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日蓮大聖人・池田大作

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大衆の中で展開された仏教運動  

講義「諸法実相抄」「生死一大事血脈抄」(池田大作全集第24巻)

前後
2  羅什は、ご承知のとおり、不朽の名訳といわれる「妙法蓮華経」を訳出した訳経僧でありますが、私が羅什にうたれるゆえんは、一生をかけて中国に渡り、仏教の真髄を伝えようとした情熱であります。波乱の艱難のすえ、中国の長安へ入ったのは、五十歳を過ぎていたと言われています。そして彼の目指し続けてきた戦いは、その時から始まったのであります。それまで、力をためにためていたかのように、怒涛のような勢いで翻訳事業が始まりました。中国の僧侶も、羅什の長安入りを伝え聞いて、続々と彼のもとに結集し、歴史に残る翻訳をなしていったのであります。
 羅什の長安入りから入滅まで、八年間とも十二年間とも言われますが、その間、三百数十巻もの経典が翻訳されており、一カ月二巻ないし三巻という驚異的なぺースであったことが推察されます。それは、翻訳という言葉からうけるイメージとは異なった、生き生きとした仏教研学運動であったことを象徴しております。
 羅什が訳した様々な経典の序によると、その翻訳の場には、ある時は八百人、ある時は二千人というように、数多くの俊英が集まっております。その聴衆を前に、羅什は経典を手に取り、講義形式で進めていったのであります。そして、なぜそう訳すのか、その経文の元意はどこにあるのかを話し、ある時には質疑応答のような形式をとりつつ、納得のいくまで解読していったのであります。
3  書斎に閉じともり、辞書と首っ引きで、自分一人で何十年もかかって難解な訳業をするのではなく、大衆の呼吸をじかに感じながら、対話の場で仏法を展開していった羅什であったからこそ、あれほどの名訳が生まれたのではないかと思うのであります。
 羅什の訳は非常になめらかで、かつ経典の元意を踏まえた意訳に優れたものがあったというのも、このことを考えれば、なるほどと思われます。仏法は、それがいかに優れたものであっても、難解であれば、人々から離れたものになってしまう。人々と語り、生活の中で実感するなかに、思想の光は輝いていくものであります。
 もし、この羅什教団ともいうべき人々の仏典流布の活躍がなければ、後の天台、伝教の昇華へと、仏法の歴史が展開することはなかったに違いない。それを考えると、いかにその使命が偉大であったかが分かるのであります。
 私は今、この羅什の業績をうんぬんしようとするものではありません。大衆の中に入り、大衆とともに語り合ったその姿に、仏法研学の真実の姿があると訴えたいのであります。また、ある意味で私達も、現代における羅什の立場にあるといえましょう。昔の羅什は、インドから中国へと経典を翻訳しました。現代の羅什は、七百年前の不滅の末法の御本仏の御金言を、現代という時代に、生き生きとよみがえらせる使命を担っております。
 すなわち、私どもの教学運動もまた、羅什と同じ方式にのっとり、御書を手にし、講義形式をとり、ある時は質疑応答の形式をとり、ある時は個人指導の際に、人々の呼吸を直接実感しながら、対話の場で仏法を展開していくのであります。
 仏教の創始者たる釈尊も、その生涯は庶民の哀歓のひだに触れつつ、人生の苦との対決の中から、珠玉のごとき教えを遺していったことを知るべきであります。
4  ある仏教学者によると「釈尊は仏教を説かなかった」という極端な説もあるぐらいであります。もちろん釈尊が仏教を説いたのは当然でありますが、この一見矛盾する言葉も、ある意味で含蓄に富んだ言葉であるといってよい。八万法蔵といい、五時八教と聞くと、精密に体系だてた教理を思い浮かべ、釈尊もそのカリキュラムにそって、説法したかのように受け取りがちであります。しかし釈尊の説法は、貧苦にあえぐ庶民への激励であり、病に苦しむ老婦人を背に負わんばかりの同苦の言葉であり、精神の悩みの深淵に沈む青年への温かな激励の教えであった。差別に悩み、カースト制度に苦しむ大衆の側に立った火のような言々句々が、その一生の教化を終えてみれば、八万法蔵として残っていたということでありましょう。それは、経文が徹底して問答形式で説かれていることに、象徴的にあらわれている。庶民との対話、行動の中に釈尊の悟りの法門がほとばしりでていったのであり、それが経典としてまとめられていったのであります。
 日蓮大聖人も、また同じ立場を貫かれております。いつも申し上げていることでもあり、また昭和五十一年十月の本部総会でも述べましたので、詳しくはお話しいたしませんが、あの膨大な御書も、生涯、激動の日々の中、民衆一人一人との対話を続けられ、朝にタに救済の手をさしのべられた結晶であります。大聖人は、決して書斎に閉じこもって御書をおしたためになったのではありません。戦いながら書き語り、書き語られながら戦われたのであります。
 仏教と聞けば、山野にこもり、静的なものと考えがちでありますが、その発生からすでに実践の中に生き、民衆の中で生き生きと語り継がれてきたのが、その正統な流れであることに剖目したいのであります。
5  信行学の要諦を教示
 さて「諸法実相抄」は、日蓮大聖人みずから、この御抄の追伸のととろに「ことに此の文には大事の事どもしるしまいらせ候ぞ」、また「此の文あひかまへて秘し給へ、日蓮が己証の法門等かきつけて候ぞ」と明記されておりますように、比較的短い御述作ではありますが、仏法の肝要がことごとく集約してあらわされております。
 執筆せられた文永十年五月といえば、法本尊開顕の書であり、受持即観心の、末法仏道修行の要諦を示された「観心本尊抄」を著された翌月であります。本尊抄が、文永十年の四月二十五日、本抄が翌五月十七日と記されております。
 したがって内容も、法華経迹門、在世衆生得脱のカギとされた、方便品の「諸法実相、十如是」の文から説き起こされて、法華経哲理の真髄を示し、その当体が妙法蓮華経、即、御本尊であることを教えられております。これは、法本尊の意義を明かされたと考えられます。
6  ついで、この法華経の極理を明らかにし、かつ弘めるべき人こそ、地涌の菩薩の上首上行であることを示され、それを、まさに日蓮大聖人御自身が実践してきたと述べられるのであります。すなわち、一往、外用の辺から言えば、法華経弘通の上行菩薩の再誕であり、再往、内証の辺から言えば、末法救済の大法を建立する御本仏であり、久遠元初の仏であることを、暗示されているわけであります。これは、人本尊を明かされたと考えてよい。
 このように、人法両面から、末法一切衆生の尊敬すべき根本を明かされたことは、人本尊開顕の書たる「開目抄」、法本尊開顕の書たる「観心本尊抄」の結論が、ともに、この一書の中に包含されていると、私には拝せられるのであります。
 しかも、後半においては、未来広宣流布の間違いないことを予言され、末法万年にわたる仏道修行の要諦として、信行学の在り方を教示されて結ばれている。すなわち末法の仏法の正体が、その甚深の法体、修行のすべてを網羅して、しかも簡潔にあらわされているのが本抄なのであります。
 ゆえに、日蓮大聖人の原点に帰ることを根本精神とする我が創価学会は、数ある御書の中でも、特にこの「諸法実相抄」を根幹として、自己の信心の研鑽と、あらゆる指導、活動に取り組んできたのであります。
 初代会長牧口常三郎先生も、常に本抄をとおして指導されたとうかがっております。第二代会長戸田城聖先生が、法華経は別にして、まず、私達数人に講義された御書は「諸法実相抄」でありました。私もまた、この講義を受講した一人であります。
 更に、高等部に対し、また本部職員の代表に対し、私はいくたびか、この「諸法実相抄」を講義してきましたが、拝するたびに、法門の深さに驚嘆し、大聖人の烈々たる気迫に胸をうたれる思いがいたします。
 創価学会創立四十六周年を記念して、再び私は、今まで何回となく講義したものに、新時代に相応して加筆添削をして掲載させていただくことにいたしました。
 以上、前置きとして申し上げておきます。

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