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日蓮大聖人・池田大作

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人材を育てる  

1975.2.27 「随筆 人間革命」「私の履歴書」「つれずれ随想」(池田大作全集…

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1  私が会長になった当時は、創価学会も現在のような社会的存在には遠く、多くの人びとは関心もなく、またその名もよく知られなかったように思われる。さまざまな風評で見られてもいたようだ。信濃町の学会本部の目と鼻の先に、いまは故人となられた元総理・池田勇人氏が住んでおられたが、隣近所へのあいさつということもあって、訪ねたことがある。
 氏は「会長さんになられたって……。この町の青年会の会長さんですか。まあ、同じ池田ですから仲良くやりましょう」と言われていた。同姓の池田氏に他意はなかったのであろうが、この“青年会の会長”という言葉は至言であった。ある意味で創価学会の存在イメージは、このようなものであったといってよい。また、事実、私も「若輩ではございますが、本日より……」と総会で就任のあいさつをしたごとく、三十歳を幾つか過ぎた文字どおりの青年会長であった。あれから十五年たったいま、私は四十七歳になったが、生涯、青年という気持ちに変わりはない。
 私は、会長就任の日の総会で、戸田前会長の七回忌(昭和三十九年)を当面の目標として①学会員三百万世帯の達成②大客殿の建立③宗教界の覚醒運動、の三方針を発表した。私は二年間が勝負と思った。二年間というものは、席が温まる暇がないというよりは、席そのものがないといってもよいほど動いた。動くことしか、道は開けないと信じたからである。
 関西を皮切りに、日本の各地を回り、七月にはアメリカ軍政下の沖縄に飛んだ。活動を始めた学会の軸となったのは、座談会と教学であった。この二つは、創価学会の草創以来の伝統の実践方式である。
 若き日に読んだゲーテの言葉に「いつかは目的地に到達しようなどぐらいの気持で歩んでいては不充分です。その一歩一歩が到達地であり、その一歩としての価値があるべきだ」(エッカーマン著『ゲーテとの対話 上巻』神保光太郎訳、角川文庫)とあったが、まさにそのような歩みが要請される日々の連続であった。
 二年半後の昭和三十七年(一九六二年)十一月に三百五万世帯を達成し、三十九年四月に大客殿は完成した。全国的な自信に満ちた上げ潮の動きを見て、私は次の手を打ち始めた。若い人材の育成である。後継者の育成をしないときは、かならず行き詰まるという方程式を知っていたからである。
 私がいつも魅せられる画家の一人である東山魁夷氏が「私は白い紙に向い合う。それは紙ではなくて鏡である。その中には私の心が映っている。描くことは、心の映像を定着させようとする作業である」(写真集『東山魁夷の世界』集英社)と語っておられるが、その心境がうかがえる味わい深い言葉である。青年や少年、少女と対話するときは、まさに純白な生命のキャンバスに向かうようなものであり、それはみずからの心を映す鏡である。
 次の時代を託す若者たちと、対話をつづけていった。結成五年をへた学生部の代表に、三十七年の夏から「御義口伝講義」を始めたのも、その一つである。「御義口伝」は、日蓮大聖人の仏法の骨髄が説かれている御書で、法華経の文々句々を大聖人がみずからの立場で講義されたものを弟子の日興上人が筆録したものである。
 私は、ひとまず学歴にまつわるいっさいの装いを取り去り、なおその奥に光る人間の育成を試みることから始めた。彼らにつねに言うことは、庶民とともに歩む労働者であれ、ということであった。
 この講義は、ほぼ毎月一回、五年間つづいた。五年間という歳月にわたり、ある一定のメンバーに訓練をしえたことは、私のこれまでの人生においてもまれなことである。いま、その学生たちは創価学会の中枢に育っている。
 これが軌道にのると、さらに次の布石、また次の布石というように、私の目は少年に向けられていった。三十九年六月には高等部、中等部を結成、四十年九月には少年部を発足させた。なかに鳳雛会、未来会などをつくり、二十世紀の残された四半世紀のために、また来る二十一世紀をいかに生きるかを語り合った。
 わが家にも近所のちっちゃな子が遊びにくることがある。家宅侵入をしてくるなり、とっとっと台所の冷蔵庫に直行し、中身の宝物をさらっていく。本部にも、私の幼い友だちはやってくる。彼らは、自由に動き、ときには粗相もする。親はあわてて子を叱ろうとするが、私は、叱る親を止める。いいんだ、いいんだ、と。未来からの使者は、伸びのびと自由奔放に育てたい。ただし、転んでも一人で起き上がるのを待つ。他に頼らないという自立心を育てたいからだ。
 ある日、駐日英国大使と懇談したが、心に残る話を聞いた。大使は、毎日、夜になると、小さなお子さんに、その日あったことを、わかろうがわかるまいが、一つ一つ話すという。子どものなかに、一個の大人の人格を認めることから生まれてくるこの父子対話は、いろいろなことを考えさせてくれるようだ。

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