Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

嬉し、沖縄の健在ぶり  

1971.4.19 「随筆 人間革命」「私の履歴書」「つれずれ随想」(池田大作全集…

前後
1  昨日は、広布勤行会であった。久しぶりに出席する。多くの友と、長時間、懇談、指導ができ、本当に嬉しかった。
 この日は、沖縄で初の文化祭である。残念ながら出席できなかったため、大成功を、本部常住の御本尊に祈念する。
 今日、ある新聞記者から、私あてに、一通の電報が沖縄より届いた。
 「ユウナノウタニノツタ ブ ンカサイデ シタ カンド ウイタシマ
 シタ チカライツパ イノエンギ ニホンイチデ ス」
 私は、いずこよりも沖縄を愛している。いちばん心配していた沖縄の文化祭が、秀でた演技であったと聞いて、なによりも安堵した。沖縄の同志は、よくも頑張ってくれた。
 また、この文化祭には、沖縄の名士の来賓百数十名が、観覧したという。
 ある著名な来賓のY氏は「絢爛豪華の一語に尽きます。本当に驚きました。文化祭の名にふさわしい感動的な舞台でした。皆さんの誠実さ、真剣さ、真面目さが、こうした素晴らしいものを生みだしたのでしょう」と述べ、来客のため途中で帰る予定であったのを、全部断り、最後まで見ていたという。 ある放送会社の役員は── 「このような催しは、沖縄では初めてです。沖縄の舞踊は、能のように無表情ですが、この舞台には、全員に表情がありました。子どもからおじいさんまで、みんなが自分の舞台として汗を流してやっていました」 また、ある文化関係の人いわく── 「創価学会が、これだけのことを成し遂げたのは、沖縄全体の民衆の喜びにほかなりません。民族の逞しさ、力強さをあらためて発見した思いです。
 宮廷舞踊をよく見ますが、この民衆の溌剌とした文化は、まったく素晴らしい。日本復帰後に明るい光を見いだして、楽しく生きていきます。とにかく文化祭には、人間としての喜び、民衆の生きがいが含まれていました」
2  宗教は、平和と文化をもって社会に直結する原動力である。わが創価学会は、党派を超え、相対的なイデオロギーを超越して、この文化と平和の大運動を定着させ、軌道に乗せたのである。これが、仏法の、円教の意義であり、私の、未来にわたって遂行したかった構築である。
 いよいよ、学会は、平和民主勢力と、一層の連帯を深め、民衆を包容しながら、勇敢に進む時代がやってきたのである。
 時代を知り、時代に眼を開き、偏狭な誤れる感情を拓いて、太平洋のごとく洋々として、満々たる前進を開始せねばならない。偏狭と誤解されるような前進は、本来の運動ではない。
 思えば、文化祭の淵源ともいうべき音楽隊の誕生は、昭和二十九年(一九五四年)五月六日である。この日は、青年部の幹部会であった。
 幹部会の後、音楽隊の結成演奏があったのである。そのときの人数は、十六名。初代の隊長は、A君であった。現在の、絢爛たる文化祭の大きな推進になっている姿からみて、この功労は、称賛に値しよう。
 ところで、当時、学会に音楽隊が誕生するということは、革新的な出来事であった。音楽を愛好する若い芽がふき始めるのを感じていた伸一は、それを大事に育てたいと思った。中心のA君の技術を信頼し、A君を、幾たびとなく激励した。そして、戸田城聖に、この結成を願い出たのである。
 「伸一がやろうというのなら、やり給え」との一言であった。ともかく、いまだ幹部は、想像もしなかったことである。
 時計を見ると、夜の十一時半──。H君とN君とK君が懇談に来ている。さきほど、中等部関係の幹部指導が終わったという報告があった。そのときに、静岡研修道場に咲いていた海棠の花が見事であった、またモミジの若葉が素晴らしい、と感嘆していた。 若き指導者は、陸続と成長している──。

1
1