Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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恩師と過ごした師走  

1972.12.18 「随筆 人間革命」「私の履歴書」「つれずれ随想」(池田大作全…

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1  戸田先生が、よく笑いながら側近の者たちに話されていたことに、このようなものがある。
 「牧口先生は、目白にお住まいになっておられた。私は目黒である。先生はいつも和服姿でおられた。私は洋服である。先生は眼鏡をかけていない。私は強い近眼で眼鏡をかけている。また先生は、生涯にわたって教育者であられた。私は事業家になった」
 その話しゆく態度というものは、いつの場合でも誇り高く、畏敬の念が滲みでていた。
 戸田先生は、こんなことも、しばしば言われていた。
 「そもそも法華経に曰く、とか、御書に曰く、とか、まるで教育勅語でも読むような、形式主義、権威主義的な説法の仕方や指導では、現代の人びとを心から納得させ、仏法を理解させることは決してできない。時代錯誤というものだ。御書を生活に約し、浸透させ、懇談のなかに脈々と与えていく、というようにならなくてはいけない。布教革命をしなければ宗教は死んでしまう。既成宗教が行き詰まってしまった原因の一つは、ここにある。創価学会の使命も、ここにあるといってよい」
 進歩的にして、鋭い先生の英知は、権威と秘密主義に陥っている宗教界に、絶望していたのである。
 また、あるとき、会長室に集っていた人びとを前にして、組織のことにふれたことがあった。
 「組織があると組織に縛られてしまう、とその一面だけをとらえて嫌う人がいるが、組織なくして、一人だけで信仰を強靭に全うすることは、現実的にはできないものだ。ともかく、組織は人間より出発し、人間に帰着し、有終の美を飾るものでなくてはならないが、その組織があるがゆえに、惰弱な自分を支えてくれるということを、忘れてはならない。なにもかも自由に仏道修行をしようなどという、わがままな修行は、いずこにもありえない。
 ゆえに、経文にも和合僧といって、現代でいうならば、その教団の発展、進歩のために、組織を最も大切にしてきている。和合僧──という組織を大切にすることは、現代においては、最高の広宣流布への構築に奉仕している仏道修行である、とも言っておきたい」と。
2  ある歳の暮れ、伸一たち十数名の幹部は、戸田先生とご一緒して、忘年会に連れていっていただいたことがある。
 宴半ばになると“鴨緑江節”を皆で歌おうと言われ、先生はみずから立ち上がって洋服を裏返しに着替えられた。そして、海苔のヒゲをつけ、帽子を逆さにかぶり、箒を持って楽しそうに踊ってくださった。
 一回目が終わると、こんどはお酒の呑めない伸一も、同じような格好をして、一緒に踊れというのである。幾度も先生を見習って、汗をかきながら踊り、アンコールされて困ったものである。暮れも押し詰まってくると、鮮明に当時のことが思い出されて懐かしい。そのときの写真を見るにつけ、ともすれば孤独に生き戦いつづけねばならない伸一にとって、勇気の蘇生となっている。
 解放された雰囲気ではあったが、いつもながらの激務でお疲れが出てきたのであろう──先生は、ぐったりと横になって瞑想に耽っておられた。幹部たちは、機嫌よく飲んだり、騒いだりしている。やがて、先生はその場から超絶したような次元の厳しい眼差しで、背中を摩っている伸一に一言、放った。
 「幾百年かかっても、広宣流布は絶対にせねばならない。革命には、弾圧も、非難もつきものだ。なにがあっても恐れるな。命をかければ、なにも怖いものはなくなるのだ」と。
 生命をしぼるような叱咤であった。
 今日も、大勢の来客と会った伸一は、その合間をぬって、J君より催促されて『人間革命』の“明暗”十三回目の原稿を書き上げる。どうやら督促され、もがきはじめているようだ。追われる身は辛いと実感する昨今である。
 遅く帰宅して、勤行を終えると「正本堂讃歌」の琴の音が、さながら生命の宮殿の中で、天女が舞うように響いてきた。

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