Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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嬉し、沖縄の健在ぶり  

1971.4.19 「随筆 人間革命」「私の履歴書」「つれずれ随想」(池田大作全集…

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2  宗教は、平和と文化をもって社会に直結する原動力である。わが創価学会は、党派を超え、相対的なイデオロギーを超越して、この文化と平和の大運動を定着させ、軌道に乗せたのである。これが、仏法の、円教の意義であり、私の、未来にわたって遂行したかった構築である。
 いよいよ、学会は、平和民主勢力と、一層の連帯を深め、民衆を包容しながら、勇敢に進む時代がやってきたのである。
 時代を知り、時代に眼を開き、偏狭な誤れる感情を拓いて、太平洋のごとく洋々として、満々たる前進を開始せねばならない。偏狭と誤解されるような前進は、本来の運動ではない。
 思えば、文化祭の淵源ともいうべき音楽隊の誕生は、昭和二十九年(一九五四年)五月六日である。この日は、青年部の幹部会であった。
 幹部会の後、音楽隊の結成演奏があったのである。そのときの人数は、十六名。初代の隊長は、A君であった。現在の、絢爛たる文化祭の大きな推進になっている姿からみて、この功労は、称賛に値しよう。
 ところで、当時、学会に音楽隊が誕生するということは、革新的な出来事であった。音楽を愛好する若い芽がふき始めるのを感じていた伸一は、それを大事に育てたいと思った。中心のA君の技術を信頼し、A君を、幾たびとなく激励した。そして、戸田城聖に、この結成を願い出たのである。
 「伸一がやろうというのなら、やり給え」との一言であった。ともかく、いまだ幹部は、想像もしなかったことである。
 時計を見ると、夜の十一時半──。H君とN君とK君が懇談に来ている。さきほど、中等部関係の幹部指導が終わったという報告があった。そのときに、静岡研修道場に咲いていた海棠の花が見事であった、またモミジの若葉が素晴らしい、と感嘆していた。 若き指導者は、陸続と成長している──。

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