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日蓮大聖人・池田大作

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教育事業  

1975.2.28 「随筆 人間革命」「私の履歴書」「つれずれ随想」(池田大作全集…

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1  「東洋哲学研究所」は、東洋の学術・思想・哲学を中心として広くアジアの文化の研究を目的とする研究機関である。これは昭和三十七年(一九六二年)一月に「東洋学術研究所」として設置。四十年十二月に財団法人「東洋哲学研究所」の認可を得、講演会や研究会を行い、研究誌『東洋学術研究』などを発刊し、着実な活動をつづけている。
 三十七年一月に創価学会を母体にして誕生した「公明政治連盟」を創価学会から分離し、一歩前進させるために、三十九年十一月、公明党の結成大会が行われた。私は党の創始者であるが、党の独自性を尊重して、大会には出席せず、祝電を打った。一日も早く責任ある公党として独り立ちし、虐げられた庶民の永久の味方として進んでもらうことのみを念願していたからである。
 率直にいって庶民から奪い去られた政治を、民衆一人一人の手の中に取り戻してほしいという気持ちから、この新しい党は誕生した。事実、それらの輿望を担って、あるいは埋もれていたかもしれない庶民大衆のエネルギーを、政治地図のなかに確たる位置を占めるよう顕現させたその功は大きいといえよう。四十五年、言論問題を契機にして政教分離をさらに明確にし、公明党は開かれた国民の政党として、今日結党十年をへたわけである。どこまでも党利党略を超克して国民の側に立って忍耐強く歩みつづけていくことを期待したい。
 新しい民衆音楽運動を起こすべく三十八年十月に音楽文化団体として創立した「民音」(民主音楽協会)も、四十年には財団法人として認可された。諸外国との文化交流の一翼も担い、その発展には著しいものがあるようである。(平成五年現在、音楽、舞踏等による国際交流は世界七十一カ国・地域にのぼる)
 四十三年春、創価学園が創設。東京・小平市の武蔵野の面影を残す林のなかに建てられた創価中学・高校(男子校)に第一期生がはいってきた。姉妹校である創価女子中学・高校は、五年遅れて四十八年春、大阪の交野市に開校(東京、大阪とも五十七年から男女共学に)。いま、創価小学校、幼稚園も具体化を図っている。(東京創価小学校は五十三年四月開校、札幌創価幼稚園は五十一年四月開園。後に関西創価小学校も五十七年四月に開校され、さらに創価幼稚園が香港、シンガポールに開園、マレーシアに開園の予定)
 東京・八王子の武蔵野の緑の丘陵に創価大学が開学したのは、昭和四十六年春である。この四月には大学院も設置される予定である(五十年四月開設)。私は、大学の創立者として三つの「建学の精神」を掲げた。①人間教育の最高学府たれ②新しき大文化建設の揺籃たれ③人類の平和を守るフォートレス(要塞)たれ、である。
 大学や学園の創設にあたって、私は環境を重要視した。自然と人間の融合をどう図っていくかが、教育の一つの重要な条件であると思うからである。幸い、関係者の尽力もあって、関西校はかつて万葉の舞台となった四季の花咲く交野の野にあり、東京校も小鳥遊ぶ静かな林とせせらぎにも恵まれている。大学は、広大な武蔵野の丘陵に、山あり、森あり、池ありで、空気も澄み、最高の教育環境といえるのではなかろうか。
 戦前、創価学会は創価教育学会といい、教育活動から始まった。初代牧口常三郎会長は、時代を画す創価教育学説を打ち立てられた教育者であり、その独創的な教育論は、軍部権力に抗して獄中に逝いて三十年たったいま、心ある識者の注目を浴び始めている。二代戸田会長も教育に従事していた。
 教育は、未来を形成していく生命線である。未来を凝視するならば、一致して力を注がざるをえないのが教育である。私もやはり教育に力を注ぐ軌跡をたどった。
 一つの大学を形成するためにはたいへんな時間がかかる。創価大学は、いま、歴史と伝統の第一歩を踏み出したばかりである。ただ言えることは、学生も、教授も、職員も、創立者も心を一つにして、新しい理想の大学をつくろうと努力していることである。(六十年に創価女子短期大学も開設。さらに六十二年に創価大学ロサンゼルス分校をオープン、後にアメリカ創価大学に昇格)
 昨年九月、私はモスクワ大学の招待により訪ソしたが、創価大学とのあいだに学術交流を推進することで議定をみた。そのさい、私が真っ先に言ったことは「創価大学はモスクワ大学と比べれば孫のような存在であるかもしれない。しかし二十一世紀をめざし、人材輩出のための人間教育を行っていく情熱においては、決して劣らないと自負している」ということだった。
 モスクワ大学の方々、ソ連の高等・中等専門教育相らは一致して「未来のための交流に期待する」と言われた。中国の北京大学、ペルーのサンマルコス大学、香港の中文大学、アメリカのシカゴ大学など、各大学とも交流の一歩を進めつつある(平成五年現在、二十八カ国・地域、四十七大学と交流協定を結ぶ)。教育に時代の英知を結集してこそ、二十一世紀の展望は青少年の手によって開かれていこう。私も教育を最後の事業にしたい。終生、教育の興隆に全力をあげる決心でいる。

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