Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

ルネサンスへの讃歌 ダンテ『神曲』

「若き日の読書」「続・若き日の読書」(池田大作全集第23巻)

前後
10  『神曲』天堂篇の第十五曲で、ダンテは故郷フイレンツェの平和な風俗を歌っている。その美しくも平和なフィレンツェの街を、私は一九八一年六月に訪れた。そのときダンテの生家を訪問し、かの偉大なる生涯を偲んだものである。
 思えば──緑なすフィレンツェの天地は、私にとって青年時代からの憧れの地だった。その地は「神」に縛られた中世の暗黒時代から、光揮く人間復興のルネサンスへの波をつくった震源地であったからである。
 フランス語で「再生」を意味する「ル、ネサンス」は、イタリアで生まれたものである。その淵源を遡れば、イタリア語で「再生」を意味する「リナッシタ」に由来するという。すでにダンテの『新生』や『神曲』にも現れていた語である。しかも彼は、イタリアでも最初の人文主義者といわれる。いわばダンテは、名実ともにル、ルサンスの「生みの親」ともいうべき詩人であった。
 ダンテの時代、書物は主としてラテン語で書かれた。教会や学問の世界でもラテン語が用いられた時代である。むろん庶民は、イタリア各地の俗語で話したが、それも無数の方言に分かれ、統一した形はなかった。
 そうしたなかでダンテは、あえて当時の俗語である「トスカナ語」(今のイタリア語)で『神曲』など多くの著作を記した。より広く、より大勢の民衆に理解できるように願つてのことであろう。いわゆる「象牙の塔」に閉じこもるのではなく、彼は「権威の世界」よりも「庶民の人間性」を愛した。
 祖国の政治的統一をも願っていたダンテ。その統一が果たされた十九世紀(イタリアが統一されたのは一八七〇年のこと)に、ある思想家は「ダンテが蒔いた種は実った。イタリアの各都市は、彼の彫像を建てるべきだ」と叫んだという。はたして今、イタリア各地の都市には「ダンテ通り」があり、また主要都市には彼の銅像がある。
 ともあれダンテは、私にとって忘れられない詩人である。青春時代に出あった一書は、生涯にわたって胸に深く刻まれゆくものだ。とくに『神曲』を繰りかえし読んだ私にとって、ダンテは今なお親しい詩人である。

1
10