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日蓮大聖人・池田大作

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人間共和の旗を掲げて ホール・ケイン『永遠の都』

「若き日の読書」「続・若き日の読書」(池田大作全集第23巻)

前後
2  物語の時代背景は、西暦一九〇〇年のローマを舞台としている。南国の熱い太陽の下、きらめく古代遺跡の点在する「永遠の都」ローマに、新しい世紀の到来が告げられようとしていた。
 当時のイタリア王国は、ヨーロッパ列強諸国の圧倒的な影響下にあった。一国の独立は絶えず脅かされ、国内では専制権力と教会権力との二重の圧政によって、人びとの生活も極度に疲弊していた。
 小説では、独裁者ポネリ宰相に執拗に狙われる革命家、デイヴィド・ロッシが主人公である。おなじ数奇な運命の星の下に生まれた「永遠の女性」ドンナ・ローマがヒロインに配され、二人のロマンスを織りこんで壮大な革命劇が描かれていく。
 若き革命児ロッシは、新しい社会の理想に「人間共和」の旗を高々と掲げ、時の権力の暴政に敢然と挑戦する。彼の前途には、幾多の困難と迫害、そして苛酷な弾圧が待ちかまえていた。
 議会におけるロッシの政府弾劾演説は、飢餓と重税に苦しむ民衆の声を代弁するものであった。だが議会は、こぞって彼の案を否決する。民衆は、やむなくローマのコロセウムで国民大会を開き、政府に反抗していった。暴動を煽動したとする罪に問われたロッシは、広場から逃れ、亡命の人となる。
 彼には無二の同志があった。その名はブルーノ・ロッコである。ロッシほど華々しい存在ではないが、その信念と正義感、友情においては誰よりも信頼すべき人物であった。
 そのブルーノが捕えられた。拷問につぐ拷問によっても、彼の信念は、いささかも揺るがない。
 ボネリ男爵は、さらに陰険きわまりない策略を案ずる。ニセの手紙をつくって、ロッシがブルーノの妻と通じていると思わせ、裏切りを強要するのである。
 しかし、ブルーノのロッシに対する信頼の一念は、鋼鉄よりも固い。彼こそ真実の革命に生きる闘士であった。その最期にいたるまで同志を信じ、必ずや革命の成就を確信して、彼は「ロッシ万歳!」と叫んで、息絶えたのである。
 ブルーノの壮絶な死は、ロッシにとって衝撃であった。かけがえのない同志を失うことほど、革命家にとって無念のことはない。だが、その肉体は滅んでも、ブルーノの魂はロッシの心に、そして民衆のなかに、気高くも生き続けていよう。彼は悲しみを油として、革命運動のさらなるエネルギーに点火していった。
 ついにボネリ政権の倒れる日がきた。ロッシは国王から首班の指名をうけ、地下のブルーノも夢見た人間共和、永遠の都への扉を開く──以上が小説の粗筋ストーリーである。
3  ロッシの如く、ブルーノの如く
 ロッシとブルーノの生き方に学ぶところは、じつに大きく、重いものがあった。仮にも二人とおなじ運命に遭遇したとき、はたして何人の青年が苛酷な弾圧に耐えられようか。
 二人が身を挺した革命と、われわれがめざす宗教革命とは、むろん質的にも大いに異なりはするけれども、ひとたび民衆のために起ち上がった、彼らの天晴れな姿に、心からの拍手を送らずにはいられなかった。
 一緒に廻し読みした十四名の同志も、みな「ロッシの如く、ブルーノの如く」と、互いに頷きあって決意を固めた。まことに不思議なことであるが、一書の読破が心と心を結びあい、血のつながりよりも濃い同志の命脈をかよわすことになったのである。
 全員が読了すると、私たちは戸田先生を囲んで感想発表の会をもった。当時の「日記」によると、それは昭和二十六年二月八日、木曜、快晴の日である。
4  青年部の、集合──小岩、I宅。七時、宗教革命の若人十四名、勇躍、師の下に集まる。
 厳粛たり。躍動たり。今夜の歴史的会合、実に三時間以上に及ぶ。皆、真剣なり。
 ‥‥『永遠の都』の感想発表を、一名ずつ行う。
 吾人は、革命には、大別して三種類あり。即ち、政治革命、経済革命、宗教革命なりと。
 いま此の書は、明治維新の革命と同じく、政治革命なりと思うと。共産革命は、経済革命なりと。
 吾人等の断行せんとする革命は、それらより本源的な、宗教革命なりと。
 即ち、真実の平和革命であり、無血革命なりと。大意の感想をのべたり。
5  日記の内容は簡潔であるまた、これは私が二十三歳のとき、備忘録として書いた文章である。意は尽くせないが、この夜の会合が記念すべきものとなったことは、諒解いただけるものと思う。
 このとき戸田先生は、御書の「三大秘法票承事」を拝して講義された。わずか十数名の青年を対象にしての講義であったが、末法当今の宗教革命に身を挺する決意の固く、深いのを読み取られたのであろう。われわれの肺腑をつく言葉をもって、広宣流布への道程を語って尽きなかった。おそらく戸田先生は、その夜、三カ月後の第二代会長就任のことを、胸中深く決意されていたにちがいない。
6  私が戸田先生から頂戴した『永遠の都』は、改造社版の戸川秋骨訳になるものである。奥付を見ると、昭和五年(一九二一年)七月二十日発行となっている。出版されてから、かれこれ半世紀近い歳月が流れた。
 訳者の戸川秋骨は、明治三年(一八七〇年)十二月、熊本生まれの英文学者である。彼は明治二十六年(一八九三年)一月、雑誌「文学界」の創刊にあたっては同人となり、島崎藤村や馬場孤蝶と交わりをもった文学青年であるという。東大英文科を卒業すると、その後は高校教授を経て、慶応義塾の教授をつとめた。
 イギリスの大衆作家ホール・ケインが、イタリア生活をもとにして『永遠の都』を書きあげたのは、一九〇一年である。その出版後まもなく、戸川は原本を取り寄せて一読し、非常に面白い小説であると思って友人と翻訳に取りかかった、と記している。
 ところが、当時の出版事情からすれば、とても全訳は叶わなかったのであろう。原作の半分以下、いや三分の一程度の抄訳となっている。
 欧米の読書界においては、ケインは絶大な人気をもつベストセラー作家であった。しかし、わが国には馴染みが薄いのは、そのキリスト教的社会主義の政治的識見によるものであろうか。秋骨が抄訳を余儀なくされたのも、どうやら思想取り締まりを警戒したのが、一つの理由であったようだ。
7  三十年の歳月はあらゆるものを改新した。当時かなり珍らしくまた革新的だと思つた、この書中に説いてある事も、今日では頗る平凡な事、殆んど尋常な事になってしまった。否、今日ではこの書中に暗にほのめかされて居る事物も、多くは事実となって居て、それよりも遥かに痛烈な事が往々主張されて居る。併しこの書は小説である。決して主張をのべたものではない。而も今日の階級的意識を強調する小説とは全然異ったものである。どこまでも面白味を主とした小説である。
8  訳者は昭和五年の序文に、こう書いている。決して危険な革命思想ではない、面白さを主とした大衆小説であると、わざわざ断っているのである。
 当時、満三十歳になったばかりの戸田青年は、この小説を初めて読んだとき、どのような思いを抱いたのであろうか。──宗教革命に一身を捧げる以上、あるいは将来、牢につながれる運命に遭うかもしれない。嵐のような弾圧も、覚悟のうえで進む以外にない。──そのような決意を固められた際には、おそらく恩師の脳裡にロッシやブルーノの姿がよぎったこともあろう。
 はたして戸田先生は、師と仰ぐ牧口初代会長とともに、軍国主義政府によって囚われの身となった。その獄中における生活は、今なお語りつがれるほどの苛酷さである。拘置所の門をくぐった者には、転向か、拷問か、さもなくば栄養失調による獄死が待っていた。
 日ごろ仏法の何たるかを語りあってきた同志が、退転して一人去り、二人去る姿を見て、戸田先生の心中は、言いしれぬ寂しさに沈んだことであろう。二年近い獄中生活ののち、牢から出てきたときには、創価教育学会は壊滅状態にあった。
 戦後、ただ一人荒野に立ち、民衆救済の無血革命を誓った恩師の雄姿を思うとき、今でも私は、ロッシに思いを馳せ、ブルーノの同志愛に心を運ぶのである。

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