Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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妙法広布の強靭な糸  

1972.12.22 「随筆 人間革命」「私の履歴書」「つれずれ随想」(池田大作全…

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2  第一回の写真撮影は、昭和四十年(一九六五年)四月十六日、私の出身地である蒲田支部の地区部長会に出席したときであった。蒲田会館の三階の広間で、居合わせた青年部幹部の方々に、ぜひともと言われて──私の胸中も、只今臨終の心境の発露として、批判の嵐のなか、雄々しくも健気に宗教革命に戦う、同志の生涯の思い出にでもなればと、喜んで席に入らせていただいたのであった。
 ところが、一波が万波につながり、あの地でも、この地でも、ぜひともと強い要望の声が高まって、この数年、できうるかぎりの奔走を、余儀なくされてしまったしだいである。平等を考えなければならない伸一にとっては、嬉しい悲鳴となっていくことであろう。
 戸田先生が出獄なされたのが、四十五歳である。伸一も、早くも来春は、四十五歳を迎える年となった。同じ年齢であっても、先生の境涯、能力、確信等々は、幾百千倍もすぐれておられて、不肖の弟子は、ひたすら報恩謝徳の念で合掌の日々を送る以外にない。ただ、一貫する妙法広布の強靭な糸が、確たる事実の存在として連結、脈動していくことだけは間違いない。
 社会に雄飛して活躍する学生部出身の友らと、夕食をともにしながら、遅くまで語り合った。十年後、二十年後の広布の展開をひとり思うとき、そこにとうてい、想像もつかぬ新たなる燃焼のあることを知った。

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