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日蓮大聖人・池田大作

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「魂の自由」の烽火 ルソー『社会契約論』

「若き日の読書」「続・若き日の読書」(池田大作全集第23巻)

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8  宗教のハード・パワーに抗して
 ルソーは、既成宗教の堕落を痛烈に攻撃する。彼は言う。
 「滑稽なほど尊大な彼ら(=聖職者たち)の口振り、あげ足取りと不寛容への彼らの熱狂ぶりからして、彼らにはもはや自分たちがなにを信じ、なにを願い、なにを言っているのかもわかつてはいないのです」と。
 狂った聖職者は、あまりに恐ろしい。彼らにとって、みずからの権威を傷つけるものは、いっさいが悪であり、正されるべきものなのであった。彼らは外面を気にするあまり、自身の内面に目を向けることを忘れてしまっている。ルソーは民衆の信仰心を利用し、みずからの利己心を満足させるだけの「聖職者」の独善と傲慢を許すことはできなかった。
 さて『社会契約論』に、宗教を論じた一章がある。ルソーはこのなかで、第一の「人間の宗教」、第二の「市民の宗教」のどちらにもあてはまらない第三の宗教のひとつとして、日本人の宗教について記している。
 ルソーによれば、日本人の宗教は「僧侶の宗教」であり、よくないことはあまりに明白すぎる故に、それを論証してみせるのは時間の浪費とまで言っている。さらに、「僧侶の宗教」は「人間を人間自身と矛盾させる制度」と斥けている。
 ルソーが、どれほど日本の宗教について知っていたかは定かでない(当時、日本は江戸時代中期。葬式仏教化は、いよいよ進んでいた)。だが、じつに本質をついた指摘といえよう。
 あるルソー研究の書に、ルソーの著作の、なかからルソーの好きなもの、嫌いなものを集め、表にまとめたものがあった。宗教の項目で、いくつか列記してみると──。
 好き‥‥良心・理性・慈悲・寛容・人類愛・徳など
 嫌い‥‥教会・権威・神秘・儀式・狂信・偏見など
 こうしてみると、ルソーの宗教観が浮かび上がってくる。彼の宗教は「内発的な心胸の宗教」といわれるとおり、自分の外にあるものは何ら意味を持たない。ただ、自身の「内心の声」を聞くことによってのみ、信仰は深められていくという。
 ルソーは書いている。
 良い教育とはわれわれがなにを選択すべきかを決定することではなく、むしろわれわれが正しく選択できるように配慮することでなければなりません。これが宗教改革の真の精神であり、真の土台であります。
 宗教は、人間を盲従させるものであっては断じてならない。人間に、よりよき自身を創造していくための力を与え、人生の方向を示す「人間のための宗教」こそ、時代の要請であろう。ルソーの叫びは現代に、新たなる宗教革命の精神を呼びおこさずにはおかない。

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