Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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盛り上がる新生の波  

1971.5.31 「随筆 人間革命」「私の履歴書」「つれずれ随想」(池田大作全集…

前後
1  昨日の聖教新聞社は、幾千人もの友が去来した。各部の幹部会が多彩に行われ、その足で本部や聖教新聞に立ち寄ったようだ。広布への上げ潮の感をおぼえたのは、私一人ではあるまい。男子部の頼もしき友。理知の学生部。分別盛りの壮年部。下から盛り上がりつつあるこの新生の波を、法悟空は胸いっぱい呼吸した。新潟の友が、わざわざ携えてきてくれた錦鯉を、聖教新聞社前の噴水の中に入れる……子どもたちがうれしそうに、大勢ながめていた。
 戸田城聖の指導を、引きつづいて掲載させていただく。
2  政治は、科学ではない。技術である。人間が運営するからだ。方程式どおりにはいかない。また、技術ではあるが、再往は、応用科学ともなってくるだろう。
 多数派の意見が、かならずしもすぐれているとはいえない。少数者の意見にも、良いものがある。ゆえに、少数者の意見も聞かなければいけない。
 権力は、いずこより発生し、しかしてのち、どのように発展し、行使されるかが政治である。
 社会とは、一個の生物である。それ自体、発展していくもので、その発展にともなって、法律の変移もあるものだ。
 法律は、個人的利益のためでなく、その運用の主眼は公共的利益、すなわち善の価値を生み出すことに留意せねばならぬ。
 社会生活の習慣性が、道徳である。国により、階層により、田舎と都会など、それぞれ道徳律はちがうものだ。法とは、内面でなく、外面である。法は外、道徳は内。
 法律は、道徳の最低線。道徳は、生活の最低線。
 基本的人権の保障とは、国家権力により、強者を抑制し、弱者の生存に対する脅威を防衛して、その間の力の平衡を保つことだ。──われわれとしては、苦楽に使われてしまうか、苦楽を使いこなすかが問題だ。
 法律そのものを恐ろしがるな。法律を使いこなせばよい。
 最高裁は、憲法の番人である。
 世界は、経済によって統一されよう。戦争は、経済闘争より起こるものだ。
 戦時中の国内統制経済は、氏族社会の計画経済のようなものである。
 序論は、その人(著者)の思想を、端的に凝縮して表すものである。
 哲学とは、理論の整頓方式である。
 経済学とは、利の価値に関する学問で、それを系統だてる科学である。
 〈インフレ経済〉
 資本家が、苦しまずして、利を得るときである。また、一般庶民が、困苦の生活をするときである。
 〈景気の変動〉
 不景気──回復──好景気──恐慌の順序を、繰り返すものである。これは、利潤追求の、資本主義の世界のみに起こり、共産主義国には、ありえないことである。
 手形や小切手の交換高および為替の変動で、経済の実態がわかる。
 工場の景気の良いときには、農業は退歩する。
 二十年ぐらい前の指導メモでもあり、現在との多少のニュアンスの違いは、ご容赦願いたいと思う。これからも、つづけさせていただくつもりである。

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