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日蓮大聖人・池田大作

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青春の混沌をこえて ゲーテ『若きウェルテルの悩み』

「若き日の読書」「続・若き日の読書」(池田大作全集第23巻)

前後
1  一九九二年(平成四年)六月、中東訪問に先立って、一年ぶりにドイツのフランクフルトを訪れた。いうまでもなく、この地はゲーテが生まれ、若き日を送った街である。フランクフルトの方々は、この街出身のゲーテを、ことのほか愛し、誇りとしている。
 十一年まえの緑光る六月、何人かの青年とともに、フランクフルトにあるゲーテの生家を見学する機会があった。五階建ての堂々たる建物で、一五九〇年ごろに建てられたという。
 ただ、当時のものは、第二次大戦中、戦火の犠牲となり灰燼に帰したため、戦後復元された。建築材料のなかには、瓦礫のなかから拾い出されたものもあったという。ゲーテを愛するドイツの人びとの、尊き結晶であった。
 四階の書斎は、とくに印象深いものであった。この部屋で『若きウェルテルの悩み』や『フアウスト』が書き続けられたのである。部屋には質素な机が一つ置かれていた。ゲーテの祖父は孫に対し、驕り高ぶらぬように厳しく諌めたと伝えられている。
 今回のドイツ訪問は、東西ドイツの統一後、二度目となるが、思えばゲーテは三十六もの国々が分立していた当時、すでにドイツ統一の可能性について語っている。
 ゲーテは言う。
 「立派な道路ができて、将来鉄道が敷かれれば、きっとおのずからそうなるだろう」
 彼は続ける。
 「しかし、何をおいても、愛情の交流によって一つになってほしい」と。
 今回、フランクフルトには、旧東独領からも代表の方が集われていた。さまざまな障害をこえて、心と心の交流を深めゆくドイツの友とともに、ゲーテを語りあったことは、じつに感慨深い思い出となった。
 不幸なる分断の時代を乗り越え、喜びの調和の時代へと転換していくカギは何か──それは、心の「分断の壁」を壊すことにあるといってよい。互いに信じ合ぃ、互いに結び合う愛情こそ交流の根本である。統一ドイツの確固たる歩みを喜ぶゲーテの笑みが、浮かんでくるようだ。
2  疾風怒涛のなかに育つ
 一七七〇年の秋、二十一歳のゲーテは、五つ年長の文学者へルダーと出会う。この二人の青年の運命的な出会いが、ドイツ文壇に「シュトルム・ウント・ドランク」(疾風と怒涛)の大運動を巻きおこすのである。
 へルダーは、おもにフランスの文学の模倣でしかなかった、ドイツの「植民地的文学」を鋭く攻撃した。文学とは、真に個性的なもの、内から湧き出るものでなくてはならない、と。
 日本で「疾風怒涛」と訳されるとの運動は、ヨーロッパ、なかんずくドイツ民族の精神を覆ってきた中世的「神」の観念を吹き払い、高らかに「人間」の叫びをあげたものだ。
 へルダーの影響を受け、ゲーテが繰りひろげた戦いは、ドイツ文学に一つの新しい時代を画した。
 そのころ、ゲーテの歌った詩に、こんな一節がある。
  ああ、ひそかな創作の力が
  心の中を流れる音がするようだ。
  みずみずしい造型の泉が
  私の指からわき出てくるようた。
  
 ゲーテは、型どおりの形式や規則にとらわれることなく、新しい表現によって、人間の伸びのびとした本然の姿を描いていく。
 『若きウェルテルの悩み』は、この「疾風怒涛」のなかで生まれ、ゲーテの名とともにドイツ文学を世界的に高めた、記念碑的傑作なのである。
3  青年ウェルテルの物語
 弁護士となったゲーテは、次の年、仕事でヴェッツラルという小さな田舎町に赴く。この地で一人の女性──シャルロッテ・プッフと出会う。『若きウェルテルの悩み』のなかで、ウェルテルと恋におちるロッテのモデルとなった女性である。彼女には、すでに婚約者ケストネル(物語には「アルベルト」として登場する)がいた。ゲーテにとっては、先輩の法律家である。若きゲーテは彼女への激しい思慕の情をおさえ、四ヵ月ほどたったある日の早朝、誰に告げることもなくヴェッツラルを去った。
 『若きウェルテルの悩み』は、ウェルテルが友に書きおくつた書簡体の作品である。最初の手紙の日付は五月四日、溢れんばかりの光と花々のなかで、青年ウェルテルの物語は始まる。
 ある日の舞踏会で、彼はロッテと出会う。ロッテにはすでに、アルベルトという婚約者がいた。しかし、ウェルテルは連日のようにロッテの家を訪ね、幸福な時間を過ごすのであった。
 やがて、旅に出ていたアルベルトが戻ってくる。寛容の人であったアルベルトは、ロッテに近づいたウェルテルとも親しい友人として接する。日に日に高まるロッテへの思いに耐えかね、ウェルテルは別れも告げず彼らのもとから去っていく。
 ウェルテルは、ある町の公使館に新しい職を得るが、上司である公使は、官僚主義の典型のような人物で、事あるごとに衝突してしまう。また、封建的で古い因習にこだわる人びとは、平民であったウェルテルに、あからさまに侮蔑の視線をおくるのであった。やるかたのない憤懣と憎しみに、ウェルテルは悶々とする。
 そんななかアルベルトから、ロッテと結婚したという通知が届く。数日後、ウェルテルは職を辞し、放浪の旅に発つのであった。
 「もう一度、ロッテのもとに」──高まる思いは、ウエルテルの身も心もさいなんでいく。ウェルテルは、自分自身を消し去る以外に、解決の方法はないと確信するようになる。最後の別れを告げるため、ロッテのもとを訪れたウェルテルは、抑えきれぬ思いを詩に託して歌う。ロッテの眼には涙があふれ、詠みあげるウェルテルの心臓は今にも張り裂けそうであった。その翌日の深夜十二時、ウェルテルはアルベルトから借りたピストルでみずからの命を絶ってしまう。
 『若きウェルテルの悩み』は、刊行されるや思いもよらぬ反響を巻きおこした。ウェルテルを真似し、自殺を試みる若者があとを絶たなかった。女性は自分も「ロッテ」でありたいと願って「ウェルテル」の出現を期待し、離婚する者まで出た。
 こうした世の反応に接して、ゲーテはとまどう。もちろん彼は、自殺を賛美など決してしない。むしろ、どこまでも「生きていくこと」こそ、人生にとって重要であると何度も何度も繰りかえす。彼の詩のなかに、こんな一節がある。
  わたしは一箇の人間だった、それは
  すなわち、戦士、ということだ。
4  人生とは、悩みとの戦いの異名──そのなかを一歩一歩と進むなかに、真の充足があることを、ゲーテはこの一言に凝縮している。逃げてはいけない。また、避けてもならない、と。彼が描き、謳い、創造したもの──それは現実に生きる「ありのままの人間」にほかならなかったのである。
 当時を回想し、『詩と真実』のなかでゲーテは語っている。
 「いつもこの短剣をベッドの脇におき、明かりを消すまえにその鋭利な切っ先を二、三寸、胸のなかに突き刺せるだろうかと試してみた」と。
 『ウェルテル』の物語は、若きゲーテの体験にもとづいていた。ゲーテ自身、内面に湧きあがる青春の激情と戦っていたのである。そして「憂欝そうなしかめ面を取り払って生きることに決心」をする。
 「個人的な身辺の事情が、私を急き立て、私を悩ませ、私を『ヴェルテル』が生れたあの心理状態へひっぱりこんだのだ。私は生きた、愛した、ひどく悩んだ! ──それがあの小説だ」
 青春の時代──それは、宇宙が混沌のなかから生まれるのと同じく、偉大なる完成への「混沌カオス」の時といえるかもしれない。深き悩みの連続、それを人生の豊かな糧とできるかどうかは、つとに自分自身にかかっている。
 ゲーテは、こう語る。
 「個人は誰でも生れながらの自由な自然の心を持って、古くさい世界の窮屈な形式に順応することを学ばなければならないのだ。幸福が妨げられ、活動がはばまれ、願望が満たされないのは、ある特定の時代の欠陥ではなく、すべて個々の人間の不幸なのだよ」と。さらに、「誰でも生涯に一度は『ヴェルテル』がまるで自分ひとりのために書かれたように思われる時期を持てないとしたらみじめなことだろう」と。
 ゲーテは「現実」を「詩」へと昇華させることで、自分の悩みを発条とし、創造の人生を強く生ききった。人間を束縛する古き鎖を断ち切り見下ろしながら、「人間」であることを謳歌していったのである。
5  宗教は人間と世界のために
 ゲーテはエッカーマンとの対話のなかで、ある高位の僧が『ヴェルテル』について、ゲーテを説教しようとしたことを回想している。
 ゲーテは一歩もひかず、断固叫ぶ。
 「もし、あのあわれな『ヴェルテル』についてそんなことをいわれるのなら、この世で偉大だとされている人物たちのことを何といわれるおつもりです」
 「彼らは、たった一回の戦争で十万人を戦場へ送り、そのうちの八万人を殺し合いで死なせ、殺人や放火や略奪へと双方を駆りたてております。あなたがたは、こういう暴虐の後で神に感謝を捧げ、讃美歌を歌っていますね」
 「さらに、あなたがたは、地獄の罰の怖ろしさを説教して、ご自分の教区のか弱い人びとを不安におとし入れておられるが、彼らはそのために正気を失い、ついには癩狂院でみじめな生を終えているのですよ」
 思わぬ反撃に遭ったその僧は、まるで「子羊」のようにおとなしくなってしまう。ゲーテは、みずからはつねに正義であると言いはる、宗教の権力の横暴を許すことはできなかったのである。
 「制度」と化した当時の宗教に対し、彼は容赦なく弾劾する。
 「教会は支配することをのぞんでいるのだから、平身低頭し、支配されてよろこんでいる愚昧な大衆が必要なのさ。(中略)下層階級が目覚めることを何よりもおそれている」と。
 ゲーテは、宗教自体を否定したわけではない。ただ、狭い宗旨にとらわれることは、決してなかった。あくまでも宗教は「世界の益」のため「人間の益」のためであるというのが、彼の信条であったといってよい。
 人間こそ最高の尊厳の存在である。その人間をおとしめ、縛るものはいっさいが悪である。──これこそ、ゲーテが生涯つらぬいた信念の道であった。
6  世界市民よ育て
 ゲーテの生きた時代は、ヨーロッパの一大激動期であった。大革命を経たフランスではナポレオンが皇帝につき、全ヨーロッパを版図に収めようとしていた。一八〇六年には、九百年近くも続いた神聖ローマ帝国が崩壊している。新時代への動きは、ヨーロッパだけに限られたものではなかった。
 ゲーテは「たいへん得をした」と語る。なぜなら、「最大の世界史的事件が、まるで日程にのぼったかのように起り、それが長い生涯を通じて起りつづける時代に生れあわせたからだ」と。そして、ゲーテは次のような事件をあげる。
  ・ 七年戦争(一七五六年〜六三年)
  ・ アメリカの独立(一七七六年)
  ・ フランス革命(一七八九年)
  ・ ナポレオン時代とそれに続く事件
7  ゲーテは、「生き証人」として、この時代を生き、描いていった。彼は詩人の鋭敏なる感性で、「時代」を的確にとらえていた。
 百七十年余りまえ、彼はすでに、「世界市民」との言葉を使っている。激動の時代を目のあたりにした文豪が、心から待望したもの──それは、民族的な先入見や震を乗り越えた「人間」の登場であった。
 二十一世紀を目前にして、世界はいっそう緊密に結ばれていくことだろう。しかし、真実の平和を実現する決定打は、自身の「心の束縛」を断ち切った「世界市民」が陸続と育ちゆくことにちがいない。

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