Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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民族興隆の陰に歌  

1971.3.7 「随筆 人間革命」「私の履歴書」「つれずれ随想」(池田大作全集第…

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2  先生は、民族の興隆にはかならず歌があったとして、よく歌を歌わせた。学会には、さまざまな歌があり、それぞれ歌いたい歌を、自由奔放に歌ってきたのである。学会は信仰の純粋性と、広宣流布の行動については真剣であり、激しさもあったが、あとはいたって自由である。
 戦後の再建期には、作詞、作曲家もおらず、また、戦前派、戦中派が多かった理由もあろう、軍歌調のものも歌われたりした。別に他意があったわけでない。時代の変遷とともに、歌も大きく変わってきた。作詞家、作曲家が増えてきたからでもあろう。
 あるとき、ある人に、組織について語った。日蓮正宗も江戸時代、一時、少し布教が進んだときがある。戦前の創価学会も、敢闘に次ぐ敢闘で、かなりの勢力が築けた。しかし、それはもろくも潰え去った。その原因は種々あろうが、先生は、所詮、組織がないことに由来する、と喝破された。
 いまにして思えば、組織は常識であり、驚くことはない。しかし、終戦前後にこの一点の角度を鋭く凝視したことは、偉大な卓見であるといわなければならない。しかも先生は、それを見事に構築し実践したのである。「戸田の生命より大切な、広宣流布の組織」と、よく言われていた。
 第一回の参院選のときである。三人当選し、三人が落選した。そのことをとおし、先生は即座に側近に語った。「勝ったときに負ける原因をつくる。負けたときに勝つ原因をつくることができる」。妙法があれば、かならずこれが防げるし、転ずることができるとも付け加えられたのである。
 長い、長い法戦にあたって、弟子たちはこの原理を幾たびも実感した。広布の戦いは、長い遠征の旅だ。だが、この妙法の原理を知る、われらの前途は、広野のごとく開けているのである。
 ある日、仙台の青葉城に登った。先生は「学会は人材の城を築くのだ」と叫ぶ。それが今日の指標となり、礎となって、栄光の学会が完成したのである。未来も、この指標を断じて忘れてはならない。忘れぬかぎり、人材は陸続と出で、広布の展開はいよいよ絢爛となっていくことであろう。
 三月六日は「’71信越文化祭」であった。吹雪のため飛行機が欠航。信越の友の顔が胸を衝く。全魂をふるっての演技と聞く。来賓の方々も強く、強く感銘したとの報告ばかりであった。心躍る。よくやってくださった。五月か六月にお目にかかりたいと願っている。

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