Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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名古屋の土地柄  

1973.1.14 「随筆 人間革命」「私の履歴書」「つれずれ随想」(池田大作全集…

前後
1  目が覚めて、廊下に出ると、名古屋城が眼前に語りかけるようであった。
 昨日と同じく、今朝も雲ひとつない晴天。数千名にわたる、昨日の記念撮影を思い出深く終わらせた伸一は、第二未来会、並びに中部女子大学会と高等部員会のために、名古屋文化会館に滞在。
 朝食をとろうとして、隣の部屋に移った伸一は、五階の窓より、なにげなく外を見ると、子ども連れの母親と祖母であろう三人が手を振ったのには驚いた。やがて、未来会の結成式が始まった。
 未来会というのは、いわゆる、二十一世紀の指導者をつくらんとしての試金石といってもさしつかえない。
 近隣の人であろう、老母が二人、風雪に耐え、信仰により救われた明るい表情で同じ席に坐っていた。「おいくつですか?」と聞くと、一人は七十八歳、一人は八十歳と、誇らしげに答えた。
 伸一は、とっさに人に頼み、桜の苗木を二本買い求め、文化会館の前に、一本を「きぬゑ桜」、一本を「はるの桜」と、その人の名前をとって命名して、記念植樹をしたのであった。
 この瞬間の二人の顔は、生涯にわたって忘却することができないであろう。「青年の年」の飛翔――。それは、老いも若きも皆がはつらつと、広布の第一線で戦いゆくなかにある。
2  戸田先生が名古屋へ第一回の指導に来られたのは、昭和二十七年(一九五二年)八月十一日。
 その名古屋の土地柄に対して、ふと、こんなことを話されたことがある。
 「たしかに名古屋は、偉大なる田舎であるという表現はピタリだ。排他性があることも事実だ。伝統、風習というものを批判してもはじまらない。心の世界は、慈悲ぶかい心で接すれば、いくらでも変化するということを忘れてはならない。
 ともかく、東京から行く人は心から礼儀正しく、心から粘り強さをもって接することが大切。いささかたりとも、高圧的な態度をとれば、愛知の幸福は失敗してしまう」と。
 ともあれ、愛知は、第二章の上昇期の先駆を切っている。長い長い苦労の旅路であったにちがいない。しかし、愛知の友は、すべてに勝った。陸続と、少年が、青年がつづいている――そう胸に祈りながら、伸一たちは夜行列車の人となった。
 『人間革命』を途中で休載させていただき、胸のなかがいつも苦しい思いである。いっぺん休むと、加速度を与えるのに資料の点検等になかなか調子がのらないものである。
 法悟空はなんとかやっと時間を見つけながら、三回分ほど、担当のJ君に渡すことができた。もう少し貯めてから、余裕をもって開始したいと思うので、もう少し時間をいただきたい。……

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