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日蓮大聖人・池田大作

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小説『人間革命』  

1975.3.1 「随筆 人間革命」「私の履歴書」「つれずれ随想」(池田大作全集第…

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1  サンゴ礁の海は、紺青に光る。暖かい日ざしが降り注ぎ、南国の島には太陽が輝いていた。昭和三十九年(一九六四年)十二月一日から三日間、私は会員の激励のため沖縄の地にいた。二年半ぶりであり、四度目の訪問である。二日の朝、沖縄の会館の二階の窓から、原色の真っ赤な花を眺めていた。快晴の空、澄んだ空気。東南アジアを思わせるような神秘性を漂わせている沖縄の自然の色が、私は好きだ。
 と、戸外で「窓を開けて……」と叫ぶ声がする。手を振る会員の姿が見えた。そのとき「拘置所を思わせるなあ……」と私が見つかってしまったことを苦笑しながら独白したと、同行の記者の一人が何かに記している。いつも会員たちの衆人環視のなかにあることを“拘置所”と表現したのであろうが、じつはこのときは、別の意味もあった。
 それは、この日、私は、小説『人間革命』の執筆を始め、第一枚目の原稿用紙にペンを走らせたからである。本文の出だしは「戦争ほど、残酷なものはない。……」、昭和二十年七月、恩師が豊多摩刑務所(後の中野刑務所)から出獄されたときのシーンがつづく。この“豊多摩刑務所”という語と“拘置所”という語が、私の頭のどこかで結びついていたにちがいない。いや、より正確にいうならば、執筆開始の直前まで、恩師の出獄は巣鴨の東京拘置所という通説を信じていたので、“拘置所”というイメージが重なっていたのかもしれない。
 とにかく、この冒頭をいかにするかには、心を砕いた。考えあぐねた末、戸田城聖会長の運命というものは、その生涯をたどっていくと、根本のところで新しい日本社会の動向に大いなる影響をもたらすであろう──ゆえに、その人間関係は日本社会の運命を背景としたときに鮮やかになることを知った。というわけで、その最大の転機となった出獄を敗戦近い日本の運命を舞台にしながら書き出したわけである。
 私は、いよいよ執筆を開始しようとしたとき、いずこの地で一枚目を書こうかと考えていた。そして、最も日本列島のなかで、悲惨と苦汁をなめた沖縄の地でしたためたいと思ったのである。そして「昭和三十九年十二月二日より書き始む」はてしなき道に踏みこんだのであった。この書の主題は、一人の人間における偉大なる人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする、ということである。後世の歴史の審判をあおぐ、証拠の書として、私は、つたないながらも書きつづっていきたい。二十世紀のこのときに、庶民による平和と文化のドラマが、壮絶にうまずたゆまず繰り広げられていった真実の軌跡。その平和運動は一人一人の名もない民衆の、人間変革の集積によって進んだ事実。それらを人間尊貴の証明のためにも克明に残しておきたい。遺言にも似た気持ちで、私は筆を進めた。
 恩師の七回忌法要(三十九年四月二日)の席上、執筆の決意を披瀝。その年の暮れの十二月十四日、十三回分の原稿を手渡し、「聖教新聞」に四十年元旦号から連載を開始した。以来、八巻まで、原稿用紙にして約三千八百枚書いてきた。粗野な文で、胸が痛む。ただ日々、戦いの連続のなかで、夢中に書いた。
 愛用していたモンブランの万年筆もペン先が太くなっていった。体をこわし、万年筆の重さもこたえる日がつづき、やむなく資料をもとにテープに吹き込んだときもある。慣れない録音作業のため、汗を流し熱を出しながらやっとの思いで吹き込んだところ、まったく音がはいっていないこともあった。人にすすめられ、軽い鉛筆で書くといいということも覚えた。
 なんとか懸命につづってきた小説『人間革命』も、一昨年は映画化もされ、反響を呼んだようである。原作者として、シナリオを担当してくださった橋本忍氏と懇談する機会があるが、いろいろ教えられることが多い。氏は「七人の侍」は八カ月、「日本沈没」は一カ月半でシナリオを書き上げたが、「人間革命」は一年八カ月費やした、と全魂を注いでくださったようだ。
 そして、原作とシナリオの関係について、氏が師匠の言葉として語られたことがある。
 「原作とは牧場の囲いの中に放してある牛のようなもので、シナリオ・ライターはその牛を毎日、牧場に行っては眺めている。そしてある日、囲いの中にはいって、一刀のもとに牛を殺し、その血をバケツに入れて持ってくる。原作とシナリオとはそんなものである」
 また、「シナリオ・ライターは、ツボを見抜いてどう殺すかだ。だが、橋本、一生の中で一度はそのツボをどうしても斬れず心中するような原作に当たるぞ……」と──。
 これは、小説『人間革命』に挑む私にも、そっくりそのまま当てはまる。私にとって“原作”とは、現実の刻々と動く歴史の舞台であり、私は一人のライターとして、その“原作”といわば“心中”しようとしているのかもしれない。

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