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日蓮大聖人・池田大作

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思想・人物・時代を読む 尾崎士郎『風霜』

「若き日の読書」「続・若き日の読書」(池田大作全集第23巻)

前後
4  文久三年(一八六三年)六月──防長二州の危急存亡のときにあたり、周布は藩論を押し切って世子を説得する。弱冠二十三歳の高杉晋作を、馬関総奉行手元役・政務座役・奇兵隊総監といった重職に就かせるためである。
 「士気をふるいたたしむるの道は、時務を行うに足る機略縦横の人材を登用することにある。選ぶに人を得れば士気は期せずして昂揚いたすであろう」
 尾崎士郎えがくところの『風霜』の一節だ。実際は、晋作が呼び出されるまでに、なお紆余曲折があったものと思われるしかし、ともあれ時機到来である。待ちにまった晋作の出番がきた。彼は、その名も「奇兵隊」という、いかにも奇抜な発想の軍を率いて立つ。
  
  奇兵隊の義は、有志の者相集り候につき、陪臣・雑卒・藩士を撰ばず、同様に相交り、専ら力量をば貴び、堅固の隊に相調へ申すべしと存じ奉り使。
  
 奇兵隊に応募する者は、陸続として跡を絶たなかったという。陪臣とか藩士の資格を問わない。われこそ「力量」あらんと思う有志は、だれでも参加できる軍隊であった。
 彼らは正規軍ではない、遊軍だ。そこには三百年ちかい武家中心の階層社会を、根底から覆すほどの新しい萌芽が、一斉に簇生した感があった。
 晋作の呼びかけに応じたのは、名のある藩士ではない。無名の農民や町人も、われ先に武器をとって入隊してきた。松陰の言葉を借りれば「草莽の崛起」ということになるが、現代風にいえば「民兵」とか「人民軍」とでも呼ぶ以外にないだろう。
 その奇兵隊を指揮した人物は、女物の被衣をかぶって三味線をひく男であった。その男こそ、じつは「総監」の位にある高杉晋作であったのである。
 「面白いじゃないか。こんなふうに悠々と指揮した晋作は、よほどの大人物であった。われわれの人生も、すべて晋作のように、悠々と生きたいものだ。
 もし歴史上の人物に会えるものなら、ぜひ高杉晋作には会ってみたいな」
 車座になった青年たちを見渡しながら、そう言って戸田先生は呵々大笑されたものである。

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