Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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焼け跡の向学心  

1975.2.13 「随筆 人間革命」「私の履歴書」「つれずれ随想」(池田大作全集…

前後
 
1  世の中の変わりようは激しかった。真実とは、人間とは……。敗戦により、従来の価値観はひっくり返ったように思われた。何を支柱に生きていくべきか、若者たちは、悩んだにちがいない。私も、その一人であった。
 無性に勉強がしたくなった。戦争という異常事態下にあっては、好きな読書も満足にはできなかった。そうだ、ともかく学校へ行こう。それも昼間の学校へ行くことなどは、経済的にもとても余裕がない。なにしろ、終戦の年の秋には、まだ、戦地に出征した兄たち四人とも家に帰ってはいなかったし、私には残った男の子として、家の生計をささやかではあるが支えていくことが不可欠であった。また、私は働きながら学ぶ他の学生の心も知りたい気持ちがあった。私は、夜間の学校で勉強しようと思った。
 そんなある日、私の足は、神田の古本屋街へ向かっていた。駿河台の丘の上に立って、焼け落ちたビルを眺めていると肩をたたく人がいた。私と親しくしていた友人の先輩であった。
 久しぶりの邂逅に、二人の話ははずんだ。その人は、私が学校へ行きたいということを知ると、神田・三崎町の東洋商業(現・東洋高校)を紹介してくれた。簡単な筆記試験を受けて、終戦の年の九月から中途編入することになり、東洋商業の二年生になった。
 学校には、建物だけがともかく残っているといってもよく、机や椅子も、どこか壊れていたり、傷がついていたりして、完全なものはなかった。窓ガラスも破れ、教材用の器具などもそろっていない。壊れた窓からは、冬の寒風が遠慮なくはいってきた。天井からつり下がった裸電球も薄暗かった。停電は毎夜のごとく。しかし、戦時中の遅れを取り戻すため、私たちは、むさぼるように少ない本を手にしては読んでいた。私は、そんな一人の夜学生である。
 廃墟と化した市街の上に、悠々と広がる澄み渡った青い空は、いま思い出してもあまりにも鮮やかである。瓦礫の山のなかの生活も、戦争が終わり、心はあの青い空の色かなにかに向かってかぎりなく晴ればれと走り出した。皆、新しい知識に飢えていた。
 薄給のなかから蓄えた小遣いを持っては、神田に飛んでいき、望みの本を見つけて喜んだのもこのころである。古典、新刊書など、手にはいるものは乱読というか、片っぱしから読んだといってよい。読書は、私の人生にとって最大の趣味の一つである。素晴らしい良書に巡り合った喜びはなににもまして、といってよいほどのうれしさがあった。岩波書店へ行って、列をなしているところに並んで、やっと一冊の本を手に入れたこともある。
 昭和二十一年、二十二年のそのころ、私が書きつけたワラ半紙の雑記帳に、読んだ本のなかから感銘した文などが思いつくままに記されている。
 「家は十坪に過ぎず、庭は唯三坪。誰か云ふ、狭くして且陋なりと。家陋なりと雖ども、膝を容る可く、庭狭きも碧空仰ぐ可く、歩して永遠を思ふに足る。神の月日は此處にも照れば、四季も来り見舞ひ、風、雨、雪、霰かはるがはる到りて興浅からず。蝶児来りて舞ひ、蝉来りて鳴き、小鳥来り遊び、秋蛩また吟ず。静かに観ずれば、宇宙の富は殆んど三坪の庭に溢るゝを覚ゆるなり」(徳冨蘆花著『自然と人生』岩波文庫)
 私の心に、ひたひたと打つものがあったのであろう。人間と人間の愚かな戦いの修羅場をば、大自然の恵みは超越して、春を呼び、秋を寄せる。荒廃した家々と天地のおおらかさ──この対照鮮やかなときに、「宇宙の富は三坪の庭に溢れる」と覚えるのは、愉快至極なことではなかったか。
 また父や母のことも私には心にかかっていたのであろうか。「初春の花見る毎に父母の、傾く年を独り寝に泣く」(国木田独歩)などとペンを走らせている。
 その他、その雑記帳に抜き書きされている書名や著者の名を、当時の心のメモリーとして並べてみると、その内容はいっさい忘れてしまったが、それぞれから懐かしい思い出が想起されてくる。シルレル、勝海舟、カーライル『英雄及英雄崇拝』、石川啄木、ダーウィン『種の起原』、長与善郎『竹沢先生と云ふ人』、ジャック・ロンドン『奈落の人々』、バクーニン『神と国家』、有島武郎『旅する心』、岡倉覚三『日本の目覚め』、三木清『人生論ノート』、国木田独歩『欺かざるの記』、プラトン『クリトン』、ヘルデルリーン『ヒュペーリオン』、姉崎正治『復活の曙光』、阿部次郎『三太郎の日記』、幸田露伴『頼朝』、エルベール編『ガーンディー聖書』、ルソー『エミール』、孫子、内村鑑三『代表的日本人』、エマーソン論文集、モンテーニュ『随想録』、プラトン『国家』、伊藤千代松、プレハノフ『我等の対立』、中江兆民、幸徳秋水、佐藤一斎『言志四録』、高山樗牛、『平家物語』、武者小路実篤『我が人生観』、呉茂一訳『増補 ギリシア抒情詩選』、高橋健二訳『ゲーテ詩集』、バイロン……。
 いまは読書のいとまも思うようにとれず残念である。

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