Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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未来を託す子どもたち  

1972.12.12 「随筆 人間革命」「私の履歴書」「つれずれ随想」(池田大作全…

前後
1  朝は晴天。午後から、晴れたり曇ったりの天候。夕刻から、どしゃ降りの雨となる。やがて、すっかり雨もあがって、冬空に上弦の月が冴えわたって美しかった。 伸一は、天候の変化とともに、いつしかまた激動しゆくであろう──人の世の変遷というものも、また、諸行無常であると想ったりしながら、十時過ぎに帰宅。 早速、御本尊に唱題──妙法の信仰の世界のみが、常楽我浄の次元とその展開であるとするならば、なにもあわてることも、恐るるものもない。夕刊を開くと、あの銀世界にいま、地質学者がアポロとともに到着していることが、大きく報道されていた。
2  七時少々前に目を覚ました伸一は、自宅のすぐ前の、七階建てというマンションの土台打ちの工事のため、室がぐらぐら動くので歎いた。ここ数日、揺れて音のたたぬよう工夫したのであろう──妻が障子や襖のすき間に、厚いボール紙をあちこちにはめ込んでいた。車が通っても揺れ動くのであるから、大工事になれば当然、地震のように揺れるのは仕方ないと、互いに笑ったりする。
 明るい太陽の日射しを受けた、南側の縁側に出て朝刊を開く。しばし、未来への展望と広布の構想を、静かにひとり思索。
 戸田先生は、しばしば早朝に起きて枕を抱えながら、一時間、二時間とかぎりなく思索を重ねておられた。
 そうしたある早朝、先生より電話がかかってきて、伸一が飛んでいったことがあった。
 そのとき、先生は「伸一、こんなに早く呼んだりして、悪かった。責任者というものは、大なり小なりたいへんなものだ。責任があるからな。思索ということは大事なことだよ。とくに多数の人を指導していく場合、思索の時間がなくてはいけない」ともらされた。
 新聞に目をとおし終えると、ジャガ芋の煮つけと、大好きな海苔と、味噌汁、大根おろし、お新香の朝食が運ばれてきた。ひとり、ゆっくりといただく。食事が終了してから──少しずつ読んでいるN全集を開いて、二十頁ほど読む。さらに机に向かって、『妙法蓮華経並 開結』の五百弟子品の一節のなかより、原稿用紙に二枚ほど書き認む。先生の机上には、かならず御書と法華経が置かれていた。伸一もせめてもの真似として、いつでも開いて勉強できるように置いてあるのだ。
3  そのころ、近所の子どもたちが──「センシェイ」とはしゃぎながら、幾人か入ってきた。無垢というのであろう、どの瞳も天使のように見える。新雪のような白さ、どのような色にも染まっていくであろう、この生命。抱っこしたり、頬ずりしたりしてあげる。早いもので、法戦の指導、指導、旅行、旅行の連続のなかで、わが家では、しぜんに子どもたちが成長してしまった。ゆえに、近所の子どもたちの到来は、なによりも大歓迎。
 庶務より、J記者から今日中に“明暗”第八回分の原稿を願いたし……との連絡があった。挿絵が間に合わなくなるとのこと。
 勤行を終わらせ、急いで車に乗る。子どもの一人が、どうしても一緒にというので、乗せてあげる。
 車中、伸一は思い返した。幾十年、幾百年にわたる広布の転戦にあって、この子らを護り育てる以外に、真の勝利の戦線の拡大はない。
4  戸田先生は、つねに伸一たちに言われた。
 「いま、私が矢面に立っている。君たちには傷をつけさせたくないのだ。烈しい疲労の連続であるが、私は毅然として時を稼ぐ。君たちは、いまのうちに勉強をし、力を養い、次の時代に敢然と躍り出て広布の実現をはかることだ。戦いは長い。すべて君たちに託す以外になにものもないのだ。それまで、いかなる中傷、非難にも耐え、防ぎに防いでおくよ」と。
 車を降りると、子どもの顔に、朝風が清々しく吹き込んでいるようだった。

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