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日蓮大聖人・池田大作

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山本伸一の命名理由  

1971.5.30 「随筆 人間革命」「私の履歴書」「つれずれ随想」(池田大作全集…

前後
1  ある一夕、文芸部の方々とささやかな会食をともにした。皆、社会の第一線で言論戦を展開しておられる勇士である。
 話は、いつしか、いま連載の小説『人間革命』に移ってしまった。やがて、遠い席に静かにおられた一人から──山本伸一という名前は、いかなる理由でつけたのか、という質問が飛んできた。
 一瞬、法悟空は、その答えをためらった。しかし、別に深い理由などはありませんが、と言いながら、言葉少なく、それに答えざるをえなかったようである。
 伸一は、昭和二十四、五年、戸田城聖の経営するN出版社で、編集員として働いていた。少年を愛する伸一青年が、少年雑誌の編集に全身体、全神経を注ぐ毎日であったことは言うまでもない。戦後の再建途上にある小資本の出版社であったゆえか、原稿取りも容易でなかった。たまに原稿の間に合わぬときには、彼はみずから筆を振るって──ペスタロッチやベートーヴェン等の伝記などを書き載せるのであった。
 いつしか、少年時代に愛読した『少年倶楽部』などで、なじみ深かった山中峯太郎や佐藤紅緑の名前が、うっすらと頭に残っていたのにちがいない。そこから“山”と“郎”の一字ずつをとり、山本伸一郎のペンネームを使用するようになったのである。戸田は、そのペンネームを見ながら言った。
 「なかなかいいじゃないか、山に一本の大樹が、一直線に天に向かって伸びてゆく」
 戸田は微笑しながら、認めたようである。
 やがて、少年雑誌の山本伸一郎は、一転、『人間革命』の主人公となった。ゆえに、ただ“郎”を取って、そのまま山本伸一と命名したのである。
2  ここに、戸田城聖の指導を、再びいくつか綴らせていただく。
 偉大なる感情には、偉大なる理性が宿るものである。人は、理性と感情とを二つに分けて、相反するものと思っているが、事実は、相伴うものである。立正安国を願った日蓮大聖人の御心は、最も偉大なる感情であり、最も偉大なる理性である。
 広宣流布は、大衆の欲して求めてくるときにできるものだ。たとえば、靴を欲するときに下駄、また草履を欲するときに下駄では、時機不相応の姿で、広布は成就されない。時をよくわきまえねばならぬ。
 組織は、自然発生主義でなくてはいけない。
 必要でないものは、消えてしまう。学会においても、無理をしてつくった幹部の位置というものは、消えてしまう。君たちも、自分でその位置をつくりあげなければいけない。
 中枢部において、数多くの規定を作り始めると、その団体は、自滅し始める。
 革命は、幸福を追求することである。
 日本の制度は年功序列だ。下からだんだんに昇進してくるようなシステムになると、組織が古くなる。アメリカは実力本位で、どしどし優秀な者を抜擢する。
 学会も抜擢主義だ。学会の役職は任命制だが、任命された者は、人気と信頼がなければならない。民衆の手によって選挙で選ばれた人と、上から任命される人とが一致しなければならぬ。
 つねに新しい息吹を入れることが、組織を腐らせぬ唯一の方法である。
 外部との戦いが止むと、内部に敵が出る。
 民衆が、いかに豊かに生活し、良くなるかということの一つは、税法の改正にある。
 今日の私の執筆は、聖教新聞社の七階。今日も多数の友が、本部勤行会に、見学にと賑やかである。学会歌のメロディーも、高く低く、心強く響いてくる。日曜日だからであろう──少年たちの声も、はしゃいで朗らかであった。

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