。この境地にまかせて、われわれの位を判ずるならば、われわれは地涌の菩薩であります』と」(「創価学会の歴史と確信」)
 この恩師の生命の叫びの中に、私どもの原点の誓いと不動の使命があり、この自覚に立った不屈の実践行動によって、今日の未曾有の広布伸展があるのであります。
 皆さんはどうか、妙法広布を目指す仏法運動に我が身をおき、敢然と成長、前進していくところに、日蓮大聖人が仰せのごとく、内証の仏界、我が己心の力強き生命を厳然と守り、薫発させ、逞しく成長させていく地涌の金の道があることを、深く銘記していただきたいのであります。
41  次に「上行・無辺行・浄行・安立行等は我等が己心の菩薩なり」と仰せであります。法華経涌出品において、この四菩薩を上首として、六万恒河沙の地涌の菩薩が、大地から陸続と出現したと説かれております。これはもとより、別して日蓮大聖人の己心の生命についていえることでありますが、総じての立場で拝すれば、私どもも、この四菩薩の生命をすべて己心にたたえているということであります。
 御本尊に唱題していった時、あの法華経の涌出品に説かれる無量の地涌の菩薩も、我が己心の菩薩であり、はたまた一切経の仏菩薩、そして、ありとあらゆる十界の衆生は、すべて我が己心の中にあるのであります。
 ゆえに天台大師は「説己心中所行法門」(己心の中に行ずる所の法門を説く)としたのであります。結局、この己心の偉大な生命を説き顕していく対境が「観心の本尊」であり、その実践が「観心」すなわち御本尊を受持することに尽きるのであります。
 社会も揺れ動いています。それにつれて、人の心も猫の目のように揺れ動いていくでありましょう。しかし、私どもの信念の中には、大宇宙と己心との偉大な律動が脈打っております。すなわち、御本尊という根源と、信仰という不動の一点があるということは、何にもまして、人生における強い支えであります。
 なお、以上のように「我が如く等くして……」から「……己心の菩薩なり」の段について、師弟不二、親子一体、君臣合体に拝するのは、主師親三徳具備の人本尊を開顕せられた「開目抄」の本意も包合されているゆえであり、そして、末法の人本尊としての御本仏日蓮大聖人の御生命は、一切そのまま、観心の御本尊の中に移されているとの深意であります。
 大聖人即御本尊、御本尊即主師親三徳具備の御本仏との甚深の義を深く拝するとともに、御本尊を拝することの有り難さを、今更のように実感するものであります。
42  「一身一念法界に遍し」とは成仏の姿
 妙楽大師云く「当に知るべし身土一念の三千なり故に成道の時此の本理に称うて一身一念法界に遍し」等云云
 妙楽大師が言うには「当に知るべきである、身土は一念の三千である。ゆえに成道の時にはこの本理にかなって一身一念が法界に遍ずるのである」と。
43  妙楽大師の『摩訶止観輔行伝弘決』の文であります。非常に難しい文でありますが、この段の結びとして掲げられた文であり、成仏の境地の広大深遠を知るうえで欠かすことのできない文でありますので、日寛上人の文段をよりどころに詳しく拝しておきます。
 まず「身土」とは久遠元初自受用身の身土であり、十界互具・一念三千の御本尊になります。
 「一念の三千」の”一念”とは我らの信心の一念であり、したがって「身土一念の三千なり」とは、自受用身の身土といっても、御本尊、妙法を信ずる私達の一念の中の三千である、ということであります。
 「故に成道の時此の本理に称うて一身一念法界に遍し」とは、私どもの成仏の姿を言われております。「本理」の”本”とは本地久遠元初であり、”理”とは難思境智の妙法であります。したがって「本理に称う」とは、久遠元初の境智の妙法にかなうことであります。
 「一身一念法界に遍し」の”一身”とは五大からなる私どもの身体即生命であり、これは所証の境となります。”一念”は信心の一念で能証の智となります。すなわち、私どもの生命がそのまま、久遠元初の境智冥合の自受用身と顕れるとの意であります。
 したがって、まとめてこの文の意味を言えば、御本尊が依正不二の一念三千の当体であるがゆえに、この御本尊を受持した私どもの生命も、即一念三千の当体となるということであります。受持即観心の義は、ここに尽きるのであります。
 と同時に私は「一身一念遍於法界」の文は、仏界の生命がいかに限りなく広大なものであるかを、また、衆生の生命も同様であるということを教えているように思われるのであります。単に人界に十界を具足することの説明ではなく、衆生の生命がいかに大きく尊いものであるかを、雄大なスケールをもって示している文であり、真実の自由の境地を説いた文であると読んでおきたいのであります。
 「一身一念法界に遍し」といっても、抽象の世界の話に聞こえるかもしれない。しかし、現代科学の知識は、人間生命がいかに巨大で精密な構造を持っているか、その一端を明らかにしております。
44  現代科学が明かす多くの例証
 例えば、我々の肉体をとってみても、一つ一つの臓器は精妙そのものです。肝臓は主として身体の中に入ってくる物質の解毒作用を行いますが、現在分かっているだけで約二百種類の働きを有している。おそらく千種類の作用にものぼると推定されるという。
 肝臓が作りだしている様々な化学物質の一つ一つは、人工的に作りだすことは難しい複雑なものばかりで、まさに一大化学工場と称すべきである。それを工場で作るとすれば、巨大な化学工場群を動員しても、まだ十分ではないとも言われている。肝臓の悪い人は精神状態にも影響し、夜中に突然、起きだしたり、夢遊病者のようになるという。
 また、肺胞の壁の全面積は、比較的大きな部屋四つ分ほどの広さになる。その肺が血液を清浄にするのであります。その血液を運ぶ血管の長さは九万六千キロ。地球を二周して余りあります。それをすべての人間がそなえているのであります。
 これが脳になると、もっと規模が大きい。千数百グラムの大脳には約二百億の脳細胞がある。その神経細胞には突起があって、それがからみあっていくことによって知能の発達があるわけですが、そのからみあいの仕方によって個性ができていきます。その組み合わせたるや、地球的規模を超えて宇宙的規模である。計算によれば、我々を取り囲んでいる島宇宙のすべての原子の数よりもまだ多くなるともいうのであります。
 単純な計算では、小さな電子卓上計算機にも我々はかなわない。大きな電算機ともなると、複雑な計算も一挙にする。しかし、判断、創造などの高度な働きは、小さな脳細胞のほうがはるかに優れている。大脳に匹敵する人工頭脳を作ろうとすれば、現在の科学では地球の全表面を覆うほど巨大なものになるだろうとされております。それほどの規模と労力で作ったとしても、果たして人間の頭脳を超えるものが作れるかどうかは疑問であるといいます。
 このように、外見たかだか一メートル数十センチの身体の臓器も、一つ一つが地球的規模、宇宙的規模の科学技術に相当する働きを持っているのであります。なおかっ、大脳にしても、身体の各機能にしても、本来持っている力の数分の一を、人間は一生の間に使用するにすぎないのであります。
45  これが人間の精神になると、もっと深遠で広大であります。意識的な精神活動さえ、いかに複雑多岐であるか、人間の生みだした人文、社会、自然の諸文明の成果をみるまでもなく、十分に知るところであります。
 ところが、フロイト等によって見いだされた無意識の世界にいたると、もっと広大な世界であると言われます。氷山の海面上に現れた部分を意識とすれば、氷山の海面下の部分を無意識にたとえられる。
 我々が意識を持って行動していると思っているものも、実は無意識の命ずるところによって、意識が引きだされているとさえ言われているのであります。
 心理学者・宮城音弥氏は、その著『精神分析入門』の中で、無意識の力が意識や行動を動かす、次のような実例を挙げております。私達が偶発行動であると思っているものでも、その底には、無意識の深海からの衝動が働いているという例です。
 チューリヒに住むある人が、休日に自宅で楽しく過ごそうか、それとも行きたくはないがルツェルンの知人との約束があるから、そこを訪問しょうかと迷っていた。しばらく躊躇したあと、思いきってルツェルンに向かった。そして、その途中の駅で朝刊を読みながら機械的に乗り換えた。ところが、やがて車掌がやってきて、初めて自分がチューリヒに帰る列車に乗り込んでいたことが分かったというのであります。
 この事実は、自宅で楽しい休日を過ごしたいという無意識の願望のほうが、その人の義務的な力、意識の判断よりも強く、彼の行動を支配したのは、まぎれもなく無意識の力のほうであったことを示している、と心理学者は主張しております。
 また私達は、ある人に会おうと思っているのに、ふと、この約束を忘れてしまうことがあります。これを意図の忘却というのですが、例えば、次のような興味深い例があります。
 ある人が知人を招待しなければならないことができたが、内心ではそれを望んではいなかった。彼は知人に電話をかけて「ご招待したいのですが、日時を正確に覚えていないので、のちほど手紙で招待状をお送りします」と言った。しかし、彼は、当日を過ぎるまで、招待状を出すことをすっかり忘れてしまったのです。この場合も、その知人に会いたくないという無意識の行動が、彼の行動を支配してしまったと考えられます。
 ブリルは「われわれは小切手の入っている手紙よりも、請求書の入っている手紙のほうを置き忘れやすい」と述べておりますが、人間心理の一つの模様であるといえましょう。
 また、無意識からの力が色法の世界である身体に影響を与えずにおかないことも、精神身体医学での数々の実験によって指摘されているところであります。
46  無意識の大海は宇宙生命へ広がる
 九州大学の池見酉次郎教授は『心療内科』という著書の中で、無意識の力が身体に様々な病気を起こすことを立証していますが、二、三の実例を取り上げてみたいと思います。
 ある中年の未亡人の社長の話ですが、両側の太ももの付け根あたりから足先までしびれて、自力で立つこともできず、何かにすがらなければ一歩も歩けない状態になってしまった。
 その女性は、結婚してまもなく夫の戦死を知らされ、それ以後は遺児を抱えて自活してきた苦労人ですが、四年ほど前に、ある会社を興して社長として経営に励んできた。ところが、二年ほど前に、信頼していた従業員に売掛金をごまかされて巨額の穴をあけてしまい、非常なショックをうけ、その時から人の心を全く信用できなくなってしまったというのであります。同時に、そのころから、自転車に乗っている時、足のしびれ感に気づくようになって、あらゆる治療をうけたにもかかわらず、一向によくならない。
 この女性の場合、足が立たなくなった原因は、二年前のショックであり、自分以外は信頼できないという無意識の不信感であったことは明らかですが、本人はそれに気づくすべもなかったのであります。
 人間への心からの信頼を取り戻すことによって、初めてこの病気も治療しうるのであります。「立つあたわざるショックのために、本当に足が立たなくなった」という痛ましい話であります。
 また、このような例もあります。数カ月前からジンマシンと吐き気を訴えているサラリーマンの話ですが、この人の症状を日記につけさせたというのであります。
 そうすると、毎週土曜日には、全く無症状であり、日曜日の午後からジンマシンが出始め、水曜日になると吐き気の症状があらわれてきた。さっそく、会社での状況を聞くと、彼は職場で上役とうまくいっていなかった。仕事の内容も自分の希望に反していた。それが入社以来ずっと続いていたのです。
 池見教授は、この病気の原因は、入社の時からの無意識の感情があらわれたものであると示唆しております。
 心の内奥の感情のもつれ、未来への絶望、自己不信などが身体のうえに表出して、ジンマシンや吐き気を引き起こしていたのです。その証拠が、土曜日だけは解放感を味わうから無症状になり、日曜の午後になると憂うつになり、不安や絶望が症状を起こさせているという日記の事実でありました。
 このように、人間生命の無意識層に渦巻く、情念や衝動の葛藤が、色法の世界を混乱させ、病気をさえ引き起こしていくのであります。
 しかし、今まで述べたようなことは、まだ比較的生命の浅い領域の出来事にすぎないのです。人間生命の内面に広がる領域は、我々の想像さえできない深層へとつながっていくのであります。
 ユング心理学者であり、京大教授の河合隼雄博士は『無意識の構造』(中央公論社)で、心の構造を次のように明言しております。
 「ユングはこのような例から、人間の無意識の層は、その個人の生活と関連している個人的無意識と、他の人間とも共通に普遍性をもつ普遍的無意識とにわけで考えられるとしたのである。ただ、それはあまりにも深層に存在するので、普通人の通常の生活においては意識されることがほとんどないわけである」と。
 また、普遍的無意識については「個人的に獲得されたものではなく、生来的なもので、人類一般に普遍的なものである」と。
 この、普遍的無意識という一個の人間生命の最深層は、その名の示すとおり、人類共通の基盤を形づくっているのであります。そして、この深層には、人類発生以来、二百万年とも言われるすべての精神的遺産が流れ込んでいるというのです。
 例えば、これもユング心理学では有名なことでありますが、ユングの弟子、C・S・ホールとV・J・ノードバイは、その著書の中で、人間の蛇恐怖、暗闇恐怖について、次のような趣旨のことを明言しております。
 人間は、生まれてきてから、蛇や暗闇を経験することによって、これらの恐怖を身につけたのではなく、ただ経験は、恐怖の素質を強化し、再確認するだけである。我々は、蛇や暗闇を恐れる素質を遺伝的に受け継いでいる。人類の先祖が無数の世代にわたって恐怖を経験してきたからである。つまり、このことは、人間生命の深層に、先祖の経験が記憶として刻印されている事実の証明となるというのであります。
 だが、無意識の大海は、人類先祖の経験を包含しているにとどまらない。更には、人間以前の動物の先祖の経験さえも含んでおり、最終的には、この大宇宙流転のあらゆる足跡が、一人の人間の最深部に脈動しているというのであります。
 ユングのいだいたイメージは、人類約四十億が一個の生命体であり、更に、この大宇宙自体が巨大なる生命的存在である、そして、一人一人の人間は、その宇宙生命の根源力から生命エネルギーを得て活動する細胞のごときものであったと思われるのであります。この事実を、ユングは普遍的無意識という概念で指し示そうとしたのであります。
47  宇宙に遍満する仏界の生命が我が身に
 「一身一念法界に遍し」の原理は、現代の自然科学の着目した一個の生命の広がりを、直観的に更に宇宙大に拡大してとらえたものであります。仏法のこの発想は鋭く、限りなく人間の可能性を謳い上げたものであります。自然科学が到達した人間の潜在力の解明は、今や地球的規模をも超えるに至っているといえる。
 しかし、仏法の説いているのは、更に広く、法界遍満であります。これほど広く強大なものはない。それを我が一身に涌現した存在を「自受用身」と言うのであります。
 我々が成就するところの自受用身とは「自ら受け用いる身」であります。これを「御義口伝」においては「ほしいままに受け用いる身」と読まれている。仏身とは、自らを自由自在に回転させ、大宇宙をも揺り動かす生命のことであります。
 「我即宇宙」は、決して抽象の世界のことではなく、億劫の辛労を尽くす仏界の振る舞いにあっては、現実の荘厳な事実であると拝すべきであります。
 しかも、この原理によれば、我々の生命の中にも、仏身と同じ力が潜在していることは明瞭であります。あと必要なのは、大聖人と同じ生命を、いかにすれば我が生命の奥底から掘り起こすことができるかであります。
 そのために、大聖人は「観心の本尊」を御図顕してくださったのであります。所詮、「受持即観心」の義が成り立つのは、これを受持すれば観心になる、すなわち仏の悟達になっているという本尊、「観心の御本尊」を顕されたればこそであります。この「観心の御本尊」即三大秘法の大御本尊御図顕に、日蓮大聖人の生涯にわたる御苦闘があられたのであります。
 ゆえに、末法一切衆生のために、信仰の根本対象として大御本尊を建立された弘安二年十月、大聖人は、余は二十七年にして出世の本懐を遂げたと叫ばれたのであります。
 その間の大難は筆舌に尽くせぬものであり、しかも、対告衆たる純信の末法民衆の代表というべき、熱原の農民信徒の死身弘法の実証を機縁にされて、初めて御図顕されたのであります。まさに、弘安二年の大御本尊こそ、仏法の深遠の極理と御本仏の広大無辺の慈悲とが凝集された尊極の当体であり、末法万年の闇を照らす光源であります。
 以来、連綿幾星霜――。「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもなが流布るべし」の御金言のままに、本門戒壇の大御本尊の御成光は、我が国をはじめ全世界の人々の生命を照らしつつあります。
 どうか皆さん方におかれては、各自の一生成仏のため、全人類の幸福と平和のために、信心を奮い起こし、勇気を持って行学の二道を進んでいっていただきたいことをお願いして、講義を終わらせていただきます。

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