Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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沖縄広布の朝ぼらけ  

1971.4.5 「随筆 人間革命」「私の履歴書」「つれずれ随想」(池田大作全集第…

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2  戸田城聖は、沖縄に行ったことがない。だが、沖縄の物語をよく伸一に聞かせてくれるのであった。その一つに、有名な“椿説弓張月”がある。
 物語は、源為朝が九州を攻略して、保元の乱で奮闘したが、武運つたなく敗戦。大島へ流されていく。武勇の誉れ高き為朝は、そこで付近の諸島を征服していくが、為朝追討の軍が攻めて来たので、九州へ逃れた。
 一度、九州へと逃れた為朝であったが、戦機を見て、平氏を討つために再度挙兵し、海路をもって東上しようとした。しかし、東上の途中、折からの台風に遭って、船は琉球(沖縄)に漂着してしまった。
 ここで為朝は、生涯を漂着した琉球のために尽くすことを決心する。王女を助け、悪臣、奸賊を討ち滅ぼして、琉球の国乱を平定するのであった。話は、このあと為朝が亡くなり、その子が琉球の王位に就くところで終わる。
 伸一は、ある青年部の会合で、沖縄の妙法広布の質問をしたことがある──戸田は答えた。かならず一人の地涌の菩薩が立ち、折伏の火蓋を切るであろう、と。
 そのとおりであった。昭和二十九年(一九五四年)の夏、一人の三十八歳の青年が東京で入信。Y君である。沖縄県人であった彼は、だれに言われるのでもなく、単身故郷に帰り、闘争を開始したのである。いま、数万の沖縄の友の連帯となる。その勇猛精進の丈夫の姿が、伸一の眼底に強烈に焼きついて離れない。
3  伸一が、沖縄に初めて行ったのが、昭和三十五年の七月十六日。数千世帯で、翌十七日に支部を結成した。その年の三月には、学会の寄進により、那覇に正宗寺院・光明寺が落成している。
 四月十八日は、沖縄の初の文化祭。十九日は、コザの会館落成式である。戸田城聖がいたら、どんなにか喜んでくれるであろうと、その様子が目に浮かぶようだ。
 新生、沖縄の友よ!
 君たちが作った「沖縄健児の歌」を、感傷と悲観を乗り越えて、怒涛のごとく歌いながら、平和への行進を開始してくれ給え。
  正法流布の 朝ぼらけ
  打ちくだかれし うるま島
  悪夢に目ざめ 勇み立つ
  伝統誇る 鉄拳は
  沖縄健児の 誇りなり
  
  命をかけて ひと筋に
  仏意を奉じ 示さんと
  万里の波涛を 乗り越えて
  世界に挑む 雄叫びは
  沖縄健児の 大使命

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