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日蓮大聖人・池田大作

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「生死一大事血脈抄」講義  

講義「諸法実相抄」「生死一大事血脈抄」(池田大作全集第24巻)

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1  信心の骨髄明かす一書
 本抄は、恩師戸田先生が何度も講義してくださった懐かしい御書であります。
 戸田先生は「この生死一大事血脈抄を読むのは、とても面倒です。スラスラ読んで分かったとも思うが、また分からなくなってくる。境涯が深まるたびに、読み方が深まってくる」という意味のことを、何回となく語っておられた。
 また戸田先生は「日蓮門下にとって信心の骨髄の御書であり、これを離れて広宣流布もなければ信心の核心、仏法の骨髄に触れることはできない」とまで言われていました。そして、また「地涌の菩薩の実践の明鏡ともいうべき書である」とも述べられておりました。
 私も、文証、理証、現証のうえから、それを確信しております。また、私自身、種々の会合で、再三再四、講義をし、思索を重ねてもまいりました。そのたびごとに一節一節の凝縮された内容に驚きもし、感激を新たにしてまいりました。誠に不思議な一書としか言いようがありません。
 今回は、「教学の年」の意義にもちなんで、本抄をめぐるこれまでの思索の集大成として発表しておきます。これもひとえに未来の広宣流布への展望のうえから、本抄によって仏法の原点を深く掘り下げ、信心の血脈という源流を確認しておきたいと願うからであります。
 本抄は比較的短い御書でありますが、実は大変深い内容を含んでおります。「生死一大事の血脈」という仏法の究極の課題を直ちに取り上げておられるゆえであります。この課題こそ、釈尊をはじめ仏法三千年の歴史に登場した実践の人々が、叡智の限りを尽くし、情熱のすべてを注いで考察し、体得しようと取り組んだ一点であります。
 八万四千の法蔵も、また大地微塵ほどの論釈も、そのことごとくが、この「生死」という一つのモチーフをめぐって展開されたものといえます。
 最蓮房は、当時の仏法哲理の最高峰に位置してきた天台の学僧であったゆえ、鋭くこの哲学的課題の原点に迫り、日蓮大聖人の教えを仰いだのであります。本抄は、日蓮大聖人がこのテーマに対して、末法御本仏としての観心の立場から結論を与えられ、更に一切衆生の成仏のための実践論を明示された御書です。
 「諸法実相抄」が、広く諸法と実相、十界と妙法、凡夫と仏という総体的課題を論じ「日蓮と同意」で妙法流布に立ちゆく地涌の菩薩の使命を教えられたのに対し、本抄は、まさしく成仏、不成仏という仏道修行の根本目的を論じられ、その成仏への血脈がいかなる実践の中に流れ通うかを明かされた御書でもあります。
 また「諸法実相抄」が、人本尊開顕の「開目抄」と、法本尊開顕の「観心本尊抄」の両書の内容を含んだ御著作であることは、その講義の中で触れておきましたが、本抄は、御本仏日蓮大聖人御証得の法門自体を明かされたともいえる重書であります。まさしく”境涯の書”と言うべきでありましょう。
 日蓮大聖人御内証の法門をしたためられた書であるゆえに、何回も拝読し、我が生命に刻んでいっていただきたいことを、まず最初に申し上げておきたいのであります。
2  本抄は、文永九年二月十一日、佐渡・塚原においでしたためられた書であります。対告衆は「諸法実相抄」と同じく、最蓮房日浄です。この人については「諸法実相抄」講義に述べたとおりですので、詳細は略させていただきます。
 もとよりこれは御消息文であり、題号の「生死一大事血脈抄」は後世に付されたものでありますが、冒頭から「夫れ生死一大事血脈とは……」と説き起こされておりますゆえに、まず、この「生死一大事血脈」ということから述べていきたいと思います。
 「生死」とは、生まれでは死に、死んではまた生まれてくる、すなわち生死を繰り返すこの生命を言います。
 「一大事」とは、最も根本の肝要という意味であります。「一」とは、たくさんある中の一つということではなく、これ一つ以外にないという意味の”一”であります。その唯一無二の根本の大事ということが「一大事」なのです。
 したがって「生死一大事」とは、生命における最重要の大事ということであり、生命の極底の法を指すのであります。
 「血脈」とは、師匠から弟子へ法が伝えられることを、人間の身体の中で血脈が絶えることなく連なっていることに譬えて言われたものであります。
 仏法における師弟の関係は、師としての仏が覚知した生命の極理を、そのまま弟子の生命に伝えることにあります。ゆえに、師が自らの悟った法を、そのまま弟子に伝えていくことを「血脈」と称するのであります。
 したがって「生死一大事血脈」ということを一言に要約して述べれば、生命の究極の法がいかにして仏から衆生に伝えられ、生死を繰り返す衆生の生命に顕現されていくか、ということであります。これこそ仏法の最も肝要であり、単なる観念ではどうしょうもない、実践の哲理、感応の哲理たるゆえんがここにあるわけであります。
3  「生」は生命の顕在化、「死」は潜在化
 以上、概説しましたが「生死」「一大事」ということについて、少々私の考えるところを述べてみたい。なお血脈については、本文に入って詳細に論じてまいります。
 まず「生死」とは、生と死ということであり、大きく二つの意味があります。一つは、生老病死の四苦を略して「生死」と言い、苦しみをあらわす場合と、いま一つは、永遠の生命観に立って、生まれては死に、死んではまた生まれてくるという、生死を繰り返す生命の当体をあらわす場合とであります。
 ここでの「生死」は、言うまでもなく生命を意味しているのであります。生と死は、生命の変化の姿であり、逆に言えば、生と死にしか生命はあらわれないのであります。
 凡夫の眼には、生命は生で始まり、死で終わるとしか映らない。しかし、仏法の視点は、この限界を打ち破って、生とあらわれ、死として持続している全体を貫く「生命」そのものをとらえたのであります。
 この観点から、仏法では、生命の変化相としての生と死を、どうとらえているのでしょうか。
 法華経寿量品に「若退若出」――もしは退き、もしは出づる、と説かれております(正しくは「生死の、若しは退、若しは出有ること無し」と説かれている)。この「退く」というのが「死」にあたり、「出づる」というのが「生」にあたります。また寿量品では、永遠の生命観から、生命は、退いたり、生じたり、生まれたり、死んだりするものではない、という説き方をしておりますが、日蓮大聖人の「御義口伝」では、更に深く本有の生死、つまり本来もともとの生死であり、退出(退く、出づる)であるととらえるのが、本当の正しい生命観であると説き明かしております。
 ゆえに、生命が顕在化した状態を「生」とし、潜在化した状態を「死」ととらえ、しかも、その生死を無限に持続しているのが、生命そのものなのであります。
 生を顕在化、死を潜在化ととらえる仏法の究極の哲理は、何と、悠久、偉大な生命をみてとっていることでしょうか。
 しかも、その生と死は不二であると説いているのです。生を働かしているものは潜在化した妙なる力であり、また、潜在化した生命は、やがて縁に触れて顕在化し、ダイナミックな生を営み、色彩豊かに個性を発揮していきます。やがて、その生は静かに退き、死へとおもむく。しかし、その潜在化は新しいエネルギーを蓄えつつ、新しい次の生を待つのであります。
 言わば、生は、それまで休息し、蓄えた生命の力の爆発であり、燃焼であり、やがてその生涯の一巻の書を綴り終えて、死におもむく。その、宇宙それ自体に冥伏し、潜在化した生命は、宇宙生命の力をそこに充電させながら、生への飛翔を待つのであります。
 これが、本来の生死であり、この宇宙本然のリズムの根源が、南無妙法蓮華経であります。ところが、その本然のリズムとの波長が合わず、偏向性を帯びた生命は、その生死の繰り返しの中に、主として地獄、餓鬼、畜生界等に偏りつつ、ぎごちない運命をたどっていきます。いわゆる宿業と言われるものが、それであり、重々しい鉄鎖に縛られつつ生まれ、また死んでいくのであります。
 この偏向した生死を、本有の生死へと転換していくものは何か。まさしく、それは、南無妙法蓮華経の一法に帰し、その一法から発していくしかないのであります。
4  現在の一瞬に過去・未来の永遠が凝縮
 なお、これは生死を三世という巨視の眼でとらえたものでありますが、私どもは瞬間瞬間にも生死を繰り返しつつ、一生という、より大きな生死を形成しており、小さな生命の生死が大きな生命の生死を支えていることも、知らなければならないと思うのであります。
 空間的な尺度で生死をみていった場合でも、例えば星雲が生々流転を遂げるのは、個々の星の成住壊空の集積であり、その星も、様々な生物や山河の生死のうえに、その一生をつくりゆくのであります。
 人間の一生をみても、生まれた時に受けた色法を、最後まで保つのではない。大部分の細胞は、生まれでは死に、生まれては死んでいく。その生死が新陳代謝をして身体へ若々しい活力を与え、全体としての生命を支えていくのであります。また我々の生命に生死が同居している場合もあります。例えば、爪や髪は非情であります。死といってもよい。しかしその根源は生でありましょう。ゆえにまた新しい髪や爪が伸びてくる。この生死の累積が一個の生命となるのです。
 このように、生命は個別的、無統一的に存在するのではなく、重層的、統一的存在であり、小さな生命がより大きな生命を形成し、小さな生死の支流が大きな生死の流れに注ぎ込んでいき、やがては宇宙生命という大海に流入していくのであります。まことに生命というものの不思議さを感ぜざるをえない。
 また、時間的な眼でみれば、一瞬一瞬、私どもは生死を体験しているといえる。今この一瞬の生命が地獄界であれば、地獄界が「生」で、他の九界は「死」の状態である。ところが病気で苦しんでいたのが、病気が治ったとする。そうすると、うれしくてうれしくでしょうがない。それは天界です。一方、一瞬前の地獄界は、どこにもない。それは地獄界の死であります。すなわち、地獄界は他の境界とともに死となり、そこには天界の生命が生き生きとあらわれる。病気が治って、さあ、この歓喜を皆に伝えていこう、信心を教えてあげようというふうに変わっていけば、天界の死で、菩薩界の生というふうに移っていくでありましょう。
 瞬間瞬間、十界のいずれかが生、他の九界は死となっており、次の瞬間には他の生死と変わっていく。その積み重ねとして一生があるのです。
 このように瞬間に生死がそなわるのも、決して天界が生の時に他の九界が「無」になっているということではない。冥伏しているからこそ、次の瞬間に「生」となってあらわれるのは、言うまでもないことであります。
 したがって、生死といっても、現在の一瞬をどう生きるかの積み重ねであります。永遠も一瞬の連続であり、一瞬に永遠が凝縮されてくる。瞬間の一念が生死の根源となっていくのであり、大きくは宿命転換の原理もそこにあると考察できるのであります。
 現在の一瞬を大切にし、立派に生を輝かせ、さわやかに次の一瞬の生へと移っていけば、それは還減門の生死となり、六道の中を、暗き生死から暗き生死へと落ち込んでいく生死は、流転門の生死であります。それゆえに、生死の二法を貫く南無妙法蓮華経の仏法によって、一瞬を永遠に生きる生死の転換が必要となってくるのであります。
5  「一大事」とは生命の究極
 次に「一大事」とは、究極ということであります。
 この一大事ということの意義に関して、「御義口伝」には「唯以一大事因縁」をめぐって詳しく述べられていますので、参照しておきたいと思います。
 まず、一大事の「一」とは、最も根本の肝要という意味であります。「一」とは、三、五、七といった数字に相対して言われる「一」ではなく、絶対的な意味における「一」であります。言い換えれば、これ一つ以外にはないという意味の「一」であります。
 また「大」とは、根本唯一の法、すなわち妙法は、人間生命のみならず、宇宙森羅万象の一切を貫いていることを意味しています。小は微細な微塵から、大は大宇宙の運行にいたるまで、妙法のあらわれである。
 この妙法が万法の根源として普遍的な広がりを持っていることを「大」と言ったのであります。
 更に、宇宙と生命の根源である妙法蓮華経は観念ではなく、事実の活動それ自体であります。私達が生命活動を営んでいるのも、また、春夏秋冬の四季がめぐるのも、すべて妙法蓮華経である。この厳然たる事実としてあらわれていることを「事」と言うのであります。
 この「一大事」とは、また、空仮中の円融三諦にも開かれます。
 「御義口伝」には「一とは中諦・大とは空諦・事とは仮諦なり此の円融の三諦は何物ぞ所謂南無妙法蓮華経是なり」とあります。
 「一」とは、妙法それ自体を指し、中道となります。
 「大」とは、宇宙と生命の根源たる一法が、普遍的に万象を包み込む虚空のごとき雄大な広がりを持つことをあらわすゆえに空諦となり、「事」とは、根源の一法といっても、具体的に事実のうえで千変万化する万物のうえに顕現するのであり、仮諦となるのであります。
 所詮、「一大事」とは同融三諦の南無妙法蓮華経になるのです。
 すなわち、南無妙法蓮華経とは宇宙と生命の根源であると同時に、全宇宙の森羅万象をことごとく包含する。そして、それは、決して観念でも、抽象でも、茫漠としたものでもない。現実のうえに具体的な姿を持ってあらわれるのであり、この生命の融通無礙な実相を「一大事」と言うのであります。更に、「御義口伝」には「一とは一念・大とは三千なり此の三千ときたるは事の因縁なりとも説かれています。
 「一」たる一念を、「大」たる三千万法に、事実のうえに作動させる根本の力を「事」と言うのであります。この事の一念三千を「一大事」と言うのです。所詮、妙法の電源体ともいうべき御本尊こそ、大事であると仰せられているのであります。
6  妙法は久遠以来の血脈
 御状委細披見せしめ候いおわんぬ
 お手紙を詳しく拝見した。
7  最蓮房、あなたからのお手紙は委しく読ませていただきました、ということです。
 ところは佐渡流罪の地であります。客観的には厳しい不自由の地にありながら、日蓮大聖人は、門下一人一人の便りを逐一御覧になられ、全生命を賭けた指導をしていらっしゃるわけであります。まさしく佐渡の流罪地をも、日蓮大聖人は激闘の地とされ、仏法実践の道場としきっておられるのであります。
 御本仏日蓮大聖人の広大な御境界の前には、何ものも妨げとなりえない事実を、この一節から私は実感するのであります。
8  夫れ生死一大事血脈とは所謂妙法蓮華経是なり
 お尋ねの、生死一大事の血脈とは、いわゆる妙法蓮華経のことである。
9  「生死一大事血脈」とは妙法蓮華経、南無妙法蓮華経そのものである、と、まず結論を明示されております。
 本来、生死一大事血脈とは、天台仏法で論じられた法門であり、それがいったい何であるかを、最蓮房は大聖人にご質問したのでありましょう。冒頭に「御状委細披見」と仰せられているのは、最蓮房が天台学僧として学んだこと、そして、それが結局、どういうことか分からなくなってしまった経緯などが、縷々述べられであったに違いありません。
 そうした煩雑な論議に対して、大聖人は一言のもとにこの奥義を明かし、迷妄を打ち破っておられるのであります。
 結論だけみれば簡単なようでありますが、そこにいたる過程は、大変な哲理を経なければならない。それを、以下に示されていくのであります。
10  其の故は釈迦多宝の二仏宝塔の中にして上行菩薩に譲り給いて此の妙法蓮華経の五字過去遠遠劫より已来このかた寸時も離れざる血脈なり
 そのわけは、この妙法蓮華経の五字は釈迦・多宝の二仏が宝塔の中で上行菩薩に・お譲りになったのであり、過去遠々劫以来、寸時も離れることのなかった血脈の法であるからである。
11  なぜ妙法蓮華経をもって「生死一大事血脈」の体とされるか。
 その理由の第一は、法華経の儀式において末法に流布すべき法体として説かれたのが妙法蓮華経である。そして、この付嘱を受けて末法に弘通する上行菩薩にとって、久遠本地の生命が妙法蓮華経であると仰せです。
 したがって、この御文は「釈迦多宝の二仏宝塔の中にして上行菩薩に譲り給いて」が一往の教相の立場であり、「過去遠遠劫より己来寸時も離れざる血脈なり」が再往の観心の立場という、二重の構造になっているわけであります。
 上行菩薩は、一往文上の辺では、法華経の虚空会で釈迦、多宝の二仏から妙法蓮華経を譲り受けるという儀式を踏みます。しかし、再往文底からみれば、上行菩薩の本地は久遠元初の自受用報身如来です。本来、妙法の大地に住し、人法体一である、最も根本の仏なのであります。ゆえに「過去遠遠劫より己来寸時も離れざる血脈」なのです。
 無作三身如来の内に脈打っているその生命こそ、妙法蓮華経――南無妙法蓮華経にほかならないのであります。
12  生死ともに妙法のあらわれ
 妙は死法は生なり此の生死の二法が十界の当体なり
 妙とは死、法とは生のことで、この生死の二法が即、十界の当休である。
13  次に、総じて十界の一切衆生、言い換えれば私ども凡夫の、この生命の根源の体――すなわち、我々の「生死一大事血脈」もまた、妙法蓮華経にほかならないことを示されるのであります
 「妙は死法は生なり」とは、生死の二法は即妙法なり、ということです。生まれる、死んでいく、この生死という生命のあらわす姿は、そのまま妙法なのです。
 生まれては死んでいくこの現実の生命をはなれて、別に妙法があるのではない。この生命自体が妙法です。そして、この生死の二法を現ずる妙法の生命がまた、十界の当体でもあります。
 次になぜ「妙」を死、「法」を生とされるかといいますと、死の状態にある生命を、私どもは思議することができません。どこに、どのようにして存在しているのか。宇宙の中に溶け込んで存在しているのだと聞かされても、容易に理解しがたいことであります。ゆえに、死が「妙」になるのです。「妙」とは不可思議ということです。
 これに対して、生きている状態というのは、様々な働き、形、姿をもってあらわれます。しかも、その働きは、十如是の法によって示されるように、法則性を持っています。長い間、食事をとっていなければ、何か食べる物が欲しくてたまらないという餓鬼界の状態を示します。人にバカにされればハラが立つ。当然の、生命の法則です。したがって、生は「法」になるわけです。
 「法」という漢字は「サンズイ」に「去る」と書く。水が流れるという意味になる。水は平らかで悠久であり、公平にして全字宙に普遍的な意味を持っており、「去る」は久遠の過去から永劫の未来への流れを象徴しているかのようであります。また、悪を去らしめるための存在という意味を含んでいるとの古文書もあります。
 山深き渓流からほとばしる飛沫も、滔々たる大河の流れも、瞬時としてとどまることなく、上流から下流へ、そして大海へと、注ぎ込んでいく。仏法の眼は、起きては滅し、隠れては顕れる森羅三千の現象を、因果の法でとらえております。したがって、事物の流れの中で「法」をみているということになる。静止した、抽象的な法をみるのではないのであります。そのゆえに、法を水の流れに象徴してとらえたのでありましょう。現実生活に即し、生命の実感の中に法はある。「諸法」を現象と訳すのはそのゆえであります。
14  一般的な感覚から言えば「法」はむしろ「死」ととらえられるかもしれない。万有引力の法則とか、相対性原理であるとか、経済学の法則という「法」は、現実的な生活における事象を総合、抽象化したものであり、それ自体は外にあらわれないものと考えるからであります。
 しかし、仏法における考え方は、現象に即して法をとらえているところに特質があり、また抽象的で現実から遊離した哲学に陥るのではなく、生活法として定着していくゆえんもここにあるのであります。この考え方に立った時「法は生なり」という仰せが明らかになってくると思う。
 さて、この「現象」そのものをみるだけでは、何ら他の学問と変わるところはない。川の流れを調べるのは科学の分野であります。川の流れを起こしている根源の力を知ることにこそ、宗教の意義がある。その根源の力は、決して現象から遊離したものではない。しかし、姿や形としてとらえられるものでもありません。「思議」できないものであります。それを「妙」と表現したのであります。
15  「因果倶時の法」で成仏
 又此れを当体蓮華とも云うなり、天台云く「当に知るべし依正の因果はことごとく是れ蓮華の法なり」と云云此の釈に依正と云うは生死なり生死之有れば因果又蓮華の法なる事明けし
 また、これを当体蓮華ともいうのである。天台大師は「まさに知るべきである。十界の依正の因果がことごとく蓮華の法門である」と言っている。この釈に依正というのは十界の生死の意である。生死があれば、その因果もまた蓮華の法門であることは明らかである。
16  生死の二法をあらわして存在している十界の当体を「当体蓮華」とも言うのであります。生死が「妙法」で、それを現ずる体が当体の「蓮華」ですから、十界の生命は、そのまま「妙法蓮華」であります。
 これを天台の『法華玄義』の釈を引いて、その証文とされております。すなわち「依正の因果は悉く是れ蓮華の法なり」と。「依正の因果」とは、依報、正報によって成っているこの生命のあらわす因果、ということであります。すなわち、現実に存在する生命――言い換えれば、十界の衆生を言うのであります。
 現実に存在する生命を、タテに時間の流れの中でとらえれば、必ず生まれでは死んでいきますから「生死の二法」になります。一方、ヨコに空間的な広がりの中でとらえれば、依報、正報のかかわりあいとなります。ゆえに、大聖人は、天台の場合は、ヨコに依正としてとらえているけれども、それはタテに生死としてとらえても全く同じであるとして「此の釈に依正と云うは生死なり」と言われているのであります。
 この依正とも生死ともとらえられる現実の生命は、因果の法をあらわしていく。そして、この生命の因果の法は必ず「因果倶時」であって、したがって「蓮華の法」となるわけであります。
 ここで「蓮華の法」「因果倶時」ということについて、申し上げておきたい。
 蓮華は、華と同時に実を生ずるところから、因と同時に果があるという原理を象徴することは、よく知られているとおりであります。
 しかしながら、では因果倶時とは、いったい、いかなる場合を言うのか、という点を正しく理解しておく必要があります。通常の物理・化学的現象、あるいは社会的事象においては、原因と結果は必ず異時であります。
 因果倶時とは、生命事象、それも法華経が初めて明らかにしている生命の法に認められることなのです。
 「観心本尊抄」に、十界について述べられた御文があります。いわゆる「瞋るは地獄・貪るは餓鬼・癡は畜生・諂曲てんごくなるは修羅・喜ぶは天・平かなるは人なり」等と仰せられているところであります
 これは「瞋る」というその生命の働きが因であり、それが地獄界であるという果をもたらすというのである。しかし、瞋りを起こして、のちにいつか地獄という果を生ずるというのは爾前経の説き方です。法華経は、瞋りにとらわれているその時に、地獄という果を得ているというのであります。これが因果倶時です。
 この場合、瞋りというのが正報の働きであるのに対し、その境涯が地獄界であるというのは依報の面からとらえたことになります。正報が因で、依報が果であり、ゆえに天台は「依正の因果」と表現しているわけであります。
 同様にして、妙法を信ずるということが因となって、その瞬間、仏界であるという果を生じているのです。ここに、成仏ということにおける因果倶時の原理があるのであります。
17  「生死の二法」も一心の妙用
 伝教大師云く「生死の二法は一心の妙用・有無の二道は本覚の真徳」と文、天地・陰陽・日月・五星・地獄・乃至仏果・生死の二法に非ずと云うことなし、是くの如く生死も唯妙法蓮華経の生死なり、天台の止観に云く「起は是れ法性の起・滅は是れ法性の滅」云云、釈迦多宝の二仏も生死の二法なり
 伝教大師は「生死の二法は一心の妙用であり、有と無との二道は本覚の真徳である」と述べている。天地、陰陽、日月、五星、地獄、ないし仏果に至るまで、生死の二法でないものはない。このように、生死もただ妙法蓮華経の生死なのである。天台大師の『摩訶止観』に「起(生)はこれ法性の起であり、滅(死)もまたこれ法性の滅である」とある。釈迦、多宝の二仏も生死の二法をあらわしているのである。
18  伝教大師は、『天台法華宗牛頭法門要纂』の中に、こう言っている。
 ――生まれるのも、死んでいくのも、一つの心のあらわすところの不可思議な働きである。この世界に生命として存在するのも、死んで、無の姿になるのも、仏のもともとの覚りのあらわす特質である――と。
 ここで伝教大師の言っている「一心」とは、妙法蓮華経のことであります。また「本覚」とは、この妙法を覚知した仏の境界を指します。生死の二法とは、生まれてくる、死んでいくという働き、変化を言います。これに対して「有無の二道」とは、この世に有る、この世に無いということであり、存在の仕方を言うのであります。あえて言えば、生によって”有”となり、死によって”無”となるわけです。しかし、この”無”とは絶対無ではない。仏法では”空”の意味であります。
 ともあれ、ともに妙法蓮華経のあらわすところの働きであり、妙法蓮華経のとる二つの存在の仕方と言えます。このことは、逆に言うならば、万物は生死の二法、有無の二道を示していくけれども、その体は、常住不変の妙法蓮華経そのものであるということなのであります。
 以上が、あくまでも、この文の基本的把握となりますが、これを踏まえて、信心、生活のうえに約して「生死の二法は一心の妙用・有無の二道は本覚の真徳」の文を論じてみたい。
 「一心」とは信心の一念であり、御本尊と境智冥合し、南無妙法蓮華経と唱える私達の一念であります。この妙法を信行する強い一念によって、生死の二法を支配しきっていけるということであります。
 生死の大海におぼれている我々の生命を、妙法によって確立するならば、その生死の大海を悠然と泳ぎきっていくことができるということであります。また、有無という現象界も、妙法の一念を確立することによって、思う存分に乗りきっていけるということであります。
 私達が「一心の妙用」によって生死の二法を転換するといっても、生死そのものがなくなるわけではない。不老不死の仙人のような存在になるのではないのです。あくまでも一介の市井の人としての一生は、何ら変わることがない。しかし、暗きから暗きへと煩悶する生死ではなく、本有の生死を楽しんでいけるのが、生死の二法を支配するということであります。
 「御義口伝」にいわく「自身法性の大地を生死生死とぐり行くなり」と。
 私達の三世にわたる人生は、車に乗って大地を生死、生死とめぐっていくようなものである。しかし、泥沼の中や岩のゴロゴロした道をガ夕、ガタの車で苦しみながらめぐっていくのか、ハイウエーを軽快にさわやかに走っていくのか、そこに同じく生死といっても違いがある。前者が無常断滅の生死であり、後者が本有の生死であります。私達は本有の生死を送っていくことができる。それが一心の妙用なのであります。そのためにまず、勤行の実践が必要となってくるのであります。
 すなわち、実践的立場から言えば、いかなる生死の二法を現出し、いかなる有無の二道を歩みゆくかを確かに決定づけるものこそ、自身の妙法への一念の姿勢いかんであり、御本尊への信の強弱です。現象の世界には現象の世界の法があり、因果律があることは当然でありますが、その生死、有無という現象世界にあらわれた自身の総体を、福徳に満ちた当体へと回転させるか、暗やみの淵へと沈没させるか、その、言わば舵をとり、方向を与えるものこそ、自己の信心の一念であります。
 「命已に一念にすぎざれば仏は一念随喜の功徳と説き給へり」と説かれるように、妙法に巡りあって歓喜する一念、広宣流布という未曾有の仏事に喜び勇んで邁進していく信心実践の中に、無量の功徳が開かれ、人間としての勝利の人生が開かれていくことを知るべきであります。勇んでなす一念と、受け身の一念と、その差はほんのわずかでありますが、結果としては、現実世界において莫大な開きとなってあらわれるのであります。
 「天地・陰陽・日月・五星・地獄・乃至仏果」うんぬんとは、この世界に存在するあらゆる存在も、この世界が刻々とあらわしゆく変化相も、生死の二法を現じないものはない、ということです。天と地、すなわち私どもの生きているこの大地も、限りなく広がる宇宙の空間も、やはり生死の二法をあらわしています。太陽や月も、生じ、やがて死滅していくのです。
 五星とは、現代的に言えば、地球と同じく太陽の周りを回っている兄弟の星達、いわゆる太陽系の惑星です。歳星、螢惑星、太白星、辰星、鎮星を五星と言い、「立正安国論」では五緯という呼び名を用いられております。
 太陽に近いほうから言えば、水星にあたるのが辰星、金星が太白星、火星が螢惑星、木星が歳星、土星が鎮星です。今日、天体望遠鏡によってその存在を知られている天王星、海王星、冥王星は、当時は知られていなかったので、出てこないのです。
 ともかく、こうした万物、万象の体が妙法蓮華経ですから、これら万物の示す生死は、所詮、妙法蓮華経の生死なのです。
 天台大師が『摩訶止観』に「起は是れ法性の起・滅は是れ法性の滅」と言っているのも、全く同じ意
 味であります。法性とは妙法蓮華経ということです。森羅万象(しんらほんしよう)の起、滅ーーすなわち顕れてくるのも、
 滅していくのも、すべて妙法蓮華経の起減にほかならない、との意であります。
 「釈迦多宝の二仏も生死の二法なり」――釈迦は生をあらわし、多宝は死をあらわしております。法華経の虚空会の儀式において、宝塔の中に座している釈迦、多宝の二仏自体、生死の二法をあらわしているのだとの仰せであります。
 境智の二法に約せば、釈迦は智、多宝は境であります。ゆえに、能動的主体の智の表象にあたる釈迦は生、所証の境の表象である多宝は死となるのです。
19  生死一大事血脈が弟子檀那の肝要
 然れば久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別無しと解りて妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、此の事但日蓮が弟子檀那等の肝要なり法華経を持つとは是なり
 このように、十界の当体が妙法蓮華経であるから、久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経すなわち妙法蓮華経と我ら九界の衆生の三つは全く差別がないと信解して、妙法蓮華経と唱えたてまつるところを生死一大事の血脈と言うのである。このことが日蓮が弟子檀那等の肝要である。法華経を持つとは、このことを言うのである。
20  これまでのところをうけて、結局、いかにすれば、仏法の極理であり、仏の悟達の法であり、しかも我々の生命の体でもあるこの生死の一大事が、衆生の中に脈々と涌現してくるか、という実践法を述べられるところであります。
 ここでは、その中でも最も根本となる、信心の姿勢を言われていると考えてよいでしょう。すなわち「久遠実成の釈尊」――これは本果の立場の仏であります。久遠実成の釈尊自身の生命の体も「妙法蓮華経」である。
 「皆成仏道の法華経」については、この本果の仏が己心の悟達をそのままに説いた法であり、十界の衆生は皆、この法を信受することによって、己心の妙法を覚知し、成仏することができる。この「皆成仏道の法華経」の体もまた「妙法蓮華経」にほかなりません。
 「我等衆生」もまた「天地・陰陽・日月・五星・地獄・乃至仏果・生死の二法に非ずと云うことなし」とお示しの個所に対応しております。凡夫である「我等衆生」の体もまた「妙法蓮華経」であることを、明確に教示されたところであります。
 したがって、この「久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ」という表現は、一往、法華経本門の五百塵点劫成道の釈尊と、二十八品の法華経と、「我等衆生」とみられましょうが、再往、元意の辺は、久遠元初の自受用報身如来即日蓮大聖人と、文底独一本門の大御本尊と、そして私どもの生命とがともに南無妙法蓮華経であり、この三つは全く差別はないと”解りて”と拝すべきであります。これを、差別があると思っていくのは、真実の仏法ではありません。
 仏は、素晴らしい特別な存在であるとし、我々衆生は、卑しく醜い存在であって、とうてい仏になどなれるはずがないと考えるのは、大なる誤りであります。
 また、法華経は、架空の儀式、説法であり、今日の我々の生活や人生とは全く無縁のものであるとするのも、この御文のお心に背いていると言わなければなりません。
 いわんや、文底の立場で、日蓮大聖人と我々の間に、越えることのできない隔絶があるように考えたり、御本尊をよそにみていくこともまた、自ら「生死一大事の血脈」を途絶していることになるのであります。
 しかしながら、この「三つ全く差別無しと解りて」といっても、それを事実のうえで”解る”――理解するというところまでは達していないのが凡夫であります。その場合”解りて”とはどういうことかといえば、「以信得入」以信代慧」と示されるごとく「深く信心をとって」ということになるのであります。
 ともかく、御本仏日蓮大聖人の御生命も南無妙法蓮華経であり、その大聖人の御生命をそのまま「すみにそめながして・かきて候」と仰せられている御本尊も南無妙法蓮華経である。
 そして、もったいないことでありますが、私ども一人一人の生命もまた、同じ南無妙法蓮華経であると、こう信じて、南無妙法蓮華経と唱える時、私どもの生命に生死一大事の血脈、すなわち南無妙法蓮華経の大生命が脈々と涌現してくるのであります。
 これこそが、日蓮大聖人の弟子檀那――すなわち日蓮大聖人の仏法を実践する者にとっての肝要であり、「法華経を持つとは是なり」――これ以外にないということなのであります。
21  「臨終只今にあり」と自覚
 所詮しょせん臨終只今にありと解りて信心を致して南無妙法蓮華経と唱うる人を「是人命終為千仏授手・令不恐怖不堕悪趣」と説かれて候
 所詮、臨終只今にありと覚悟して信心に励み、南無妙法蓮華経と唱える人を普賢菩薩勧発品には「是の人命終せば、千仏の手を授けて、恐怖せず、悪趣に堕ちざらしめたもうことを為」と説かれている。
22  「臨終只今にありと解りて」ということは、単に肚を決めるというのではない。「解りて」とは、事実がそのとおりであることを前提にし、この生命の真実の姿を見極めるという意味であります。
 誰しも、まだまだ、自分の人生は先があると思っている。だが、いつ死がおそってくるかは、誰も知らない。一瞬の後には死んでいるかもしれないのです。これが、生命の真実の姿です。
 いわんや、仮にまだ二十年、三十年、あるいは五十年と寿命のあることが確かであるにしても、永遠からみれば瞬時であると言わざるをえないでありましょう。これもまた「臨終只今」です。
 この事実を理解した時、心ある人ならば、いま生きて仏法を受持していることの重みを、ひしひしと感ぜずにはいられないはずです。目先の栄華、今生の名聞名利は問題ではない。永劫の未来のため、死してなお消えることのない福運を積むため、真実の人生の目的を凝視しながら、信心いちずに励まざるをえないでありましょう。
 これが、信心の究極の姿勢であります。といって、では、仏法者であり、社会人である我々も、文字通り、一切をかなぐり捨てなければならないかというと、そうではありません。広宣流布という大目的に向かって、信行に励みゆく時、すべてが妙法のもとに生きてくるのであります。それが、私どもの「臨終只今にあり」と解った生き方であります。
 瞬間瞬間、この決意の持続に生きていく時「千仏授手・令不恐怖不堕悪趣」となるのです。千仏が手を授けてくれたように、安心立命の境地になり、地獄、餓鬼、畜生、修羅などの悪趣に堕ちることもなくなるのです。
 「是人命終為千仏授手」のこの文は、一往は一生の終わり、死の瞬間において、このようになるということでありますが、再往は、生きている間の、瞬間瞬間の境涯について言われたものであることを知るべきであります。
 「所詮臨終只今」ということは、只今に全生命をかけていくということにほかならない。日々を懸命に生きていく、広宣流布に、一生成仏に、我が生命を燃焼させながら、戦い抜いていくということであります。
 一人の人に仏法対話をしていくにも、今を逃したら、いつまたじっくり話せるか分からない。また、この人の宿命転換は今しかない、と真剣に接していくならば、その人生は、すでに臨終只今の精神に通じているのではないでしょうか。
 御本尊への唱題にあっても、教学を学ぶにしても、激励の手紙を書くにしても、一瞬一瞬、真剣に取り組んでいくことが何よりも大切なのです。
 思うに一生といっても、現在の一瞬の積み重ねであります。きょうを充実させられない人に、明日の開花はありません。瞬間を大切にできない人がいくら百年の大計を口にしても、絵にかいた餅にすぎない。過去の因も未来の果も、現在の一瞬の諸法実相に凝縮されているのであり、その一瞬の転換が過去久遠よりの罪障の消滅も、未来に続きゆくであろう永劫の福運も決定していくものです。そのカギが「臨終只今」の信心を確立するかいなかにあるのだという、宿命転換の原理を教えられている御文と拝します。
 この法華経勧発品第二十八の文を、文字通りとった場合は、命終した時千仏が手を授け、決して恐怖させることもなければ、三悪道、四悪趣に堕とさせることも絶対にないということです。
 このように説かれているのは、死んで宇宙に溶け込んでいく生命は、もう自らの意志ではいかんともできないからです。その人の生命状態そのままで業果に包まれなければならない。絶対的な厳しさです。その時に、千仏が手を授けて守護する。これほど力強いことはないに違いない。
 また、これは単に手を授けられるということのみではなく、永遠の生命を確立できるということでもあります。永劫不壊の絶対的幸福をつかめるとの仰せなのです。
 もちろんそれも、臨終只今の信心の持続があってこそであり、「心の固きに仮りて神の守り則ち強し」であることを忘れてはなりません。
 御本尊への信と唱題もなくて、自然に千仏が守りにきてくれるということではないのです。ここは一往、命終した命、すなわち受け身の生命のゆえにこう言われているのであり、根本精神は、あくまで自身が、唱題の行に励むことにより、自分自身の胸中にある千仏の守りを自らあらわしていくということにあります。
23  「千仏」とは生命守護の働き
 悦ばしい哉一仏二仏に非ず百仏二百仏に非ず千仏まで来迎し手を取り給はん事・歓喜の感涙押え難し
 喜ばしいことに、一仏二仏ではなく、また百仏二百仏でなく千仏までも来迎し手を取ってくださるとは歓喜の涙、押さえがたいことである。
24  この文は、念仏を打ち破っているところです。念仏においては、念仏を称えて死んだならば、阿弥陀仏の使いとして観音、勢至の二菩薩が、雲に乗って迎えにくると説いている。それを信じていた大衆が多かったから、そのような幼稚な教えで民衆を欺いていた念仏に対する激しい憤りを含めて言われているのです。
 一仏とか二仏というようなものではない。まして二菩薩などというのではない。千仏が手を授けて守るのである。ぜんぜん規模が違う。つまり、どんなに三悪道に堕ちる生命であっても、浮上させていくということであります。
 また「御義口伝」には「千仏とは千如の法門なり」とあります。
 すなわち、宇宙のあらゆる生命守護の働きが作動して、法華経の行者を守護するのであるという意味になります。
 このように、百界千如と言われているのは、「法」の観点からとらえられているのであり、法の原理にかなうならば、宇宙の様々な働きが、その人の生命を守るように働くということです。しかも、その働きを起こさせるのは、一人一人の生命力であります。したがって、法華経の精神は真実の自立を説いているのです。
 この「千仏来迎」を更に身近なものとしてとらえる時、このようにも考えられます。すなわち「千仏まで来
 迎し……」とは、人が亡くなった時に葬式をしたり、あるいは追善回向をするわけですが、その際、故人を慕って多くの友人、知人が、題目を送ってくれるということです。生前、崇高な使命の道をともに歩み、苦しい時も、喜びの時も、嵐の時も、希望の春も、ともに進んできた同志は、多くの尊き同志から題目の回向を受けることができるのです。
25  信、不信の差異は厳然
 法華不信の者は「其人命終入阿鼻獄」と説かれたれば・定めて獄卒迎えに来つて手をや取り候はんずらん浅猨あさまし浅猨、十王は裁断し倶生神は呵責せんか
 これに対し法華経不信の者は、譬喩品に「其の人は命終わって、阿鼻獄に入るであろう」と説かれているから、定めて獄卒が迎えにきて、その手を取ることであろう。あさましいことである、あさましいことである。このような人は十王にその罪を裁断され、倶生神に呵責されるにちがいない。
26  それに比べて法華経を信じない人は、法華経譬喩品にあるとおり、命終したならば、地獄の中でも最も重い阿鼻地獄に堕ちるのであり、千仏が手を授けるのではなくして、獄卒が手を取って迎えるというのであります。お迎えが獄卒ではやりきれない。妙法を信ずるか、逆に敵対するかは、これだけの決定的な差を生みだすのです。
 生きている間は、いくら権力をほしいままにしようが、富を蓄えていようが、名声を博していようが、命終したならば、一切関係ない。一個の赤裸々な人間です。懸衣翁、奪衣婆によってはがされてしまう。その人がいかなる行いをしたかという「業」がそのままあらわれて、その果報を受けなければならないのです。
 その告発は倶生神がして、十王が審判するという。倶生神は人が生まれると倶に生ずる神であり、その人の善悪を、もらさず閻魔王に報告するという。今で言えば検事です。十王は冥途の十人の王で、初七日から三周忌まで次第に裁断すると言われております。閻魔王もその一人であります。これは裁判官です。世間法や国法では言い逃れできることもあろう。しかし、仏法では絶対にできない。倶生神=同生同名天と考えてもいいのですが、生まれた時から監視しているのですから逃れようがありません。
 これは仏法が生命の内奥の因果を教えているものであり、嘘が通じないことを示しているのです。
 一般に、地獄は譬え話であり、生きている間の行いを正させるために説かれたものであるとされております。地獄として絵画的に示されている話はそのとおりでないかもしれない。しかし事実はどうであろうと、そういう生命の境界があることは真実である。
 日々の生活の中に身を裂かれるような苦しみを味わう等活地獄もあれば、周囲から圧しつぶされるような衆合地獄、身を焼かれる焦熱地獄等、あらゆる苦しみが充満しているのは、悲しいが厳然たる生命活動の事実です。
 三世が変わらざる時の流れであるならば、死後においても、何ら違うことはあるはずがない。生命自体が苦楽を受けなければならないのは理の当然でもありましょう。
 懸衣翁や奪衣婆も、永遠の生命の厳しき因果観からみるならば、あらゆる外見的在虚飾が、死後の生命においては何の役にも立たないこと、生命内奥の真実のみの世界であることを教えているのであり、十王や倶生神も、一瞬一瞬の色心にわたる言動が、すべて業として刻印されていることを教えた、優れた譬えとして理解されるのであります。
 この観点からするならば、妙法への不信誹謗の行為は、自己自身の生命力を損減させる行為であり、やがては生命力を全く失ってしまって、繋縛不自在、すべてに縛られて身動きできない泥沼の生命になっていくのです。
 いかに恐ろしいといっても阿鼻地獄ほど恐ろしいものはない。その地獄のありさまを聞けば血を吐いて死ぬほどであるといわれております。これは地獄の恐ろしさを言ったものであるとともに、生命内奥からの不幸は、外見のそれと違って、筆舌に尽くせないものがあるということでもあります。
27  生きていくということ自体が苦しい、気力が衰えてくる、希望を失う――これほど哀しく惨めな人生はない。何をしても、全部うまくいかない。「聖人御難事」に述べられている「始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず」とはこのことです。
 建物が、外から台風等によって打撃をうけた場合はよく分かるし、また修理することもできる。しかし、内から腐っていった場合は、一見して分からない。しかし、着実に崩れていくし、それを直すことは大変な困難です。
 法華誹謗は、我が身の宮殿を、内部から腐らせていくようなものであり、最も恐ろしい仕業であります。まさしく獄卒が迎えにきて手を取る恐ろしさに勝るとも劣らないでありましょう。
 ゆえに、いかなる苦しいことがあっても、悲しいことがあっても、御本尊からは絶対に離れてはならない。福徳を消し、仏種を永く断じてしまうからです。
 仏法では臨終という問題を重視している。臨終は、その人の一生の総決算であるとともに、未来世を踏みだす第一歩であるとみているからです。
 諸法実相で、その死の瞬間に、一生の善悪の業績が一つも残さず、その相にあらわれる。怖いくらいです。少しのごまかしもきかない。臨終の明暗は、そのまま、今世の姿の諸法実相であり、未来を映しだす鏡であります。
 「おもんみれば日蓮幼少の時より仏法を学び候しが念願すらく人の寿命は無常なり、出る気は入る気を待つ事なし・風の前の露尚譬えにあらず、かしこきもはかなきも老いたるも若きも定め無き習いなり、されば先臨終の事を習うて後に他事を習うべし」とは「妙法尼御前御返事」の一節です。
 私は、真剣に、かけがえのない”今世の生”を生きんとする者の在り方を教えられた御文であると拝するのです。
28  識者も志向する仏法の精髄
 「臨終」がなぜ大事かということについては、最近は、欧米でもいろいろな学者が、様々な角度からこの点について研究をしています。
 シカゴ大学の精神科医学部の教授をしていたエリザベス・キューブラー・ロス女史は、プロテスタントで、死後の生命を信じることはなかった方ですが、最近十一年間に一千人に及ぶ患者の死に接するにつれて、どうしても死後の生命を信ぜざるをえなくなってきたと告白しています。
 ロス女史は、死んだものと一度宣告された人が蘇生してから、その間に何が起きたかを詳細に語ってもらい、次のようにリポートしています(「第三文明」昭和五十一年六月号対談「生と死をめぐって」第三文明社)。
 ――肉体的死の瞬間、彼らは物理的な肉体から抜けて浮遊する。彼らは、ベッドに寝ている自分自身の姿を見ることができる。種々の情景を識別できる。誰が部屋へ入ってきたか、どの医師が、どの看護婦が部屋にいたかを全部知っている。患者は、すでに生命兆候がすべて失われているにもかかわらず、周囲にいる人達の着物の色まで識別できた――。
 このような現実の体験を、ロスに話したという。これは、一種の肉体離脱体験である。
 ――また、死ぬ時の最初の瞬間は、誰でも気持ちのよい状態になる。(苦痛の極限から逃れられたという意味で)しかし――次の瞬間以後が問題である。
 例えば、キリスト教では、天国と地獄を説くが、たしかに、そのような差がやってくる。しかし、キリスト教に述べられている”天国”と”地獄”の様相と、実際に死からよみがえった人の体験とは全く異なっている。(その人達の中に、キリスト教徒もいた)
 死んだ後――生命兆候がなくなった後――彼らは、ひとつの光源を目指していく。その時、天国とか地獄と言われるような状態が訪れる。しかし、その状態は、生命の外側から訪れるのではない。彼らは自分の生を反省するように強要されるのである。
 ちょうど、テレビの画像を見ているように、その人の眼前に、一生のことが現れては過ぎ去っていく。行った行為のみならず、思考の内容まで、走馬灯のように展開していく。
 その人が生涯になしたこと、考えたことが、ことごとく見えるのであるから、ある人にとっては天国、また、他の人にとっては地獄を経験するといっても間違いではない。
 しかし、他者(例えば、絶対神)が、その人を裁くのではない、その人自身が自分を裁くのである――という体験を、死からよみがえった人は語るのである。
 このような体験を踏まえて、なしたことは決して消えない、という仏法の業論は、素晴らしい、美しい真理である。自分が種子の中に注ぎ込んだものは、すべて、その人が刈り取るところのものである――私は、本当に、それを信じる。それは、絶対的な法則である、とロスは述べております。
 ロスの、仏法の業論への信は、彼女自身の患者と接した長い体験からくるものです。すべて、科学的に確かめることができる、と彼女は言うのです。
 ロスは、自分の考えが、仏法と一致していることを聞いて非常にうれしいと述べ「生きているうちにしたとと、悪いことが全部自分に返ってくるのだということを知ることが是非とも必要です」「もし、人びとがこういう体験を知っていたら、生きているうちに、もっと質の違った、高い人生を送りうることができるであろうと考えるからです」とも語っております。
29  極めて貴重な生命感の体験
 こうした肉体離脱体験の一例として、へミングウェーも、ひどい怪我をした時に自らが経験したと、文学者らしい表現で次のように言っています。
 「わたしは、ちょうどひとが絹のハンカチの片隅をつまんでポケットからひっぱりだすように、自分の魂らしきものが、肉体からすいと出てくるのを感じた。それは飛びまわり、それから帰ってきて、再び体内に入り、そしてもうわたしは死んではいなかった」(この文は筑摩書房刊『死について』のなかでロザリンド・へイウッドが引用。戸田基訳)
 彼は、この体験をそのまま『武器よさらば』で使っています。
 評論家の松田道雄氏の編集した『死』と題する書(筑摩書房)の中に、死の幻影を見たという体験があります。小林勝氏という作家の体験です。
 長い体験記録なので、内容を要約しながら紹介してみましょう。
 生死にかかわる手術をして、その後、麻酔が切れはじめたところから、その手記は始まっています。
 「十日の深夜から意識がもどってきたが、それと共に苦痛が来た。それは怒涛といってよかった。それに襲われると眼の前も頭の中も、真っ赤になった。血の色である」
 「そして痛みの極みに達した時、私はすうっと飛びはじめたのを感じたのだ。いまにして思えば、それは多分幻覚だろうと思うのだが、私はその時、私の姿をはっきり見た。私がこなごなに割れて、燃えつきた黒いかたまりになって、果てしない空間を、とてつもない速さで飛んでいくのである。私は地球を離れたと感じていた。(中略)私は空間を飛びながら、ああ、おれの地球はあたたかだった、と思っていた。(中略)
 とてもつめたい。いっそうつめたいところへ飛んでいく。そして私の前方は無限の宇宙空間であり、うす青い色からしだいに濃い青へ、そして黒々とした色へとつづいていた。そうだ、このまま飛びつづけて、あそこへおちこんだ時(中略)これが死なんだ、と私ははっきり思った」
 「そこにはもう、ただ一つのことを除いては、どのような人間感情も存在しなかった。(中略)私の親しい人々に対しても、また私自身についてすら、喜んだり悲しんだりするすべての感情はもはや消滅していた。これはいまにして思えば全く予想しないことであった。親しい多くの人々と別れて、淋しいとかつらいとか悲しいとか、そういった感情はここにくると、もう存在しなかったのである。
 ただ一つだけ、最後まで残っていた感情がある。それは、何とも云えない無念な思いであった。こうやってついに生命に別れを告げるのか、という確認と同時に、かつて人間であり、ただ一度の生を生きたというその証拠を、自分がこうしてパタッと消えるにしても、やはりつづいていくであろう人間の歴史の上に、たとえどんなかすかな爪あととしてでも刻むことなくして飛び去らなくてはならないという無念さであった。
 これは、意外だった。自分なりに精いっぱい生きてきたつもりだったのに最後にそんなものが残るとは夢にも思わなかった」
 「生のまさに終えんとするそのどたん場で、はじめて愕然として云い知れぬ無念な思いを抱いて死に突入するほど、凝縮された絶望はほかにあるまいと思えるのである」
 喜怒哀楽の感情さえも消えたあとで、ただ一つ残る無念さという感情――生命それ自体からわきあがる生命感でありましょう。
 人類の歴史に貢献できなかったという無念さが、引き返すことのほとんど望みえない生と死の境で、死にゆく生命を凝縮された絶望に陥れる。この生命感の体験は、極めて貴重であるように思うのです。
30  真実の生き方を凝視
 次に哲学的な側面からは、生の哲学者ベルクソンも、身体と心の深い考察から、死後の生命を肯定するにいたっています。またアーノルド・トインビー博士は、不死の海である宇宙本源の”精神的実在”に帰ることが死であると信じ、一人の学者として、高等宗教、特に、仏教の”空”に、生と死の解答を求めておられました。
 「死という現象は、われわれが心身統一体として見慣れている人間存在のうち、肉体面の分解をともなうわけですが、しかしそれは”実在それ自体”からみれば、じつは人間の知的着想力の限界から生じる幻想にすぎないことになります。(中略)私は、”実在それ自体”には時間もなければ空間もないと信じています。といって、それが時間と空聞に束縛されたこの世界から、全く遊離して存在するものだとは思っていません」(『二十一世紀の対話』下)
 「生命は、はたして死後も存続するのか。また、肉体が無機物の世界へと還元されてしまった後、精神はどこへ行くのか。――要するに、これらの疑問は、空間とか時間の基準からは答えられず”空”ないし”永遠”の概念によって初めて答えられるのだと信じます」(『二十一世紀の対話』下)
 更に、死を見すえての生に関して、ガンで亡くなった作家の高見順氏は、その著『死の淵より』(講談社文庫)の中に「過去の空間」と題する詩を載せております。
 「手ですくった砂が
 痩せ細った指のすきまから洩れるように
 時間がざらざらと私からこぼれる
 残りすくない大事な時間が
 …………………………………………
 時間の洩れる音だけがいそがしく聞えてくる」
 この詩には、残り少ない時間を愛惜しながら、永遠の生への限りない悲願がよみこまれています。時の一秒は、血の一滴より貴い――これが、この世に生をうけた人間の真実の生き方でありましょう。しかし、人は、死をつきつけられるまでは、あまりにも、時をむだに過ごしているようです。
 これも、ガンに倒れたある有能なルポ・ライターの話ですが、ガンと診断され、死期の迫りつつあることを宣告されてからというものは、その人はカレンダーを”日めくりのカレンダー”にかえたということです。残された貴重な一日一日を思えば、年間あるいは月間の月日がその他大勢といったふうに並べられているカレンダー使うことは、とてもできなくなった。朝起き、昼を生き、夜になって、終わろうとする時、その日の日付をいとおしむように破りとる、そして「ああ、きょう一日も生命があったか」と、生の肌ざわりをしみじみと感じたというのです。
 「人間は死への存在である」と言ったハイデッガーの言葉をまつまでもなく、生の底には死が流れています。いや、瞬間ごとに死に接し、死から生へとよみがえっているといえます。
 こうした死の自覚こそが、生を限りなく豊かにし、充実させるのです。死の自覚なきところに、真実の生もありません。充実した時間を送れるはずもありません。ここに死はそのまま生の問題なのです。死を解決しないところに、生の確立もないと言えるのではないでしょうか。
31  四年前の春、トインビー博士から招請をうけ、第二回の対談のためロンドンに行き、五日間の対談を終え、パりに寄り、列車で二時間、平和な田園の詩情あふれるロワールの谷を訪れた時のことです。
 緑の岸辺を洗う清流、牧羊の群れ、なだらかな丘陵、古城の尖塔、小鳥がさえずる小径、深閑とした森、咲き乱れる花、歳月を刻んだ石造りの農家……。そんなつた草に覆われた館の一つに、ルネサンスの巨匠レオナルド・ダ・ヴインチが晩年を過ごした家がありました。ダ・ヴインチがその偉大な生涯を閉じた寝室に、彼の言葉が銅板に刻まれていました。
 「充実した生命は 長い
 充実した日々は いい眠りを与える
 充実した生命は 静寂な死を与える」
32  「死ぬ覚悟」の人に真実の生がある
 スイスのC・G・ユングは言っています。
 「人生の半ばから先は、生きながら死ぬ覚悟のできている人だけが、本当に生き生きと生きているといえる」(『死の意味』)
 ユングは、人生の後半を特に重視してこの言葉をはいたのでしょうが、人生そのものに、生きながら死ぬ覚悟もある面では必要かもしれません。その覚悟のある者のみが、真実の生き生きとした生を生き抜いたことになるということも言えるかもしれません。トインビー博士は言っています。
 「『生のさなかにわれわれは死のなかにいる』誕生の瞬間から、つねに人間にはいつ死ぬかわからない可能性がある。そしてこの可能性は、必然的におそかれ早かれ既成事実になる。理想的には、すべての人間が人生の一瞬一瞬を、つぎの瞬間が最後の瞬間となるかのように生きなければならない」(『死について』橋口稔訳、筑摩書房)と。
 しかし、この理想状態で生き抜くことは難しい。――としながらも、トインビー博士は、次のように結論しています。
 「確信をもって云いうるのは、人間がこの理想の精神状態を手に入れるところへ近づけば近づくほど、それだけ立派な、そして幸福な人間になるということである」と。
33  次に、この生と死の問題について、自然科学者の側からみた一つの眼を紹介してみましょう。大阪大学の名誉教授で物理学者の岡部金次郎博士は『人間は死んだらどうなるか』という著で、ユニークな見解を述べられています。岡部博士は、自然科学の法則を土台にしながら、そこから一歩、推理を進めて死の問題を説こうとする。岡部氏の提唱する推理科学であります。
 ――物質の科学では、不生不滅の法則が成立する。つまり、エネルギーや物質が、何も無いところから突然に出現したり、反対に現に存在するエネルギーや物質が、完全に跡形もなく消滅してしまうことはありえない。
 人間の魂は、超物質的、超エネルギー的なもので、五感でとらえることはできない。
 しかし、人間の魂なるものを認めなければ、人体を構成する物質は、新陳代謝によって、何年かのうちにぜんぶ入れ替わってしまうのであるから、現在の自分と子供の時の自分は全く別人になってしまう。単に、あるていど、形質が似ているだけということになる。
 そこで、現在の自分と子供の時の自分との「自己同一性」を認めるとすれば、人間の魂なるものを認めざるをえないであろう。
 魂のようなものも、それが存在するものとすれば、不生不滅の法則があてはまるであろう。つまり、死によって、人間生命が消滅してしまうのではない。何らかの状態で存続するのであると推測せざるをえない。
 魂の中心を魂の核と呼ぶ。生の時は、魂の核が肉体と一体不二であり、種々の機能を発揮している。つまり、活性状態にあると考えられる。死においては、魂の核が非活性状態になるのであろう。つまり、死の生命では、生きている時のような機能を発現することはない。しかし、生命の中に、その人間としての機能を潜在させているのである。
 そして、生命が死から生へとよみがえると、再び、魂の核の機能を発揮するようになるであろう。
 このように、人間の生死は、魂の核が活性状態であるか、非活性状態になっているかの違いであり、魂の核そのものは生死にわたって存続するのである――。(要旨)
 岡部氏の言う魂、魂の核とは、通常の霊魂ではないと私は思う。霊魂という考え方は、仏法においても、涅槃経において、徹底的に否定されています。私は、氏の言っている魂の核とは、仏法における「自己同一性」をもたらす生命の”我”に通ずるものがあるように考えるのです。
 ともあれ、人生において何が大事か。それは生きる目的観であり、生死の問題であり、この根本義をはずして、いかに他事に心を奪われでも、所詮、それはむなしい。何も悲壮感にとらわれることはないが、死を見つめ、生を緊張して生きる、求道の厳粛な姿勢を失ってはならないのではないでしょうか。
 現代人は、そして現代文明は”生の奢り”に浸っているのではないか、と憂える識者の声もあります。死の重みを忘れた軽薄な生は、真の意味での生の充実をもたらさない。
 「臨終只今にあり」の言は、混迷の一途をたどる今日の時代において、千鈎の重みを持つものと、私は思います。
34  唱題の人に千仏の支え
 今日蓮が弟子檀那等・南無妙法蓮華経と唱えん程の者は・千仏の手を授け給はん事・たとえばうり夕顔の手を出すが如くと思し食せ
 今、日蓮が弟子檀那等、南無妙法蓮華経と唱える者に、千仏が御手を授けて迎えてくださるさまは、例えば瓜や夕顔の蔓が幾重にもからんで伸びるようなものであると思われるがよい。
35  「是人命終為千仏授手」の法華経勧発品の文は、まさしく、末法の大白法を信受し実践する日蓮大聖人の弟子檀那にあたるのであると言われております。
 ウリやユウガオの蔓がからむように、千仏が、御本尊を持つ私達を、全力を挙げて支えてくれるとの仰せであります。このことを前提としたうえで、今度は指導者としての在り方を考えてみたい。仏が衆生を守るのは、手をさしのべて、地獄へ堕とすまい、恐怖を味わわすまいとする精神に立っているという法華経の文からするならば、私達もまた、同志に対しても、また友人に対しても、この精神に立たなければならないと思うのであります。
 どうすれば皆が喜んで人生を満喫できるか、悲しい思いをしないでいけるかを常に考えていくこと、すなわち同志愛、隣人愛、人類愛こそ、「令不恐怖不堕悪趣」の仏の精神であり、そのために手をさしのべて協力し、励ましていくのが「千仏授手」であります。
 人間、崩れる時もあれば、沈む時もあります。その時にこそ、千仏、すなわち周囲の人々が励まし、支えあっていくなかに、その人自身の蘇生も、ひいては地域の発展もあると私は思う。また常に私は、このことを念頭におきつつ接しているつもりであります。
36  現在の一念が洋々たる未来開く
 過去に法華経の結縁強盛なる故に現在に此の経を受持す、未来に仏果を成就せん事疑有るべからず
 過去世において、強盛に法華経に結縁していたので今生においてこの経に値うことができたのである。未来世において仏果を成就することは疑いない。
37  心地観経に「過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」とあります。この文に照らしてみるならば、過去において御本尊への結縁が強盛であったというのは「過去の因」であります。現在に御本尊を持ったというのは「現在の果」となる。しかも、御本尊を受持していることは、そのまま「現在の因」であり、「未来に仏果を成就せん」すなわち「未来の果」を決定づけているのです。
 私達がいま御本尊を受持しているということは、また広宣流布、一生成仏を目指して実践しているということは、誠に不思議なことであります。それは過去にそれだけの因を積んでいたからに違いない。「在在諸仏土常与師倶生」の原理からするならば、常に御本尊のもとに妙法弘通に挺身してきた「因」のゆえでありましょう。そのゆえに今、御本尊にあえたという「果」がある。
 しかし、御本尊を受持できたということを、単に「果」としてのみとらえるのでなく、その「果」をそのまま「因」としていってこそ、つまり未来への発条としていってこそ、未来の更に輝かしい開花があると知っていただきたいのであります。
 「現在に此の経を受持す」の「受持」において、「受」とは過去の因による果でありましょう。しかして「持」とは、未来の果を目指しての因でなければならない。不断の精進、不屈の信仰の連続の中に「持」の一字があると心得ていただきたい。「受くるは・やすく持つはかたし・さる間・成仏は持つにあり」とあるのも、この意であります。このように、過去の結縁が現在の受持とあらわれ、その現在の受持が未来の仏果となることは疑いないという三世にわたる種熟脱の原理を示されたのがこの文でありますが、それでは、現在において信心を起とすことのできない人は、過去に結縁がないのであって、そういう人は諦める以外にないのかというと、決してそうではありません。
 現在のこの人生で仏法の話を聞くことができたということも「過去の結縁」そのものになります。そして、人間は過去世の業によってのみ縛られ動かされていく存在ではなく、現在の一念によって、未来をどのようにでも変えていける主体的存在でもあります。厳密に言うならば、過去の結縁が強盛であったかどうかは、誰にも分からないことである。ただ、現在の諸法実相が根本であり、最も大事なのです。「諸法実相抄」の「地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり」と同じであります。地涌の菩薩だから唱えているのではなく、題目を唱えているからこそ地涌の菩薩であるということです。したがって、過去に日蓮大聖人の本眷属として結縁強盛であり、様々な国土での妙法流布を誓いつつ、この世に生を受けてきたのだと決めて、現在の一瞬を真剣に行動し、この一瞬一瞬の積み重ねとしてのこの一生を、自ら切り開いていくことが、仏法の根本精神なのです。ですから、広宣流布に現実に挺身していくことこそ、誉れある地涌の菩薩の証であるという強い決意をもって、日々の精進に取り組みたいと思うのであります。
38  信仰の持続こそ最も大切
 過去の生死・現在の生死・未来の生死・三世の生死に法華経を離れ切れざるを法華の血脈相承とは云うなり
 過去、現在、未来と三世の生死において、法華経から離れないことを法華経の血脈相承というのである。
39  先に生死一大事の血脈について、妙法蓮華経であるとその体を明かされ、また妙法蓮華経と唱えることであるとその実践を示されましたが、ここではその持続の中にこそ、血脈が連綿と受け継がれていくことを教えられているのであります。
 いわゆる「血脈」には、唯授一人の別しての法体の血脈と、総じての信心の血脈とがあります。ここで仰せられているのは、総じての血脈であることは言うまでもありません。
 この総じての血脈、すなわち久遠元初自受用報身如来たる日蓮大聖人の御一身に流れる生死一大事の血脈は、親から子へ血のつながるごとく三世にわたって御本尊を持ち、題目を唱える私達の生命に受け継がれていくのであるとの御文であります。
 これは一往、大聖人の教えを受けるようになってから日の浅い最蓮房に、また、ともすれば理に走りがちなその傾向も感じられて、信仰の持続こそ最も大切であることを教えられているのでありましょう。
 私達の立場においては、仏の生命と感応道交できる生命の開発、すなわち信心の中に血脈相承があるのであり、それには生涯、いな三世にわたる持続がなければならない。一生において、一つの信念を貫くことさえ容易ではない。しかるに三世にわたる信心を教えられているのは、簡単なことであるようにみえながら、これほど困難な、またこれほど大切なこともないと教えられていると拝したい。
 大聖人の生命にある生死一大事の血脈を、私達はどうすれば相承できるか。大聖人御自身はすでにおられません。だが、大聖人は人法一箇の当体たる御本尊を残してくださっております。ゆえに純一な信仰による唱題という実践によって、大御本尊の生命を我が生命に移すのです。というよりも、我が生命の中にある、大聖人の御生命、仏界の生命を涌現させる以外にないのです。
 すなわち、大聖人の命を受けるとは、我が己心の大聖人を涌現させる以外の何ものでもない。例えば空の鳥が御本尊であり、その鳥に呼応して鳴く篭の中の鳥が、我が生命の仏界であります。その意味では、信心の血脈相承といっても、一切、我が生命にあるのであり、それを決定させるのは、したがって自らの信仰以外にないといえるのであります。
40  謗法不信の者は「即断一切世間仏種」とて仏に成るべき種子を断絶するが故に生死一大事の血脈之無きなり
 謗法不信の者は、譬喩品に「即ち一切、世間の仏種を断ぜん」と説かれて、成仏すべき仏種を断絶するがゆえに、生死一大事の血脈はないのである。
41  謗法、不信の者は、自らの手で種子を断っているのであり、そのゆえに、謗法、不信の者に、生死一大事血脈があろうはずはないと述べられているのであります。
 「一切世間の仏種を断ぜん」とは、どこの世界へ行っても救われない、どこへ逃げようとも逃げられることはない。地獄の世界へ行くということであります。
 あらゆる衆生の成仏の種子が南無妙法蓮華経であるがゆえに、妙法を信ぜず誹謗することは、一切世間の仏種を断ずることになるのであります。
42  仏法実践の究極は異体同心
 総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、然も今日蓮が弘通する処の所詮しょせん是なり、若し然らば広宣流布の大願も叶うべき者か
 総じて日蓮が弟子檀那等が、自分と他人、彼とこれとの隔でなく水魚の思いをなして、異体同心に南無妙法蓮華経と唱えたてまつるところを生死一大事の血脈と言うのである。しかも今、日蓮が弘通する法の肝要はこれである。もし、弟子檀那等がこの意を体していくならば、広宣流布の大願も成就するであろう。
43  ここは異体同心の人間関係のなかに総じての生死一大事の血脈が流れ通うことを示されたところであり、広く一切衆生が仏に成る血脈を継ぐための具体的実践の在り方を明かされた御文であります。
 まず「総じて」と述べられていますが、これは、ご存じのように「別して」に対する言葉です。
 別して生死一大事の血脈が流れ通うところを尋ねれば、本抄のはじめに「釈迦多宝の二仏宝塔の中にして上行菩薩に譲り給いて此の妙法蓮華経の五字過去遠遠劫より己来寸時も離れざる血脈なり」とありますように、文上においては、釈迦、多宝の二仏から付嘱を受けた上首上行菩薩の生命に、その血脈はある。
 したがって再往、文底の立場から拝するならば、法華経文上に垂迹上行菩薩と現れた久遠元初自受用身如来の再誕たる日蓮大聖人の御生命こそが、別しての生死一大事の血脈の当体なのであります。
 したがって、この御文は、日蓮大聖人の御生命に流れる血脈が、総じては大聖人門下の異体同心の団結の姿の中にあらわれると結論づけられた個所なのであります。仏の血脈は、異体同心に題目を唱え、広宣流布を目指していく一人一人の生命に脈打つとの仰せなのであります。
 これは、末法の荒凡夫が成仏できる具体的な道を明かされた重要な依文でもあります。
 「今日蓮が弘通する処の所詮是なり」と述べられていますように、大聖人の妙法弘通の元意は、空間的に広げれば全日本、全世界の人々に、また、時間的次元で言うならば、末法万年尽未来際の人々に成仏の道を開き、仏の血脈を与えようとの大慈悲が、日蓮大聖人の根本の御精神であられるのであります。
 ここに正法の伝持を主眼とした正像の摂受のいき方と、全民衆の成仏を目指された日蓮大聖人の末法折伏のいき方との根本的な相違点があるといえるのであります。
 そうした大慈悲のお心から、成仏の根源の当体として大御本尊を御建立くださり、具体的実践、運動の方軌として異体同心の原理を教えてくださったのであります。
 私どもは、この御遺命に照らし、御本尊を根本として日蓮正宗を外護し、異体同心に妙法流布に励み、人間同士の交流の中で錬磨、研鎖を重ねていくことを根本精神としているのであります。
 恩師戸田城聖先生は、常々「創価学会の組織は戸田の命よりも大切である」と言われておりましたが、それも自他彼此の心なく異体同心の人間連帯の和を築いていくところに、総じての生死一大事の血脈が厳然と受け継がれ、一切衆生を仏になしゆくカギがあることを知悉しておられたがゆえであると確信するのであります。
 一般的にみても、組織というものは、単なる個の総和としての力を持つだけではない。異体同心の原理によって適材適所の構築がなされれば、想像を絶する力や働きが生みだされ、その組織の目的を成就していくものであります。
 人間の文化、伝統は、すべてこうした組織の中に育まれ、継承されているというのが否定しえない事実なのであります。
 しかも、創価学会の組織は、個々の会員の人間革命、一生成仏を目指し、ひいては広宣流布を目指して生みだされたものであります。
 私どもは、戸田先生が遺されたこの創価学会の生命的連帯の組織を、何よりも大切にし、慈しみ、守り抜いていかなくてはなりません。
44  大聖人門下の中に仏の血脈が流れる
 なお、この御文に関連して、異体同心の在り方について、一言申し上げておきたい。というのも、異体同心の和合僧団にして初めて、総じての生死一大事の血脈が流れ通うとの仰せだからであります。
 まず、異体同心を身近な例で言えば、広宣流布のために常に寄り合い、御書を学んだり、諸行事を企画したりして、互いに励ましあい、指導しあっていく事実の姿の中に、その縮図があるといえる。「心ざしあらん諸人は一処にあつまりて御聴聞あるべし」とも説かれているとおりです。
 人間の心というものは、時々刻々と変化します。その変転きわまりない当体であるゆえに、集合しては信心の呼吸を合わせ、盤石な家庭建設のため、地域の繁栄のために、離散し再び仏法求道の座談の場に集い合うのであります。
 この繰り返しこそが、仏法の真髄を現じゆく事実上の方式であり、「異体同心なれば万事を成し」との御文も、この姿を指すと拝せる。創価学会の今日があるのも、恩師戸田前会長を中心に、常にこの異体を同心とする離合集散の実践が営々と持続されていたことに帰着するのであります。
 私どもの信心の目的は、自らの生命の連続革命にあるといってよい。しかも、私どもの目指す広宣流布は、利害や名誉を目的とした世間のそれとは全く次元を異にする、最も崇高な人類的、宇宙的、永遠的な普遍性をはらんだものであり、これを可能にする根本要因こそ異体同心の団結にあるということを強く申し上げておきたいのであります。
 この異体同心の原理で大事な点は、まず第一に、異体を前提としていることであります。一人一人の個性や立場、特性を最大限に尊重し、その当体を輝かせていくのが、日蓮大聖人の仏法なのであります。
 「御義口伝」には「桜梅桃李の己己の当体を改めずして無作三身と開見す」と仰せであります。この自体顕照の姿をもって広宣流布に戦っていく、そこに自己の人間革命の軌跡があるのであります。
 ややもすると、通常、組織集団というものは、異体を拒絶し、同体化を図って統一したものをつくりだそうとするものであります。その端的な例が、軍隊組織であったし、また世聞における閨閥のようなファミリー集団であるといえましょう。
 ファミリー集団は強いようにみえながら、その実は閉鎖社会を形づくり、やがて時代に即応できなくなってくる。また同体のようでありながら、かえって派閥化し、阿梨樹の枝のごとき、複雑怪奇な様相を呈してくるものです。やがては腐敗堕落を極め、人間の心に悪心を呼びさます温床ともなっていく。世間の多くの組織が、血縁関係のファミリー化した組織となり、低迷を余儀なくされている事実にも、このことは明らかであります。
 ともかくも、学会員は、個々の特性を最大限に発揮しあい、互いに同志を尊敬しあっていくこの尊い伝統を、どこまでも保ち続けていっていただきたいのであります。
 あらゆる次元の変革ですから、様々な立場の人が信仰の庭に集い、見事に咲き薫っていくのが、その理想の姿です。例えば、魚屋さんなら魚屋さんばかりが集ったのでは、魚屋さん革命はできても、総体的な革命はできない。個性の面でも、才能の面でも、多種多様の人々が、自体を顕照しつつ、広布という新世紀の山脈を目指しゆくところに、初めて総体的な変革が成就されていくのであります。
 こうした異体の一人一人が、同じ心に立脚して振る舞っていくことが、異体同心の原理の第二点目であり、最も大事なポイントであります。
 大聖人は「自他彼此の心なく水魚の思を成して」と仰せです。これは、自分という存在、他人という存在、また、彼、此という、様々な立場があることは当然であり、それを否定したものではない。問題は、そこに人間の心の通い合いがなく、それぞれが、自己のことのみを中心にものごとを考え、己の感情のみを根本として行動していくことです。そうした姿勢からは、人間関係はバラバラに分断されてしまいます。こうしたアンバランスで、不統一な人間集団には、もはや、いかなる血脈も通わないというのであります。
 これに対して「水魚の思」とは、魚は魚、水は水としてそれぞれ別の存在でありながら、しかも、魚は水がなければ瞬時も生きていけない。と同じように、自身の存在が、人々の織りなす多様な人間関係に支えられていることを知り、それを大切にしていくことであります。水とは自身を取り巻く人間関係であり、魚とは自分自身をたとえられたといえます。ちょうど魚が水に馴れ親しむように、異体同心の和合僧に親しみ、それを構成する一人一人を尊重し、敬っていく姿が「水魚の思」になるでありましょう。
45  ”同心”とは御本尊を信ずる心
 仏法では報恩ということが強調され、父母の恩、師匠の恩、社会の恩、更には一切衆生の恩が言われますが、これは自身の存在を生命的つながりの中にあるととらえたところに打ち立てられた法門です。自己の存在、他人の存在を、ともに重視していくのが仏法であります。異体同心の原理も、こうした基盤を踏まえたうえでのものであることを知らなければなりません。
 しかしながら、現実の社会は、利害と打算、反目と憎悪、葛藤と破壊に明け暮れ、自他彼此の心そのままであります。あたかも、狐狼のような隙あらばという姿です。その現実は現実として、鋭く見すえていかなければならない。
 悪に負けたり、利用されては決してならない。社会は決して甘いものではない。その中にあって、あらゆる邪悪な勢力を打ち破り、真実の人間勝利の社会を築き上げていく唯一の勢力こそ、御本仏日蓮大聖人の仰せどおりの道を歩む、我らの異体同心の鉄桶の団結以外にないと申し上げておきたいのであります。
 こうした「水魚の思」を成していく根源、言い換えれば、異体同心の”同心”とは、御本尊を信ずる心が同じということです。そして御書に「日蓮と同意ならば」、また「わたうども和党共二陣三陣つづきて」と仰せのごとく、広宣流布の大目的を、同じく己が使命とすることであります。
 我見と感情とを中心としていけば、そこにはおのずから異体異心となり、不平不満と怨嫉が渦を巻くことになるのであります。
 ――彼は彼の立場で懸命に頑張っているな。あの人もあそこで戦っている。この人もここで一歩前進の指揮をとっている。皆、心を洗われるような日々を送り、清新な息吹をたたえている。心から敬意を表したい。私も私の立場で、私の使命を果たしていこう――こうした生きた組織には、総じての生死一大事の血脈が清冽に豊かに流れ通い、功徳の花が爛漫と咲き薫ることは、必然の道理であると確信するものであります。
 有名な「異体同心事」には「殷の紂王は七十万騎なれども同体異心なればいくさけぬ、周の武王は八百人なれども異体同心なればちぬ」と述べられています。
 中国古代の王朝の交代劇という、一つの史実を引かれての指導であります。紀元前十一世紀のころの古い事柄でありますが、時代性、歴史性はともかくとして、人間の振る舞いという点においてみれば、一つの真理がその中に含まれております。
 司馬遷の『史記』によれば――殷の紂王は悪逆の限りを尽くしている。姐己におぼれ、酒池肉林の宴を張り、自身の意に逆らうものがあれば、あるいは殺し、あるいはその肉を塩辛にし、あるいは干肉にし、また、諌言をした忠臣・比干の胸をえぐる等々であった。当然のことながら、民衆の幸福は一顧だにされることがなかった。一方、その殷の支配する諸国の一つであった周に文王がおり、善政をしき、諸国の王の信望を集めていた。この文王の跡を継いだのが武王であり、彼は文王の遺志を受けて、暴逆の紂王を討つ軍を起こした。その時を得た軍に、期せずして八百の諸侯が志を同じくして集まり、討伐に向かった。これに対した紂王は、七十万の大軍を繰り出した――と記されております。
 武王の軍は諸侯が集ったものであったが、天命のもと、悪を討つとの名分を掲げてその士気は十分に高かった。
 一方、紂王の軍は七十万と数こそ多いといっても、戦意はまるでなかった。むしろ、心の中では武王がやってくるのを待ち望んでおり、一斉に反乱を起こして武王を迎え入れたという。ここに殷が敗れて、周王朝の誕生をみたのであります。まさしく武王の軍は、民衆の輿望を担い、人々の心をとらえたがゆえに、異体同心の団結が可能となり、大事を成しえたといえるのです。
 我々もまた、信心を根本に、異体同心で進むならば、やがて、すべての人々が、ここに唯一の光明を見いだし、陸続と集ってくるでありましょう。
 「若し然らば広宣流布の大願も叶うべき者か」との御文は、その異体同心の団結のあるところ、必ずや広宣流布は成就されるとの御断言であります。
 異体同心の実践なくして、ただ時を待っているのみでも、口で唱えているのみでも、広宣流布の実現はないのであります。広宣流布を自らの使命とし「如来の所遣として如来の事を行」(妙法蓮華経並開結三八六㌻)じている人々の功徳は、まさに「仏の智慧をもってしても量り難し」との経文どおりであることは言うまでもありません。この重大な使命と福運に満ち満ちた人生軌道を一直線に邁進して、最高に満足の境涯へと入っていかれますことを心より念願いたします。
46  我執、驕慢が異心の本源
 剰え日蓮が弟子の中に異体異心の者之有れば例せば城者として城を破るが如し
 これに反して、日蓮の弟子の中には異体異心の者があれば、それは例えば、城者にして城を破るようなものである。
47  異体異心の者は、師子身中の虫であり、最大の敵であるとの仰せです。異体同心の団結を乱し、生死一大事の血脈を途絶えさせていくゆえに、その罪は大きい。仏法のうえから言えば、一往は、五逆罪の中でも最も重い破和合僧の罪にあたります。しかし、再往これを論ずれば、それにはとどまらず、更に重い「誹謗正法」の罪にあたるわけであります。なぜなら、仏法の根源である生死一大事血脈、すなわち妙法蓮華経に背くゆえであります。
 この「異心」とは、根本は日蓮大聖人のお心に反することでありますが、誰も最初から大聖人に背こうとして背く人はいないでありましょう。では、なにゆえ異心に陥ってしまうのか。私は、その異心の本源は、我執であり、自己の利益、自己の感情、慢心を中心としたいき方であると考えるのであります。
 大聖人の門下においても、三位房の例があります。彼は日蓮門下でも重きをなした高弟です。だが、彼も和合僧を破り、変死を遂げています。
 「三位房が事は大不思議の事ども候いしかども・とのばら殿原のをもいには智慧ある者をそねませ給うかと・ぐちの人をもいなんと・をもいて物も申さで候いしが、はらぐろとなりて大難にもあたりて候ぞ、なかなか・さんざんと・だにも申せしかば・たすかるへんもや候いなん、あまりにふしぎさに申さざりしなり
 ここには、重要な御教示があります。三位房について指導し、間違いを言ってあげられない雰囲気がつくられていたという点です。なにか言いづらい。そうしたムードを、弟子達がいつのまにかつくってしまったのです。
 三位房日行は、学もあり、門下の長老でありました。比叡山に遊学もしているし、竜象房をものの見事に破折する等、学に秀でていた。弁も立つ人であった。しかし、才知に慢ずるところがあり、また「御持仏堂にて法門申したりしが面目なんどかかれて候事・かへすがへす不思議にをぼへ候」とあるように、世間の権戚に弱く、一閻浮提第一の法門を持する誇りと自覚に欠けていた。「日蓮をいやしみてかけるか」と指摘されていますが、京の貴族の権威よりも大聖人の仏法の存在を下にみる心があったようです。
 熱原の法難の際、後輩にあたる日興上人の応援を命ぜられたのですが、行智の好策にかかり、日興上人に敵対し「大難にもあたりて候ぞ」という悲惨な死を迎えてしまうことは、よく知られていることです。後輩が中心になって戦っている。それを応援すべく派遣されたが、それが面白くなかったのではないか、と私は推量しています。
 時期は日蓮門下の興亡をかけた戦いのさなかなのに、三位房日行の心を覆うものは、自分の出番のないことを不快に思うエゴの一念、所詮は名聞名利を願う気持ちだけでありました。
 もとより、大聖人の大智は、日行の生命傾向を鋭く洞察しておられました。そして、彼の京都弘教の折に戒めてもおられる。その学智を惜しみ、それが驕慢と退転に結びつかないよう、いくたびとなく注意されようとしたに違いありません。しかし、それを許さない雰囲気があったことが、かえって、彼の決定的な不幸を招きよせてしまったのです。
 「三世各別あるべからず」です。今日においても、この教訓は少しも変わらず生きているわけです。
 大聖人滅後においても五老僧に代表されるごとく、違背の流れがあったことはよくご承知のことと思います。
 五老僧は親しく大聖人にお目にかかりながらも、大聖人御入滅後は、残念なことに大聖人の法門を天台門流に同じ、天台沙門と名乗り、離反していってしまった。これは理解が及ばなかったというよりも、法門を曲げてまで天台仏法という権威の中に、自己の保身を図っていった姿であると思うのであります。その権成のために彼らは、仮名文字で書かれた御書を「先師の恥辱」であるとして「スキカエシに成し或は火に焼き」までしているのであります。全民衆のために「身命を期と」された大聖人の御精神は、全く踏みにじられてしまいました。
 五老僧のうちの一人、大国阿闍梨日朗は、大聖人のもとにあっては、まさに師弟不二の法戦を展開し、それゆえに入牢の身ともなっております。大聖人がその日朗の強盛な信仰を称賛されていることは「土籠御書」(御書一二一三㌻)に書かれているとおりであります。この日朗が、第二祖日興上人の時代に入って違背してしまった事実こそ、私は後世の信仰者が銘記すべき広宣流布への重大な意義が刻印されているように思えてならない。
 日蓮大聖人のもとでは活躍したが、日興上人の時代においては背信していることは、当然のこととして「三世各別あるべからず」の御聖訓に背くものであり、この原理はそのまま、現在、未来にも通ずる仏法弘通上の重要な明鏡として拝さなければならないのであります。
48  脈打つ民衆救済の大慈悲
 日本国の一切衆生に法華経を信ぜしめて仏に成る血脈を継がしめんとするに・還つて日蓮を種種の難に合せ結句此の島まで流罪す、而るに貴辺・日蓮に随順ずいじゅんし又難に値い給う事・心中思い遣られて痛しく候ぞ
 日蓮は日本国の一切衆生に法華経を信じさせ、仏に成るべき血脈を継がせようとしているのに、かえって日蓮を種々の難に値わせ、揚げ句の果てはこの佐渡にまで流した。そうした中で、あなたは日蓮に随順され、また法華経のゆえに難にあわれており、その心中が思いやられて心を痛めている。
49  ここからは大聖人の御心境を述べられて、最蓮房を激励されているところです。
 大聖人のお心は、ともかく一切衆生に「仏に成る血脈を継がしめんとする」大慈悲以外の何ものでもなかった。そのために誤れる他宗教を厳しく破折され、当時の精神、思想界の指導者と目されていた極楽寺良観へも舌鋒鋭く迫られた。これらはすべて民衆の幸福のために、自身をも顧みず正義を貫いたお心のあらわれです。
 しかるに、「還って日蓮を種種の難に合せ結句此の島まで流罪す」とありますが、邪悪の僧達の好智と策動にのって、時の幕府が大聖人を迫害し、ついには佐渡流罪にまでいたらしめた。「此の島」とは、佐渡のことです。
 佐渡流罪ということは「此の国へ流されたる人の始終いけらるる事なし、設ひいけらるるとも・かへる事なし」とあるように、大変な境遇におかれたということなのです。手入れの全くされていない、荒れ放題の塚原三昧堂で起居し、ところどころ破れた板ぶきの屋根の下で極寒をしのぐという、凡夫であれば、地獄のどん底としか表現しようのない日々でありました。
 こうして一国がこぞって大聖人に迫害を加え、憎悪の炎を燃え上がらせている中で、「而るに貴辺・日蓮に随順し又難に値い給う事」うんぬんとあるように、最蓮房は大聖人に「随順」された。また、それゆえに難も受けた。どのような難であったか詳しくは不明ですが、その心は健気である。個人的に難を受けたのではなく、大聖人門下全体が弾圧という大難を受けている渦中だったのです。その時に、少しもひるまず「随順」していくことは、なみたいでいのことではできないし、逆に根底からその人の信心が試されているともいえるでしょう。
 この「随順」について「御義口伝」には「随順是師学の事」に、「随順ずいじゅんとは信受なり」とあります。また同じく「御義口伝」に「信伏随従」について「随とは心を法華経に移すなり従とは身を此の経に移すなり」とあります。随順または随従とは信受であり、身も心も、つまり色心ともに従うことであります。
 大聖人がかつてなかった最大の難を受けられた時に、ともに難を受けた最蓮房に対して、大聖人はこのように、温かく励まされているのです。
 日蓮大聖人の受けられた難は、単なる非難中傷ではない。僣聖増上慢による難であり、宗教界の権威が策謀し、権力者を動かし、社会的力をもって制裁を加えたものであります。日本国中が蜂の巣をつついたように騒然として大聖人を憎んでいた。そうした大難の時に大聖人に随順しきり、自身が受けた難にも少しも揺るがなかったがゆえに、大聖人は最蓮房を御信頼になっておられるのであります。
 「又難に値い給う事・心中思い遣られて痛しく候ぞ」との一節に、日蓮大聖人の、弟子に対する厚い思いやりがしのばれます。どれほど恐ろしくも思い、心の葛藤もあり、無念に思ったであろうかと、いたわっておられるのであります。大難大苦を受けられている御自分のことよりも、まず弟子を思われるこの深い心こそ、御本仏のお心であると拝するものであります。
50  常に正道歩む”真金の人”たれ
 金は大火にも焼けず大水にも漂わず朽ちず・鉄は水火共に堪えず・賢人は金の如く愚人は鉄の如し・貴辺あに真金に非ずや・法華経の金を持つ故か、経に云く「衆山の中に須弥山為第一・此の法華経も亦復是くの如し」又云く「火も焼くこと能わず水も漂わすこと能わず」云云
 金は大火にも焼けず、大水にも流されず、また朽ちることもない。鉄は水にも火にも、共に絶えることができない。賢人は金のようであり、愚人は鉄のようなものである。あなたは法華経の金を持つゆえに、まさに真金である。薬王菩薩本事品に「諸山の中で須弥山が第一であるように、この法華経もまた諸経中最第一である」とあり、また「火も焼くことができず、水も漂わすことができない」と説かれている。
51  金は火で焼かれでも酸化しない。水にも、重いから流されないし、また朽ちない。それに対して鉄は、火に焼かれでも、水の中に沈められでも、錆びてついにはボロボロに崩れてしまう。この例にあてはめてみれば、賢人とは金のように、どのような大難にあっても、厳しい境遇におかれでも、自身の信心において微動だにすることのない人である。愚人とは鉄のように脆くはかない人をいう、との仰せなのであります。ここでは、火とか水とかは難をあらわしていますが、もう一歩広げて日常の生活の中で考えてみますと、「八風抄」に次のように述べられています。
 「賢人は八風と申して八のかぜにをかされぬを賢人と申すなり、利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽なり、をを心は利あるに・よろこばず・をとろうるになげかず等の事なり」と。
 この中の利・誉・称・楽等の名聞名利の誘惑、衰・冊以・識・苦といった迫害の苦難が、ここで言われる火、水の具体的内容ということができるのであります。これら、諸行無常の世界の毀誉褒貶に紛動されることなく、一筋の道をまっすぐに進んでいく人生は、あたかも金のごとく舷しい光を放っていくものであります。
 最蓮房は、仏法ゆえの難という大火、大水を身に受けた。しかし、それに屈することなく信心を貫きとおしているがゆえに「貴辺量真金に非ずや」と御本仏よりほめたたえられたのであります。
 戸田先生の青年訓に「愚人にほむらるるは智者の恥辱なり。大聖にほむらるるは一生の名誉なり」との一節がありますが、大聖人から称賛される生涯を、自分らしく着実に送っていきたいものです。
 「法華経の金を持つ故か」とは、真金の道を歩めるのも、ひとえに法華経という最高の教えを持つがゆえであるとの仰せです。「持たるる法だに第一ならば持つ人随つて第一なるべし」との御文もありますが、内に懐いた思想の高低浅深がその人生の内容を決定づけるとするのが仏法の原理であります。
 私どもは、すでに末法の御本仏日蓮大聖人が「智者に我義やぶられずば用いじとなり」と宣言された閻浮提第一の御本尊を根本に奉持しております。あとは、この御本尊を生涯持ち続けていくことが肝要であり、そこに黄金の人生道を成就できることは絶対に間違いないのであります。
 「経に云く」、「又云く」とは、いずれも薬王品の文です。「衆山の中に須弥山為第一・此の法華経も亦復是くの如し」の文は法を称えたもので「火も焼くこと能わず水も漂わすこと能わず」の文は受持の人の福徳を述べたものです。
 火とは煩悩の火であり、水とは生死の水であるとされます。御本尊を持った一人一人の生命が、いかなる水火にも崩されない絶対的幸福を獲得しゆくことは、この経文の原理からも明らかであります。
52  過去世の深い契りにより弟子となる
 過去の宿縁追い来つて今度日蓮が弟子と成り給うか・釈迦多宝こそ御存知候らめ、「在在諸仏土常与師倶生」よも虚事候はじ
 過去の宿縁から今世で日蓮の弟子となられたのであろうか。釈迦多宝の二仏こそ御存知と思われる。化城喩品の「在在諸仏の土に、常に師と倶に生ぜん」の経文は、よもや虚事とは思われない。
53  先にも述べたように、大聖人の御一生の中においても、最も厳しい大法難の中で、最蓮房は弟子になった。今世だけの現象的世界を中心とした考え方からすれば、あまりにも不思議な存在です。ゆえに過去の宿縁によって、今このように弟子となったのであろうと仰せです。
 「釈迦多宝こそ御存知候らめ」とは、大聖人は、自分は凡夫であるから分からないが、仏である釈迦多宝はご存知であろうという意味です。その元意は、三世にわたる生命の深理、仏法の道理からすれば、現在、大聖人の弟子として難をともにすることは、必ず過去世の深い契りによるものである、との御説法なのであります。
 化城喩品の「在在諸仏土常与師倶生」の文は有名です。大通覆講で十六人の王子が、それぞれに六百万億恒河沙等の衆生に法を説き、師弟の契りを結んでいった。その人々は、その後、諸の仏土に常に師とともに生じて教えを受け、ともに仏法を実践していったというのです。そして、今この裟婆世界にあっては、第十六番目の王子であった釈尊が出現し得道したがゆえに、その弟子達も倶に生じて、聞法し、得脱していくのであると、化城喩品には説かれています。
 つまり、師と弟子とは、必ずともに生まれて、ともに仏法を行じていくものであるというのであります。この師とは、末法においては御本仏日蓮大聖人であられることは言うまでもありません。
 それでは、大聖人滅後、この経文をいかに読むべきでしょうか。大聖人は、そのためにこそ、本門戒壇の大御本尊を遺されたのであります。また、日興上人に一切を御付嘱あそばされたのであります。ゆえに私達が、本門戒壇の大御本尊を根本とし、日夜、我が家の御本尊を拝し奉ることは、さながら御在世のごとし、であります。まさしく「在在諸仏土常与師倶生」であります。
 そして私達は、広布の庭に戦っている宿縁深厚の仏法兄弟であります。その絆をより強くしていくものは、御本尊への同じ祈りであり、民衆救済、広宣流布への同じ悩みであり、実践であります。順風満帆の時も、逆境の時も、この広布への異体同心の和合の中で生ききり、次の生を再び大御本尊の慈光を受けながら、そこでまた衆生所遊楽の人生を満喫しきっていこうではありませんか。
 この「在在諸仏土常与師倶生」の文は、信心の眼で拝していくならば、甚深の意義を含んでいると思う。この文を、どれだけ我が身の実践のうえに顕現するかで、日蓮大聖人の本眷属であるかいなかが決定されるといってもよい。
 世の中には、様々な縁があります。親子、兄弟といった血縁もあれば、知人、友人、上司と部下、教師と生徒という、社会的な縁もある。それらも非常に重要な縁であり、それが円滑にいくかどうか、前進の意欲にあふれで交流していくかいなかは、家庭、社会の基盤をなすものであります。
 しかし、師匠と弟子、すなわち師弟の関係、宿縁は最も深く、重にして大である。人間としていかに完成していくか、どう人生にかかわっていくか、人類史に貢献していくかを教え、研磨しあう師弟相対の関係こそ、今世にとどまらず、三世永劫に、また山海空市いずれにあっても絶えることのない生命の絆であるからであります。
 利害によって結ばれた縁は利害によって離れていく。外から与えられた縁は、条件の変化によって、また時間、空間の推移によって変貌していくのであります。しかし、生命の心奥からの共鳴である師弟不二の協奏曲は、三世にわたり十方に通ずる妙音となるに違いない。
 私達は、御本仏日蓮大聖人の仏弟子であります。そして今、純信の和合僧団が築き上げられている。この姿こそ人類史上、いまだかつてない最高に麗しい人間関係の精華であると、誇りに満ちて確信していただきたいのであります。
54  生涯、広宣流布に我が人生を
 この「在在諸仏土常与師倶生」の文に接するたびに、私には、昭和二十一年十一月十七日における牧口先生の三回忌法要での戸田先生の、烈々たる気迫で語りかけられた言葉が胸につきささってくるのであります。
 「あなたの慈悲の広大無辺は、私を牢獄まで連れて行ってくださいました。そのおかげで『在在諸仏土・常与師倶生』と、妙法蓮華経の一句を、身をもって読み、その功徳で、地涌の菩薩の本事を知り、法華経の意味を、かすかながら身読することができました。なんたる幸せでございましょうか」
 戸田先生は、御本尊を持っていけない牢獄の中でさえ、御本尊を思い浮かべ、唱題に唱題を重ね「在在諸仏土常与師倶生」の御文のままに、御本尊とともにある御自身を発見され、そこから、この御本尊を生涯流布していくとの、広宣流布への深い使命感に立たれたのでありました。
 この「あなたの慈悲の広大無辺」といい、「なんたる幸せでございましょうか」との叫びといい、ただただ、御本尊への純一な信のあらわれでなくして何でありましょうか。ゆえに、この戸田先生の激闘を思うにつけ、いずこであれ、いかなる境遇であれ、信心の中に「在在諸仏土常与師倶生」を実感できることを知るのであります。
 「在在諸仏土」とは、一往は人間の住む世界であります。一切の生命が一念三千の当体であることは当然でありますが、自身の変革をし、仏道へと自ら向かうことができるのは、聖道正器たる人間生命に限るからであります。
 譬喩品によれば、法華経誹謗の人は、ある時は野良犬として痩せ衰え人々から卑しまれ、ある時はロバとして杖で打たれながら重い物を背負い続ける一生である。ある時は蛇身となって腹行し、人々から忌みきらわれるのであります。
 それに比べれば、私達は永遠に、生命の大空に妙なる音楽が流れ、胸中の花園に遊楽するがごとき生を受けるのであり、人間として最も尊い一生を送り、終わることは、今生最高の思い出であります。それだけでも感謝の念を持たなければならない。そのゆえにこそ、その一生に何をなしうるかを考えるべきであると思うのであります。
 しかし「仏土に生まれる」とは、仏国土があらかじめ存在していて、そこに私達が生まれるというのではありません。依正不二の原理からすれば、居住する当体に即して国土があるゆえに御本尊とともに仏道を歩むところ、一切の国土が常寂光土となるとの意であります。
 次に「在在諸仏土」の文を、ヨコにみていくならば、十方世界のあらゆるところに仏土があるということをも示しております。よく戸田先生は壮大な宇宙観を語られながら「この地球上で折伏し広宣流布したならば、また他の星へ行って働くのだ」と懇談的に言っておられた。仏法は三世十方に仏土ありと説いております。単に地球上だけというような狭い教えではない。
 また、現代の天文学も、この仏法の宇宙観を支持しているかのようであります。いま星雲と星雲の間に漂う微細な宇宙塵が、寄り集まって、生命体のもととなる物質を作りだしている可能性があるとも言われております。人間のような高等生物が生息している可能性も、無量の星の中には数多くあると考えてよさそうであります。それを「在在諸仏土」と表現されたとも考えられます。
 私達は、タテに久遠の過去から永遠の未来に、ヨコには全宇宙に広がる仏国土に自在に遊戯しつつ、人間共和の理想郷建設に励む生死であると確信して進みたいものであります。
55  不惜の求道実践で境涯開く
 ことに生死一大事の血脈相承の御尋ね先代未聞の事なり貴貴、此の文に委悉なり能く能く心得させ給へ、只南無妙法蓮華経釈迦多宝上行菩薩血脈相承と修行し給へ
 ここに、生死一大事血脈についてのお尋ねは、先代未聞のことであり、誠に尊いことである。この文に詳しく記した通りであり、よく心得て南無妙法蓮華経、釈迦多宝上行菩薩血脈相承と唱え、修行されるがよい。
56  最蓮房が「生死一大事血脈」について質問したことに対し、このような大事な問題についての質問は、いまだかつてないことであり、誠に素晴らしいことである、と誉められているのです。そして、それについては、この手紙に詳しく書きましたから、これをよくよく心に刻んでいきなさい、と。
 その結論は「只南無妙法蓮華経釈迦多宝上行菩薩血脈相承」と修行することであるとの仰せです。すなわち、南無妙法蓮華経こそが釈迦、多宝の二仏より上行菩薩に付嘱された血脈相承であると信じ、修行、実践しなさいということであります。
 求道ということがいかに大切かということを大聖人は教えられるとともに、求道即実践へと境涯を開かせていく大聖人の深い御指南であろうと拝するのであります。
 求道の精神を教えたものとして、雪山童子の修行は有名でありますが、それに関して私が特に強調したいのは、雪山童子が悟りを得るにいたった過程であります。
 ご存じのとおり、雪山童子は、法を求めて修行しているさなか「諸行無常是生滅法」という声を聞く。その中に悟りの法があると感じた雪山童子は、目の前に現れた鬼神に法を求めるのであります。これは実は帝釈天王が化作した姿でありますが、鬼神というのは恐ろしい、卑しい姿をしている。ここには法を求めるのは、外見の荘厳な姿、地位によるのではなく、いかなる「法」を持つかという中身を知っていかなければならないとの教えも込められているでありましょう。
 しかし、私は更に、もう一歩深めてその意味を探っておきたい。
 鬼神は雪山童子に、人間の温かな肉を求める。雪山童子は我が身を鬼神に与えることによって、教えを受けることができたのであります。仏法を求めるには不自惜身命の決意がなくてはならないのは当然でありますが、それにしでもなぜ人間の肉が必要なのか、また、なぜ帝釈は鬼神となって肉を求めたのでありましょうか。そこで雪山童子が鬼神から教えを受けた残りの半偈を思い出していただきたいのであります。
 それは「生滅滅己寂滅為楽」、すなわち「生滅滅し己って寂滅を楽と為す」という法門であります。
 現実の世界における生滅というものを減し己って、生も滅もない寂滅涅槃の境地を楽とするという意味であります。これは涅槃経に説かれている説話であり、法華経の究極、なかんずく日蓮大聖人の南無妙法蓮華経には遠く及ばない法門でありますが、現実の人生に起こる生や滅に目を奪われ執着するのではなく、その奥にある寂滅の世界を求めなくてはならないことを教えたものとして、不変の真理といえます。
 したがって、この法門を真実に聞き、悟るためには、雪山童子がまず、我が身に執着する生命の傾向を脱皮する必要があった。そのために、鬼神が必要だったのであります。考えてみれば、鬼神が現れ、雪山童子に肉を求めたことが、答えでもあったのでありましょう。雪山童子がそれにこたえて、身を捨てる決意をした時、後の半偈を受ける資格がそなわった、というより、もはや雪山童子は悟ったのであります。
 仏の説法を聞く人の中には、「諸行無常是生滅法」や「生滅滅己寂滅為楽」という教えを聞いても分からない人がいる。そういう人にとって、雪山童子の実践の姿自体、法門の内容を教えたものだったのであります。経典に譬えが多く説かれるのも、深遠な哲理を平明に教えようとするゆえでありましょう。
 これを更に言えば、鬼神が肉を求めてから法を説こうとしたことは、仏法の悟達とは実践の中にあることを示しております。雪山童子の悟達の高低浅深は別として、人間の行為の中にしか仏法はないのであります。もし雪山章子が、身を捨てて法を求めるという実践がなければ、いかに高邁な法に接しても、決して悟ることはできなかったに違いない。実践なくして仏法の体得はない。仏法理論は、その悟達のうえに、のちに体系づけられていったものであります。
 たしかに、仏法には深い生命論の展開があり、それをおろそかにしてはならない。しかし、仏法教義は本来、仏の悟りを展開したものであり、悟りは実践によって体得する以外にない。仏法は何も難しいことを言っているのではない。いかにすればよりよく人生を送れるか、どう生きることが人間にとって最もかなった道であるのか、我が生命をいかに変革していくかを、力強く説いたものにほかならない。それが人間の真実の生き方にかなっているゆえに、深い哲学的な裏づけが発見されるのであります。
 ゆえに生死一大事血脈ということも、我が生命の中に発見するしかないのであります。我が生命の日々刻々の回転とともに、この一書の脈動が伝わってくることを訴えたいのであります。
 次に「南無妙法蓮華経釈迦多宝」で、釈迦、多宝の二仏並座のあらわす法華経の体が南無妙法蓮華経であるということです。これは、天台学僧として、最蓮房がともすれば文上の法華経に引きずられる面を持っているのに対して、その法華経の究極が南無妙法蓮華経であると、重ねて言われているのであります。
 そして更に「上行菩薩血脈相承」で、この法華経の会座で付嘱を受けた上行菩薩は、末法弘通の大導師でありますから、これこそが末法今時の唯一の正法であることを示された言葉と拝せます。
57  「五大」は妙法五字の力用
 火は焼照を以て行と為し・水は垢穢を浄るを以て行と為し・風は塵埃を払ふを以て行と為し・又人畜草木の為に魂となるを以て行と為し・大地は草木を生ずるを以て行と為し・天は潤すを以て行と為す・妙法蓮華経の五字も又是くの如し・本化地涌の利益是なり
 火は物を焼き、かつ照らすことをもってその働きとなし、水は垢や穢を清めることをもってその働きとなし、風は塵や埃を払うことをもってその働きとなし、また人畜や草木のために魂となることをもってその働きとなし、大地は草木を生ずることをもってその働きとなし、天は万物を潤すことをもってその働きとする。妙法蓮華経の五字もまた、この地、水、火、風、空の五大の働きを
 ことごとく具えているのである。本化地涌の菩薩の利益がこれである。
58  地水火風空の五大の働きを示し、それが妙法蓮華経のあらわす用であり、本化地涌の利益にほかならないことを述べられたところであります。
 地水火風空は、宇宙万物を構成する要素であり、これを五大と言いますが、五大はそのまま妙法蓮華経であります。
 「三世諸仏総勘文教相廃立」に「釈迦如来・五百塵点劫の当初・凡夫にて御坐せし時我が身は地水火風空なりと知しめして即座に悟を開き給いき」と述べられている「我が身は地水火風空なり」ということも、「我が身は妙法蓮華経なり」との意にほかなりません。
 ともあれ、万物究極の法たる妙法蓮華経は、この現象の世界を離れたどこかにあるのでなく、現実の物質世界を形成している地水火風空それ自体であると喝破したところに、仏法の偉大な卓見がある。裟婆即寂光、凡夫即極、九界即仏界、生死即涅槃等々の法華経哲理の革新的な原理も、すべてこの一点に根ざしているのであります。
 仏法は、決してこの現実世界を離れて存在するものではありません。ありのままの現実を避け、かりそめの悦楽や気休めの逃避や、はかない夢想に終わる宗教は、力なき宗教という以外ない。この悩みの絶えない現実をどうするか、激動の社会をどう生きるか、混迷の未来をどう切り開くか、そこにこそ仏法の真髄は、みずみずしく力を発揮するのです。逃避の宗教、諦めの宗教、形式、観念の宗教は、もはや真実の宗教とは言えないのであります。
 日蓮大聖人の仏法が、今日このように広範な民衆の手によって担われている事実――それは、庶民の哀歓の中に、民衆の苦楽の中に敢然と飛び込んで歩んできたという、尊い不変の路線があったゆえであることを自覚し、永遠にこの道を貫くとともに、最高の誇りにしていただきたいのであります。これこそが、牧口初代会長、戸田二代会長が築き、教えてくれた路線です。
 私どもは、誰が何と言おうとも、何ものをも恐れずに、この信仰の道を歩んで、最高に尊い一生を送りたいと思うのであります。
59  五大それぞれの働きも本化地涌の利益
 さて、五大それぞれの本然的な働きが挙げられております。物質的な意味合いにおける働きは、ここに表現されているとおりであり、あえて説明するまでもないと思います。
 問題は「妙法蓮華経の五字も文是くの如し・本化地涌の利益是なり」と結ばれているように、妙法の力、地涌の利益としてみた場合、どのような意味になるかということです。
 「火は焼照を以て行と為し」とは、物を焼くのと、周りを照らすのと、この二つの働きが火にはあるということですが、その仏法哲理からの意義については、「御義口伝」――序品の「阿若憍陳如」(御書七一〇㌻)に詳説されております。
 そこでは、火とは法性の智火であり、照らすほうは「随縁真如の智」、焼くほうは「不変真如の理」で、この照焼の二徳を具えているのが南無妙法蓮華経である。そして、私どもが妙法を唱えるならば「生死の闇を照し晴して涅槃の智火明了なり」、すなわち”生死の闇”を照らすことになる。また「煩悩の薪を焼いて菩提の慧火現前するなり」、すなわち”煩悩の薪”を焼くのである、と仰せであります。
 この”火”は、上へ行くがゆえに、四菩薩の中では、上行菩薩をあらわしています。
 次に「水は垢穢を浄るを以て行と為し」とは、宿業の垢、五濁の穢れを浄めるということであります。すなわち妙法という生命本源の力の持っている、生命浄化の働きを象徴しているわけであります。これが、四菩薩の中では浄行菩薩にあたることは言うまでもありません。
 御本尊を受持した時、過去の悪業によって未来、長い間にわたって受けていくべき苦しみが、今世に集約されて軽いかたちで出てくる――いわゆる転重軽受という原理は、ここからあらわれてくるのであります。
 あたかも、古いホースの中に詰まった汚れが、水を流すと一挙に出てくるようなもので、当座は苦しい思いをするかもしれませんが、それを出しきってしまえば、あとは悠々と福徳を積み重ねゆく人生となるのです。
 「風は塵埃を払ふを以て行と為し」とは、この人生に、おいて降りかかってくるあらゆる苦難、また信心の途上に起こってくる障魔の克服をたとえております。風が塵や埃を吹き飛ばしてしまうように、力強い、朗々たる題目によって、一切の障魔や人生の苦難を打ち砕き、吹き飛ばしていくことができるのであります。この”風”にたとえられているのが、四菩薩のうち、無辺行菩薩です。
 また、この”風”が「人畜草木の為に魂となる」と仰せられているのは、古来、風は宇宙自然の生気の象徴とされ、風が吹くことによって、万物に生気を吹き込むと考えられたことによるようであります。
 次に「大地は草木を生ずるを以て行と為し」とは、あらゆる生命に、その安定性を与えていく働きをいったものであります。考えてみると、生命の営みほど複雑、微妙なものはない。例えば、私どもの体温は平均三十六・五度前後ですが、ほんの二、三度上がっただけでも、大変な苦痛を味わいます。いったい、どのようにして、ほぼ一定の温度に保たれているのか、そのシステムは不思議としかいいようがない。心の働きも、瞬間ごとに変化しながら、しかも統一性が保たれている。この心身にわたる安定性をもたらしているのが、四菩薩のうちの安立行であります。
 「天は潤すを以て行と為す」――この”天”とは、地水火風空の”空”に相当すると考えられます。それは、四菩薩とは別に、妙法蓮華経それ自体の象徴であります。天空が雨を降らして万物を潤すように、妙法蓮華経が一切万法を利益し、万法の働きの根源となっているということであります。
 この「生死一大事血脈抄」の御文と同じ意味の御文が、「御義口伝」の一節にあります。
 「今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱え奉る者は皆地涌の流類なり、又云く火は物を焼くを以て行とし水は物を浄むるを以て行とし風は塵垢を払うを以て行とし大地は草木を長ずるを以て行とするなり四菩薩の利益是なり、四菩薩の行は不同なりと雖も、倶に妙法蓮華経の修行なり、此の四菩薩は下方に住する故に釈に「法性之淵底玄宗之極地」と云えり、下方を以て住処とす下方とは真理なり
 火が物を焼くのも、水が物を浄めるのも、風が塵埃を払うのも、大地が草木を育てるのも――それ自体、本然の作用であります。これは、大自然の働きに地涌の菩薩を配した場合であります。
60  自発の意志が地涌の菩薩の本分
 更に、人間の営為として地涌の菩薩を論じていくならば、次のように言えると思います。
 自らの生命を燃焼しながら人々の幸福のために戦っていくのも、自他ともに生命を浄化させていく生命変革の活動も、いかなる醜い世間の塵埃も風の吹くがごとく払いさっていく振る舞いも、人々が安心して依処としていく信頼の柱となっていく姿も、地涌の菩薩の本然の発露であるということであります。
 誰から言われるというものでもない。誰から押しつけられたというのでもない。自発の意志で、人のため、世のため、社会のために、妙法という最高の哲理をもって活動していくことは、地涌の菩薩の本分なのであります。
 内より、地涌の菩薩という生命は発動してきます。それは、どこからか。我が胸中のいずれに、地涌の菩薩の本拠地はあるのでしょうか。
 日蓮大聖人は、それを、天台の釈を引用して「法性之淵底玄宗之極地」と言われています。法性の淵底も、玄宗の極地も、生命の奥底、生命の根源の意味であります。すなわち、南無妙法蓮華経という真如の都こそ、地涌の菩薩の住処であります。
 南無妙法蓮華経と唱えた時、南無妙法蓮華経を内より聞いていった時、真如の都を顕現し、内なる生命の力を社会と人生に発揮しながら、地涌の菩薩の使命を全うしていくことができるのであります。これは、所詮、地涌の菩薩は妙法蓮華経の作用であるということです。
 してみるならば、自身が南無妙法蓮華経の当体とあらわれた時、その所作として地涌の菩薩の振る舞いとなるのであります。私達は、久遠の流れに棹さして生きる地涌の菩薩の眷属の集いであります。
61  地涌の菩薩ということで思い出されるのは、恩師戸田城聖先生の獄中における二つの体験であります。なかんずくその二回目の使命の自覚であります。
 戸田先生は昭和十九年元旦を期して、大石寺の大御本尊を思い浮かべながら唱題の響きの中に、法華経を読むことを始められました。三月の初め、法華経の開経である無量義経徳行品第一の中にある”十二行の偈の三十四の否定”から「仏とは生命の働きなんだ!」と、込み上げてくる感動を抑えることができなかったとのことであります。これが第一回目の体験であります。
 それから、牢獄の春が過ぎ、夏も去り、秋もゆかんとしていました。恩師は、戦時中の凍るような独房の中で、骨と皮だけの衰弱した体ながらも、激烈な思索を続けられていた。十一月中旬のある日、恩師は法華経の従地涌出品第十五の偈を想い出しておられた。
 ――是の諸の菩薩、釈迦牟尼仏の所説の音声を聞いて、下より発来せり。一一の菩薩、皆是れ、大衆の唱導の首なり。各六万恒河沙等の眷替を将いたり、況や五万、四万、三万、二万、一万恒河沙等の眷属を将いたる者をや。況や……
 恩師はいつのまにか、虚空にある自身を発見されていた。数限りない六万恒河沙の大衆の中で荘厳無比な大御本尊に合掌している自分、その自分がいる厳粛な久遠の儀式を鮮明に体験されていたのでした。狭い粗末な獄舎の中で、朝日を浴びて、喜悦の感動に茫然となりながら、熱い涙をぬぐおうともされませんでした。「たしかに自分は地涌の菩薩であったのだ!」という、深い激しい生命の大歓喜は、筆舌には尽くせないものがあったことでしょう。
 戸田先生は、地涌の菩薩としての使命を自覚され「これで我が一生は決まった。きょうの日を忘れまい。この尊い大法を流布して、我が生涯を終わるのだ!」と一大決心をされたのであります。
 ちょうど、この同じころ、別棟の独房におられた戸田先生の人生の師・牧口常三郎先生は、七十三歳という老齢の身でありながら軍部権力の弾圧に一歩も退くことなく戦っておられましたが、ついにその尊い殉教の生涯を閉じられたのでありました。昭和十九年十一月十八日のことです。まさに牧口先生の死と戸田先生の地涌の菩薩としての自覚は、時を同じくしていたのであります。
 この戸田先生の体験、そこから得られた御本尊への確信、広布への大情熱が、戦後の創価学会の発展の基点となったことを銘記すべきであります。戦前の創価学会においても、広宣流布への使命感がなかったわけではありません。しかし、ひとたび弾圧の嵐が吹くや、もろくも崩れ去っていった事実は、その使命感の弱さを物語るものでありました。戸田先生の叫びは、獄中という最悪の事態の中で、御本尊を思い浮かべての唱題による法悦と感謝報恩の念で、地涌の菩薩の眷属としての自覚から広宣流布を叫ばれたところに、深い意義があるのであります。
 この一念は、いかなる波浪の中にも厳として揺るがぬ広宣流布への強い自覚であります。この一点において、創価学会の折伏弘教の団体としての大発展の道は開かれたのであります。恩師は「創価学会の歴史と確信」において、次のように言われています。「ちょうど、牧口先生のなくなったころ、私は二百万ぺんの題目も近くなって、不可思議の境涯を、ご本仏の慈悲によって体得したのであった。その後、取り調べと唱題と、読めなかった法華経が読めるようになった法悦とで毎日暮らしたのであった」
 まさしく、満々たるエネルギーを秘めながら、のちに大地より涌きいずるであろう多くの地涌の集いを、因果倶時として決定づけた一瞬であったといってよいのであります。
 四十五歳の戸田先生は、この時、「四十ニシテ惑ハズ、五十ニシテ天命ヲ知ル」との孔子の言に比して「彼に遅るること五年にして惑わず、彼に先だつこと五年にして天命を知りたり」と叫ばれました。
 そして、翌年七月、出獄され、焼け野原に一人立たれて、学会再建の第一歩を踏み出されたのであります。師は死して獄門を出、弟子はいま、生きて同じ門を出たのであります。生死の二法は一心の妙用であります。戸田先生の胸中には、万感の思いが駆けめぐったことでありましょう。ここに、今日の学会の広布弘教の源流があったことを、決して忘れないでいただきたいのであります。
62  大聖人こそ末法万年の闇照らす御本仏
 上行菩薩・末法今の時此の法門を弘めんが為に御出現之れ有るべき由・経文には見え候へども如何が候やらん、上行菩薩出現すとやせん・出現せずとやせん、日蓮先ず粗弘め候なり
 さて、上行菩薩が末法の今時、この法華経を弘めるため御出現されることが経文に見えているが、どうであろうか。上行菩薩が出現されているにせよ、されていないにせよ、日蓮はその先駆けとして、上行菩薩所弘の法門をほぼ弘めているのである。
63  南無妙法蓮華経の法門を弘めるため、上行菩薩が末法の今の時に出現されるであろうということは、法華経の文には説かれているが、どうなのであろうか。上行菩薩が出現されているにせよ、出現されていないにせよ、その上行菩薩が弘められる法を、日蓮大聖人はまず、ほぼ弘めているのである、ということです。
 言うまでもなく、日蓮大聖人の御自覚は、外用の辺おいて――すなわち行動、実践においては、御自身が上行菩薩の再誕にほかならないということにあります。内証すなわち奥底の本地は、久遠元初の自受用報身如来であられます。
 しかし、一般的に示された御書においては、この外用・上行再誕ということすらも、非常に遠回しに表現されている。
 「先ず」「先立ちて」等と言われ、御自分がその当人であるとは、なかなかおっしゃらない。これは、上行といえば、法華経によると、本門の釈尊でさえも色あせてみえるほどの堂々たる大菩薩群の本化地涌の中にあって、最も優れた上首である。それに対し、大聖人の現実のお姿は凡夫僧であられる。このことから、もし大聖人が自分こそ上行であると言っても、人々はよけいに疑いを起こし、謗法の罪を深くするのを心配されて、直接的表現を避けられたと考えられます。
 だが、もし、仏法の眼からみるならば「日蓮先ず粗弘め候なり」とのお言葉に、明らかに、大聖人御自身が上行であるとの元意がうかがわれるのであります。なぜかならば、法華経が何のために説かれたか、という一つの目的は、本化地涌を召しいだして、滅後末法の弘通を付嘱することにあったからであります。
 ゆえに、神力、嘱累の付嘱が終わるや、十方の諸仏はみな本土に還り、多宝の塔も元へ戻って、荘厳な虚空会の儀式は、霊山会に復帰するのであります。
 これだけ大変な力を入れて本化地涌、その中でも別して上首上行への付嘱がなされたのに、今、末法にいたって、上行菩薩の弘めるべき法を日蓮大聖人が弘められている。もし、大聖人が上行ではない、全く別人だとしたら、あの法華経の儀式は何のためだったのかということになってしまうわけであります。多宝如来の出現も、十方諸仏の来集も、意味を失うことになってしまうのであります。そんなことがあるわけがない。
 この明白な道理のうえからも、日蓮大聖人御自身が、一往外用の辺において、上行菩薩の再誕であり、しかも内証においては末法万年の闇を照らす新たなる大仏法建立の仏、すなわち久遠元初の自受用報身如来であられることが知れるのであります。
64  信心の血脈なくば法華経も無益
 相構え相構えて強盛の大信力を致して南無妙法蓮華経・臨終正念と祈念し給へ、生死一大事の血脈此れより外に全く求むることなかれ、煩悩即菩提・生死即涅槃とは是なり、信心の血脈無くんば法華経を持つとも無益なり、委細の旨又又申す可く候、恐恐謹言
 心して強盛の大信力を出し、南無妙法蓮華経、臨終正念と祈念なさるがよい。生死一大事の血脈をこのことのほかに求めてはならない。煩悩即菩提、生死即涅槃とはこのことである。信心の血脈がなければ法華経を持つでも無益である。詳しくはまた申し上げよう。恐恐謹言。
65  「相構え相構えて」と重ねて言われているところに、これこそが最も肝要な結論であるとのお心がうかがわれます。まさしく最蓮房にとって、最も苦境のさなかにあり、成仏へと向かうかどうかの最も重要な時を迎えていました。何とかこの一人の人間に、大聖人の生命の血脈を継がせたいとの強い御一念が拝せられます。
 生死一大事の血脈といっても、強盛な大信力を出して、南無妙法蓮華経と唱えること以外にない、ということであります。
 「強盛」といい「大信力」といい、大聖人が全生命をふりしぼって一個の人間の信力を奮い立たせられようとしているお気持ちが伝わってきます。
 「臨終正念」とは、死に臨んで、この妙法に対する信心の心を乱さないこと、妙法を信受しえたことを無上の喜びとし、これで思い残すことはないという満足しきった心境で、一生を終わる姿であります。
 したがって「南無妙法蓮華経・臨終正念と祈念し給へ」とは、死に臨んだ時、南無妙法蓮華経が我が正念であるように、今からしっかり祈念していきなさい、ということであり、同時に、ただ今が臨終であるとの自覚で真剣に祈っていきなさい、ということでもあります。
 臨終正念の祈念に立った時、己心の奥底の妙法が涌現して、宇宙に遍満する妙法と冥合する。ここに、生死の一大事が脈々と流れるのであります。これ以外に、信心の生死一大事血脈を我が身に具現する道はないということであります。その時、我がこの凡夫の身そのままで妙法の当体とあらわれ、したがって煩悩即菩提、生死即涅槃となるのです。
 それゆえに、本抄の総結論として「信心の血脈なくんば法華経を持っとも無益なり」と厳しく仰せられているのであります。結局、信心に始まり、信心に帰結する。
 「信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり」――法華経という法のみでは、真実の成仏の道には入れない。法華経を身をもって読み、人法一箇の当体とあらわれてくださった日蓮大聖人以来の正統の信心――これが「信心の血脈」なのであります。この人法につながった信心でなくては、いかに法華経を持っているといっても無益なのです。
 この文は、信心の中にこそ御本尊の仏力、法力も顕れるという御指南でもあります。
 有名な「日女御前御返事」の一節に「此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり、是を九識心王真如の都とは申すなり、十界具足とは十界一界もかけず一界にあるなり、之に依つて曼陀羅とは申すなり、曼陀羅と云うは天竺の名なり此には輪円具足とも功徳聚とも名くるなり、此の御本尊も只信心の二字にをさまれり」とある。
 御本尊も信心の二字に収まっているとの大聖人の明言であり、信ずる中にこそ御本尊の力は顕現されるということなのです
66  広宣流布に向かう正しい信心が肝要
 日寛上人は「観心本尊抄文段」において「我等この本尊を信受し、南無妙法蓮華経と唱え奉れば、我が身即ち一念三千の本尊、蓮祖聖人なり」(文段集五四八㌻)と言われ、「故に唯仏力・法力を仰ぎ、応に信力・行力を励むべし。一生空しく過して万劫悔ゆることなかれ」(文段集五四八㌻)と結論されているのであります。
 このように「信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり」とは、実に厳粛な御指南なのであります。信力、行力がなければ、仏力、法力は顕れませんし、もったいなくも我が身が即一念三千の当体とあらわれるはずもないのであります。「血脈」とは「信心」である――ということに、一切は尽きるのであります。
 更に、この信心の血脈ということに関して、第九世日有上人の「化儀抄」には、次のように述べられています。
 「信と云ひ血脈と云ひ法水と云ふ事は同じ事なり……高祖己来の信心を違へざる時は我レ等が色心妙法蓮花経の色心なり、此ノ信心が違ふ時は我レ等が色心凡夫なり、凡夫なるが故に即身成仏の血脈なるべからず」(『富士宗学要集』第一巻六四㌻)と。
 この「化儀抄」を解説した堀日亨上人の「有師化儀抄註解」には、次のような説明を加えられております。
 「信心と血脈と法水とは要するに同じ事になるなり、信心は信行者にあり・此信心に依りて御本仏より法水を受く、其法水の本仏より信者に通ふ有様は・人体に血液の循環する如きものなるに依りて・信心に依りて法水を伝通する所を血脈相承と云ふが故に・信心は永劫にも動揺すべきものにあらず・撹乱すべきものにあらず、若し信が動けば其法水は絶えて来ることなし、爰に強いて絶えずと云はゞ其は濁りたる乱れたる血脈法水なれば・猶仏法断絶なり、信心の動かざる所には・幾世を経とも正しき血脈系統を有し仏法の血液活溌に運行す」(『富士宗学要集』第一巻一七六㌻)と。
 また「仏法の大師匠たる高祖日蓮大聖開山日興上人己来の信心を少しも踏み違へぬ時、末徒たる我等の俗悪不浄の心も・真善清浄の妙法蓮華経の色心となるなり此色心の転換も只偏に淳信篤行の要訣にあり、若し此の要訣を遵奉せずして・不善不浄の邪信迷信となりて仏意に違ふ時は・法水の通路徒らに窒塞せられて・我等元の僅の粗凡夫の色心なれば・即身成仏の血脈を承くべき資格消滅せり、悲しむべき事どもなり」(『富士宗学要集』第一巻一七六㌻)とも峻厳に記しておられます。
 すなわち「信心の血脈」とは、日蓮大聖人、日興上人以来の信心を、少しも踏みたがえぬところに受け継がれるものであることが明確であります。ここに、遣使還告唯授一人の代々の御法主上人の尊きお立場があられる。
 そして「仏法の血液活溌に運行す」とあるごとく、私達が、日蓮大聖人御遺命の広宣流布に向かって、正しき信心を貫くとき、もったいなくも、大聖人の御生命が流れ通うのであります。
 しかして、その信心とは日蓮大聖人、及び日興上人に学ぶのであり、大聖人の御書に学び、日興上人の遺誠置文を肝に銘じつつ、御法主上人の御指南をうけて、広宣流布のため不惜身命の実践を貫く信心のなかに、御本仏の血脈が「活溌に運行」していることを断言するものであります。
67  悠然と永劫の未来を眺望されつつ
 文永九年壬申二月十一日  桑門  日蓮 花押  最蓮房上人御返事
 文永九年壬申二月十一日  桑門  日蓮 花押
   最蓮房上人御返
68  「生死一大事血脈抄」を著された文永九年二月十一日という日について申し上げておきたい。この日は、奇しくも、日蓮大聖人が「立正安国論」において、また前年の九月十二日の竜の口法難の際にも、幕府に対して厳しく予言し警告されていた「自界叛逆難」、すなわち内乱が勃発した日であります。
 「今年二月十一日十七日又合戦あり外道・悪人は如来の正法を破りがたし仏弟子等・必ず仏法を破るべし師子身中の虫の師子を食等云云、大果報の人をば他の敵やぶりがたし親しみより破るべし、薬師経に云く「自界叛逆難」と是なり、仁王経に云く「聖人去る時七難必ず起らん」云云、金光明経に云く「三十三天各瞋恨しんこんを生ずるは其の国王悪を縦にし治せざるに由る」等云云、日蓮は聖人にあらざれども法華経を説の如く受持すれば聖人の如し又世間の作法兼て知るによて注し置くこと是違う可らず現世に云をく言の違はざらんをもて後生の疑をなすべからず、日蓮は此関東の御一門の棟梁とうりょうなり・日月なり・亀鏡なり・眼目なり・日蓮捨て去る時・七難必ず起るべしと去年九月十二日御勘気を蒙りし時大音声を放てよばはりし事これなるべしわずかに六十日乃至百五十日に此事起るか」と、事件直後の三月二十日に「佐渡御書」の中で仰せのように、大聖人の予言が的中したのであります。
 当時、京都の六波羅南探題だった時宗の庶兄・時輔が、弟の時宗を倒して執権の地位を奪おうとの陰謀をたくらんだことが発覚し、その一味とされた教時、盛直らを、時宗が先手をうって討滅したものであります。同族あい食む死闘が展開されたが、やがて時輔の一族が全滅して、戦いは終わった。これが「二月騒動」です。
 大聖人は、この内乱の勃発が間近いことを、すでに一カ月ほど前の一月十六日に、塚原問答の終了後、本間六郎左衛門尉に対して指摘し、警告されているのであります。
 したがって、大聖人は本抄を執筆されている時、騒然たる内乱に日本中が動揺していることを実感しておられたにちがいないと拝察されます。そのなかで悠然と永劫の未来を眺望しつつ、令法久住の血脈を残そうとされたのであります。
 また「桑門」とは、沙門のことであり、静志、貧道、勤息などとも訳します。善法を修して悪法を破すという意味で、出家して仏道を修行する者を言う。
 大聖人は、文永十年四月の「観心本尊抄」では「本朝沙門日蓮撰」とされており、また、同じ文永十年閏五月の「顕仏未来記」でも「桑門日蓮之を記す」としたためられております。
 「桑門」とは「扶桑沙門」の意味で、すなわち「本朝沙門」と同意で用いられているとも考えることができます。
 本尊抄で「本朝沙門」とされたのは、天台沙門に対する言葉であり、実は大聖人の強い御確信のうえからの表現であります。
 つまり本朝、すなわち日本国こそ、末法万年の民衆を救済される御本仏出現の地であることを示しており、末法における最高の善法を修し、悪法を破される日蓮大聖人こそ、まさにその御本仏であることを明かされているともいえます。
 以上、「生死一大事血脈抄」をとおして、私の感ずるままを述べてまいりました。
 最後に、我が同志よ、我が久遠の友よ、広宣流布の道を進んでいく私達の実践こそ、そのまま総じての生死一大事血脈なりとの、強く深い確信を持続して、新世紀を目指し凛々しく我が道をスクラム組んでいこうと申し上げ、講義を終えさせていただきます。

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