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日蓮大聖人・池田大作

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偉大なる魂の継承劇 プラトン『ソクラテスの弁明』

「若き日の読書」「続・若き日の読書」(池田大作全集第23巻)

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7  「師弟の道」は生死を超えて
 私どもの先師牧口常三郎初代会長は、第二次世界大戦のさなか、治安維持法違反ならびに不敬罪で逮捕された。そこには、牧口先生の行動を敵視していた人間たちの画策があった。権力に迎合し、みずからの保身と私利に汲々とする悪僧らである。牧口先生は暴力をも辞さない特高警察の厳しい尋問に、少しも恐れることなく正義を主張した。しかし、過酷な取り調べと獄中生活は、七十三歳の高齢の先生の体を蝕み、ついに牢獄において生涯を終えられた。
 師とともに投獄された戸田先生は、獄中で師の死を聞かされたときの悲しみを語っている。
 「あれほど悲しいことは、私の一生涯になかった。そのとき、私は『よし、いまにみよ! 先生が正しいか、正しくないか、証明してやる。もし自分が別名を使ったなら、巌窟王の名を使って、なにか大仕事をして、先生にお返ししよう』と決心した‥‥かならずや一生を通して、先生の行動が正しいか正しくないか、その証明をする覚悟です」と。
 戸田先生は出獄より亡くなるまでの十三年の間、ただひたすら、師の思想を世にひろめ、わが身をいとうことなき行動の連続であった。この崇高なる師弟の魂は、私どもの永遠の誇りであり、不動の規範であるといえよう。
 一九九三年四月二日、戸田先生の三十五回目の命日を迎えた。この日、私は小説『人間革命』の最終巻を発刊することができた。起稿より二十八年、長い道のりであった。後世の歴史の審判をあおぐ民衆の叙事詩として、師の真実を残し、その偉業を世界に宣揚することは、若き日よりの私の誓いであり、弟子としての使命であると心に決めていた。「プラトンは書きながら死んだ」といわれる。二十歳前後から八十歳まで約六十年の間、プラトンは書き続け、人材を育て続けた。
 「(=西欧)哲学の伝統全体がプラトンに対する一連の脚注から成り立っている」──イギリスの哲学者ホワイトヘッドの言葉である。のちの西洋、さらに全世界にこれほどまでに影響をおよぼしたプラトンの著作も、師との誓いを果たさんとした弟子の果敢なる挑戦の結晶であった。
 「師弟の道」は、生死をも超えた人間の最極の道である。そして、万有流転の世界にあって、ただ一つ、理想の松明を受け継ぎ、永遠化させゆく道である。

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