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日蓮大聖人・池田大作

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『永遠の都』と同志愛  

1971.3.25 「随筆 人間革命」「私の履歴書」「つれずれ随想」(池田大作全集…

前後
1  それは、昭和二十六年(一九五一年)の新春のことであった。
 出勤の早い戸田城聖は「おはよう」と言って、オーバーをぬいだ。そのとき、一冊の赤表紙の小型の本を持ち「伸一はいるか、伸一はいるか」と、あたりを見回しながら自分の部屋に入ったのである。
 当時は、まだ戸田城聖は会長になっていない。事業も、学会も最悪の事態であり、まさしく暴風に翻弄された難破船のごとくであった。加えて、身体も極度に弱り始めていた。いつ自分が倒れるかもしれない。彼は、事業も学会も暗澹たるなかで苦悩し──自身の意思を、後世に伝えたいと決意していたにちがいない。
 「この本を君にあげるよ、読み給え」
 戸田の態度は、いつになく深く静かであった。
 「早速、読ませていただきます」
 伸一は、青年らしい歯切れのよい口調で、礼儀正しく言った。すると戸田は、
 「君がよかったら、君の仲の良い同志十数名だけに、順番に読ませてあげたらどうだろう」
 伸一は、ちょっと考えて、戸田に答えた。
 「表紙の裏に名前を書いて、一人二日ないし三日で読むよう伝達いたします」
2  この本が、ホール・ケインの著『永遠の都』(戸川秋骨訳、改造社)である。
 ……青年革命児ディヴィド・ロッシと一女性のロマンを背景として、理想社会への壮大な革命運動が描かれている。
 熱血の主人公ロッシは、人間共和という結社をつくった。そして、時の政治権力と教会権力の両者に挑戦したのである。彼の前途には、幾多の弾圧と、迫害と、困難が待ちうけていた。日々が、嵐のなかでの闘争であり、前進であった。
 だが、正義感に燃え、信念に生きるロッシは勇敢に戦った。青年らしく敢然として前に進み、戦った。彼には、彼を支える金剛の友情の連帯があったのである。その友の名はブルーノ・ロッコ。生涯にわたり苦楽をともにしてきた仲間であり、無二の親友であった。いわゆる深き同志である。
 ブルーノは、首相ボネリ男爵の陰険きわまりない策謀により、裏切りを強要されるのであった。彼は悩み抜いた。しかし、彼は革命に生きる真実の闘士であった。最後の土壇場で、みずからの手で、みずからに毒薬を盛り、「ディヴィド・ロッシ万歳!」と叫び、波瀾の人生を散らしたのであった。友を信じ、革命の未来を信じて自殺の道を選んだブルーノ……そのキラキラと輝く固い友情の絆は、友の生命を救い、革命運動に一層のエネルギーを点火させずにはおかなかった。
 まさに「自分に打ち勝った勝利の声」である。
 犠牲的な、この友の支援と、立ち上がった民衆の支援で、ロッシはついに暴虐の圧政、ボネリ政権を倒したのである。共和制の樹立が、ここに誕生。ユートピア「永遠の都」へ一歩近づいたのである。しかしながら、彼はその門の入口で立ち止まった。やむをえぬ事情があったにせよ、暴力否定の彼が、ボネリ首相を殺害してしまった罪を恥じて、新社会運営の資格は自分にはないと──いずこともなく去っていくのであった。
3  ちなみに、著者のホール・ケインは、英国人であり、チェシャー州のランコーンの生まれである。家は貧しい鍛冶屋であった。正規の教育は小学校だけであり、それも中途退学であったという。以降、独学一筋に──キリスト教的社会主義を提唱し、やがてマン島の下院議員を務めたとある。
 今日より、本部の勤行会。昼、婦人たちが、夜、壮年の人たちが集まる。皆、喜々として勤行し、喜々として仏の子らしく、誇りに燃えて散っていったことと信ずる。
 学会こそ、あらゆる先哲が求めてやまぬ人間共和の世界である。
 本部の前の一本の桜が、やがてこれらの人びとのように、雄々しく咲き薫るであろう。

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