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日蓮大聖人・池田大作

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天下の大事を担うもの 山田済斎編『西郷南洲遺訓』

「若き日の読書」「続・若き日の読書」(池田大作全集第23巻)

前後
8   人の一生遭ふ所には、険阻有り、担夷有り、安流有り、驚瀾有り。是れ気数の自然にして、ついに免るる能はず。即ち易理なり。人は宜しく居つて安んじ、もてあそんで楽むべし。若し之を趨避すうひせんとするは、達者の見に非ず。
  
 おそらく西郷は、この一節を『言志四録』のなかに見いだしてから、その生涯を閉じる日まで、さまざまな感懐をもって反芻したにちがいない。その身を「気数の自然」にまかせて、淡々と生死を超越した心地にまで達していたのであろうか。
 維新を達成するまでの西郷は、たしかに機勢の高まる波に乗っていた。大久保の繊密な戦略と、世界情勢に通暁した海舟の助言、さらに豊富な情報と雄藩の協力も得て、果断に行動することができた。
 しかし、時流というものは、激しく、また恐ろしいものである。維新政府の矢継ぎ早な改革に、ひとり西郷のみ置き去りにされたきらいもある。むろん彼自身、創業の人ではあっても、守成の政治家ではないことを、あるいは承知していたかもしれない。
 戊辰戦争が終わると、さっさと薩摩へ帰ってしまった。すでに「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ」という心境の西郷にしてみれば、あえて上京するまでもなかったにちがいない。南国の田園に暮らして晴耕雨読の、悠々自適の生活を送っていれば、赫々たる革命家の晩節も全うされる、と見えたのだ。
 だが、西郷は明治四年(一八七一年)正月、ふたたび、三たび立ち上がった。ときに四十三歳──はや人生の半ばを越えている。時折、心臓の鼓動に不安を覚えることはあったが、それでも、あえてみずからの運命に身をゆだねていったのである。
 はたして西郷の再挙は、維新につぐ連続革命を企図したものであろうか。あるいは壮図むなしく、不平士族の反乱軍と化していったのだろうか。福沢諭吉の見るように、それは「抵抗の精神」によるものか。──歴史の評価は、なおしばらく左右の振幅を繰りかえすかもしれない。
 しかし私は、かつて西郷の人間性には魅かれたが、はたして彼に百年の遠謀深慮があったかどうか──今では疑問に思っている。彼には、土着性に根ざす人情の豊かさはあっても、新しい未来の光源となりうる理念の輝きは見られないからである。
 なお後年、私の恩師は、西郷が未来への使命に生きゆく多くの青年を死地に追いやったことの非を、厳しく批判されたことがある。真の指導者というものは、次代の有為な青年たちを決して犠牲にするものではないとの心情が、恩師の指摘には溢れているようで、私の脳裡からは瞬時も離れないのだ。

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