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日蓮大聖人・池田大作

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天才詩人の光と影 石川啄木『一握の砂』

「若き日の読書」「続・若き日の読書」(池田大作全集第23巻)

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9  おれが若しこの新聞の主筆ならば、
 いろいろの事!
  
 この歌は『悲しき玩具』に収められている。青年啄木の望みは高い。だが、脚下の生活は依然として苦しかった。
 父母妻子を本郷弓町の理髪店二階の下宿に迎えると、啄木一家は忽ち生活に窮した。記念すべき歌集『一握の砂』の稿料も、生まれて間もなく死んだ長男の薬餌となって消えた。
  
 やや遠きものに思ひし
 テロリストの悲しき心も──
 近づく日のあり
  
 これも『悲しき玩具』にある。かつて「わが抱く思想はすべて金なきに因するごとし」(『一握の砂』)と歌った彼は、いよいよ生活に困窮すると、徐々に、やがて性急にも社会主義思想に傾斜する。とくに明治四十三年にはじまった幸徳秋水らの事件(いわゆる大逆事件)には、強い衝撃を受け、無政府主義者の心情にも共鳴していったようだ。
  
 寝つつ読む本の重さに
  つかれたる
 手を休めては、物を思へり。
  
 母親の発病に続いて、妻の節子も、そして啄木も、家族三人が枕を並べた。薬を買う金もない。衣類も本も売った。その日の食事にさえ事欠いた。──一家の全滅、この世の敗北と地獄である。
 死の床についた啄木にとって、もはや歌だけが生きる支えであった彼は、深淵に落ちこむ絶望の心をみずから汲みあげて、いのちの一秒を歌に刻んだ。その必死の発条の歌が、遥かに半世紀以上もの時代を隔ててなお、今の若い人びとの共感を呼ぶのであろうか。
 明治も終わりのころの四月十三日──わが啄木石川一は、一身を燃焼させて不帰の客となった。天才詩人啄木の生涯をいろどる光と影は、栄光と悲惨の交錯する時代の一断面を、はからずも浮き彫りにしているようだ。

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