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日蓮大聖人・池田大作

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末法の御本仏を宣言  

講義「諸法実相抄」「生死一大事血脈抄」(池田大作全集第24巻)

前後
29  ところが、未来、特に末法の衆生は、過去に下種・結縁のない衆生、つまり本未有善の機であります。かつて歩いたことのない道は途中のどこをどのように教えても、目的地を思い出させることはできません。目的地そのものを示さなければならない。この目的地が「本有の妙法蓮華経」です。
 法華経の儀式の中で、法師品以後、特に宝塔品で多宝の塔があらわれ、そこに釈迦と多宝の二仏が並座し、更に十方の諸仏が来至し、本化の菩薩が涌出して展開された、虚空会の儀式は、寿量品で魂を得て、そのまま「本有の妙法蓮華経」を表現していたのであります。
 とはいえ、釈尊の法華経二十八品は、本門といえども、この「本有の妙法蓮華経」にいたる道を図に書いて示したようなものであります。
 「本有の妙法」自体を具現化され、末代幼稚の凡夫に受持させてくださったのが、末法御本仏日蓮大聖人なのであります。
 このように、同じく「諸法実相」と言っても、迹門、本門、文底独一本門の立場で、読み方が異なります。
 文底独一本門に約せば、御本尊そのものが諸法実相であります。更に信心に約せば、大御本尊を受持しぬいた時に、妙法の生命が涌現し、幸福の諸法実相、人間革命の諸法実相として、我が人生が建設されてくるのであります。

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