Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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恩師と過ごした師走  

1972.12.18 「随筆 人間革命」「私の履歴書」「つれずれ随想」(池田大作全…

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2  ある歳の暮れ、伸一たち十数名の幹部は、戸田先生とご一緒して、忘年会に連れていっていただいたことがある。
 宴半ばになると“鴨緑江節”を皆で歌おうと言われ、先生はみずから立ち上がって洋服を裏返しに着替えられた。そして、海苔のヒゲをつけ、帽子を逆さにかぶり、箒を持って楽しそうに踊ってくださった。
 一回目が終わると、こんどはお酒の呑めない伸一も、同じような格好をして、一緒に踊れというのである。幾度も先生を見習って、汗をかきながら踊り、アンコールされて困ったものである。暮れも押し詰まってくると、鮮明に当時のことが思い出されて懐かしい。そのときの写真を見るにつけ、ともすれば孤独に生き戦いつづけねばならない伸一にとって、勇気の蘇生となっている。
 解放された雰囲気ではあったが、いつもながらの激務でお疲れが出てきたのであろう──先生は、ぐったりと横になって瞑想に耽っておられた。幹部たちは、機嫌よく飲んだり、騒いだりしている。やがて、先生はその場から超絶したような次元の厳しい眼差しで、背中を摩っている伸一に一言、放った。
 「幾百年かかっても、広宣流布は絶対にせねばならない。革命には、弾圧も、非難もつきものだ。なにがあっても恐れるな。命をかければ、なにも怖いものはなくなるのだ」と。
 生命をしぼるような叱咤であった。
 今日も、大勢の来客と会った伸一は、その合間をぬって、J君より催促されて『人間革命』の“明暗”十三回目の原稿を書き上げる。どうやら督促され、もがきはじめているようだ。追われる身は辛いと実感する昨今である。
 遅く帰宅して、勤行を終えると「正本堂讃歌」の琴の音が、さながら生命の宮殿の中で、天女が舞うように響いてきた。

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