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日蓮大聖人・池田大作

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「人間復興のエートス」を求めて マックス・ウェーバー『宗教社会学論集』

「若き日の読書」「続・若き日の読書」(池田大作全集第23巻)

前後
1  なぜ、学問を志すのか──そう夫人に問われた彼は、こう答えたという。
 「(=自分が)どれだけ耐えられるか、それを私はしりたい」と。
 学都ハイデルベルクでの学生時代に培った果敢さ、剛健さを、終生の生活信条とした彼
 学問の世界にあっても、妥協を許さぬ孤高の姿勢を貫いた雄々しさに、自立・自尊の「ウェーバー的主体」という言葉すら生んだ彼──今世紀を代表する政治・経済学の巨峰にして宗教社会学の先覚者マックス・ウェーバーの、確かな輪郭を伝えるエピソードである。
 「科学」と「技術」の目覚ましい発展に彩られた十九、二十世紀。それは、ヨーロッパ文明の価値観が、世界を席巻した世紀であった。しかし、この時代、ヨーロッパの偉大な知性たちは、それを文明の「進歩」ではなく、「衰退」と「没落」の過程と見ていた。
 科学・政治・経済──そうした人間以外の力」の肥大が、ほかならぬ「人間」を圧倒し、「モノ化」するという危機感。ウェーバーも、その警世の鐘を打ち鳴らした一人であった。彼が「近代の総括者」「一つの時代が終わろうとするとき、いつも現れてくるような人間」と呼ばれるゆえんである。
2  昭和三十三年(一九五八年)一月、私は三十歳。いわゆる「而立」──「三十にして立つ」の歳を迎えたばかりであった。
 それはまた、恩師戸田城聖先生ご逝去の約三カ月まえでもあった。当時、先生のお体は、衰弱の度を、ますます加えておられた。私の心は日夜、先生の枕頭を離れることはなかった。ただ、ご回復を祈りに祈りながらの戦いの日々が続いていた。だが同時に、避けがたい運命の日が近づきつつあるとともまた、私は胸中深く実感せざるをえなかったのである。
 戸田先生が、後事を託されようとしていた「広宣流布」の大事業──その一つに、日蓮大聖人の仏法を、社会の上に、どう展開していくか、という命題があった。
 大聖人の仏法には、その信仰の純粋性と、人間変革・社会変革への求道の真摯さ故の、ある種の「激しさ」がある。だが日本では、その「激しさ」という一面が誤解され、救世の大情熱も、狂信的なものとして錯覚されがちであった。戦前・戦中と、「日蓮主義」などという名のもとに、軍国主義の高揚に利用されてきたことも事実である。さらに戦後、恩師のもと「広宣流布」の本格的左前進を開始した創価学会に対しても、それと同種の批判が繰りかえされていた。
 その誤解の壁を打ち破りたい。大聖人の仏法が、時代・社会に開かれた、真実の「人間主義」の宗教であることを、ひろく世界に示したい、証明したい──恩師の胸奥に秘められていた、そうした深いお心を、私はつねづね痛感していたのである。
 そして恩師が私たち弟子に示された指針の数々を、具体的に、どう社会の上で実現しゆくかとの問いかけは、日を追って私の脳裏に重さを増しつつあった。マックス・ウェーバーの『宗教社会学論集』も、そうした思索のなかで手にした一書である。京都から舞鶴、大阪、堺、岡山へと続いた激励行を重ねた汽車の旅での読書であった。
3  「人間」をいかに蘇生させるか
 ウェーバーが宗教社会学研究の道を歩み始めた当時、ヨーロッパでは、マルクス主義に代表される唯物論的な思想傾向が、思潮の主流を占めたかの観があった。人間と社会の関係を、物質や経済的利害の側面からとらえようとする視角である。そうした時代に、彼が人間と社会を、あえて「宗教」の側面から描きだそうとしたのは、なぜか。
 彼自身に即していえば、その家庭環境が挙げられよう。一家の気風は宗教的だった、とウェーバー夫人は伝えるが、政治家であった父は、享楽を好み、内省的な生活とは、およそ無縁の人物であったようだ。一方、母は、夫とは反対に、信仰に深い安らぎを見いだす女性であった。最も身近な存在である両親の性格の違いに見た、「世俗的人生」と「宗教的人生」のコントラスト(対比)──それは少年ウェーバーの心に、「人生とは何か」「宗教とは何か」という問いかけの芽を、育んだといってよい。
 もう一点は、近代の、いわゆる「神の死」とともに、「人間の危機」「文明の危機」が露になってきたという時代状況である。近代の出発において、人間は、永遠不変の実在としての神や、絶対的存在を問うことをやめた。人間は神と訣別し、「独り歩き」を始めたはずであった。だが、神という支柱を失った人間は、みずからの人間完成の軌道を見失った。その一方で科学や技術、制度など「人間以外の力」に人間が支配される時代を招いてしまった。
 「神の死」の顕在化とともに到来した「人間の魂の死」の危機。そこに「人間」を、いかに蘇生させゆくか──生産力や生産関係を歴史哲学の根底におく唯物主義とは異なり、人間の内面そのものにかかわる宗教意識に即して歴史を描きだそうとしたウェーバーの試みは、そうした時代認識と深くかかわっていたといえよう。
4  エートス=「行為への実践的起動力」
 「宗教社会学」──いうまでもなく彼は、宗教それ自体、たとえば教義の当否などを問うたわけではない。宗教が人生と社会にもつ意味の解明をめざしたのである。その分析の過程で生まれたキーワードは「エートス」と呼ばれる。エートスとは、彼によれば、生活から独立・超越し、人間を外部から拘束する「規範」ではない。人間の意識の背後に浸透し、内面化された「行為への実践的起動力」を指すという。
 では、宗教は、人間と社会に、どのようなエートスを与えてきたのか。とくに「経済倫理」の面で、どのような意味を生んだのか。彼は、ここに研究の座標軸をおき、「世界宗教」の性格を探っていく。
 まず彼が「現世肯定の宗教」と呼んだ「儒教と道教」である。儒教──それが「宗教」であるか否かは議論の分かれるところとして──は、現世の社会秩序を、「もともと正しきもの、良きもの」としてとらえ、その維持に努める。自己の生活も社会の繁栄も、その前提の上に成り立つものとする。いわば「秩序形成のエートス」である。だが、それは、現世を固定化してとらえるあまり、社会の停滞を招きがちであった。とともに現実変革への意識はつねに之しかった。迷信や呪術で大衆をとらえた道教も、現世の秩序そのものにはふれない。
 むしろ儒教とあいまって、中国社会の固定化をいっそう強めたというのである。
 彼が「現世拒否の宗教」と位置づけた「ヒンズー教と仏教」は、どうか。彼も、西洋一般の知性と同じように、それらは、とりわけ瞑想的・神秘的傾向の強い宗教と見ていたようだ。ヒンズー教にせよ仏教にせよ、政治・経済・文化など現世のさまざまな価値と深刻な対立を生みながら、みずからの観念的な「救いの世界」にとどまる。そこには、「無常の世界」にすぎない現世と積極的にかかわろうとする意識・意欲は生まれなかったとする。
 ウェーバーの関心を最もひいたのは「古代ユダヤ教」である。その宗教意識の特徴は、「禁欲」と「勤労精神」にあった。彼は、ここに注目する。そして、勤労精神を通じて民衆の社会意識を覚醒し、社会への参加を促すというエートスが、中世キリスト教、プロテスタンティズムへと流れるヨーロッパ宗教史を貫いてきたと見たのである。
 ヨーロッパの宗教、とりわけプロテスタンテイズムの世界観によれば、現世は「神に与えられたもの」である。故に人びとは、神の意思に沿うよう社会を変革し、造りかえることも辞さない。神をたたえ、神の栄光を増すためであれば、自己の生活と社会を、神の国に近づけることに努める。
 ウェーバーは、そうした社会変革への積極性・能動性こそ、他に例をみない、ヨーロッパ独自の宗教意識であるとした。そして、その激しい「現実変革のエートス」あればとそ、ヨーロッパが世界で唯一「普遍的な近代文明」を築き、世界を制覇しえたのだと結論したのである。
5  だが、その「普遍的な近代文明」にも、すでに衰退の黄昏が迫っていた。ウェーバーが、『宗教社会学論集』の諸考察を発表したのも、ヨーロッパが第一次世界大戦の暗雲につつまれていた時期である。ヨーロッパに育った近代文明の価値観は、その巨大な歯車ゆえに、未曾有の世界戦争というブラックホールのなかへ身を投じつつあった。
 近代ヨーロッパの物質文明は、ウェーバーの考察によれば、キリスト教による「変革のエートス」によって築かれたものであった。それは、もともと、より良き社会の実現へと限りなく高められるはずのものであった。にもかかわらず現れてきた文明の衰弱──その原因は、どこにあったのか。
 結論的にいえば、それは本来、キリスト教の世界観それ自体に、はらまれていたといってよい。なぜならプロテスタンティズムにせよ、ピュリタニズムにせよ、その「変革のエートス」とは、あくまでも「神への奉仕」を第一義とし、「人間」そのものには、二義、三義的な意味しか与えていなかった。科学や経済合理性、官僚制など、「人間以外の力」の肥大とは、まさに、その盲点に生まれたものではなかったか。
 とともにウェーバーは、宗教の精神性と切り離された文明が、やがて失速していく、という予感をもっていた彼は『宗教社会学論集』でも、圧巻の一章とされる「中間考察」で、「知性」と「宗教」の相克の果てに「知性」が勝利をおさめるであろうと想定する。そこで宗教は非合理なものとして退けられ、排除される。だが宗教に勝利し、「世界」をその手中にしたはずの「知性」もまた、破綻していかざるをえまいと記したのである。
6  「人間のための宗教」が未来を拓く
 私は、一九九三年一月末から二月はじめ、南米訪問に先立ち、一年四カ月ぶりにアメリカを訪れた。アメリカが直面する問題の一つに、「労働倫理(ワーク・エティクス)」の問題があるが、ウェーバーは早くから、その背後に隠されている病理を、見すえていた。
 病のため教職を退いていた一九〇四年、彼は夫人とともにアメリカを旅した。巨大な生産力、経済力の台頭とともに、急速に発展しつつあった今世紀初頭のアメリカ。そのバイタリティーあふれる社会と国民性の背後に彼は何を見たか。それは社会を貫く「経済合理性」の巨大さ故の精神性・倫理性の稀薄化の兆し──人間精神の退廃の予兆であった。そこに彼の先見の眼の鋭さがあった。
 ヨーロッパ文明の危機は、ほかならぬ、その文明を生んだキリスト教的エートスに、はらまれていた。だが文明は、確たる宗教的精神なくしては破綻せざるをえないということも事実である。「人間の復興」を希求しつつも、そうしたジレンマの前に立ちどまらざるをえなかったウェーバーの苦悶は、それまでの「神のための宗教」の限界を超克する新しき世界宗教──「神」ではなく「人間」へと向かう「人間のための宗教」の光を模索していたとはいえまいか。
 イギリスの世界的な天文学者であるフレッド・ホイル博士は、博士の愛弟子でもあるウィックラマシンゲ博士と私との対談集(『「宇宙」と「人間」のロマンを語る』毎日新聞社)に、序文を寄せてくださった。そこで大要、こう述べておられる。
 ──キリスト教に代表されるヨーロッパの宗教は、人類を取り巻く「宇宙」と「世界」を狭くした。「字宙」と「世界」、「宇宙」と「人間」を分断した。長い間、宗教によって狭められ、歪められてきた宇宙観・世界観──そうした「閉じた箱」には、もはや活力も、新しい発見もない。今後は、宇宙と世界と人間を結び、つつみこむ新しい宇宙観、新しい価値観の枠組み──「開いた箱」こそが必要なのだ、と。
 博士の言葉もまた、「宗教のための宗教」──「人間」という、奉仕すべき目的を見失った「転倒の宗教」への痛烈な批判であろう。そうした「閉じた箱」の宗教が織りなしてきた歴史に、人類は最早、こりごりしている。求められるべきは「開いた箱」の宗教──人間と社会、世界を結ぶとともに、どこまでも「人間への奉仕」を根底に据えながら、ひろく社会の進歩と向上をリードしゆく「人間のための宗教」であろう。
7  また、時代はつねに動いている。社会は激変し続けている。そして、実社会に生きる人間は、限りなく多様多彩である。博士も指摘されるように、その千変万化の変化相に即応する、ダイナミックな世界観・社会観・人間観を示してこそ、宗教本来の価値があろう。その意味で、時代と社会に目を閉じ、その要請に応えられない教えや教団は、いつか流れもよどみ、衰亡せざるをえない。今も、私たちが眼前にしているとおりである。
 物質文明のなかで衰弱しきった人間の精神を復興し、真の「人間の世紀」を開きゆく「人間のための宗教」への道。また、政治・経済・文化をはじめ、あらゆる分野を、「人間のための宗教」の価値の光で照らしゆく、「宗教と社会」の架橋作業──私は書を閉じつつ、仏法の壮大な「人間主義のエートス」の可能性の未来に、あらためて思いを巡らせていた。
 ともあれ、物質文明の冷笑的な歯車に押し潰されるかのような時代に、人間の「生」の蘇生を求めたウェーバーの叫び。それは、従来の「世界宗教」の限界を超えて、人間と社会と世界を結びゆく仏法の哲理とも、深い共鳴の和音を響かせている。「神」から「理性」へ、そして「人間」「生命」へと向かう、人類と文明の巨視的な流れを、はるかに望んでいたかのごとく。
 ドイツ敗戦後の混乱期に迎えた最晩年──彼は、長く遠ざかっていた教壇に、ふたたび立つことを決意する。病み疲れた身を、学生との交流と討論の第一線にさらそうと立ち上がる。
 「人間復興の時代」の黎明を探し求めた彼の精神の軌跡に、人生の最後の炎を、青年たちの来来のために燃焼しようとした恩師の姿が重なる。──その風貌は、今なお、精神の「新しきエートス」創造への情熱を訴えてやまない。
 ──車中の思索は、いつしかウェーバーとの「対話」から、ふたたび病篤き恩師の元へと戻った。恩師の示された、「社会」と「世界」への大道──その本格的な戦いの歩みを進める時は、刻一刻と近づいていた。

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