Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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通説排し真相を究明  

1971.2.23 「随筆 人間革命」「私の履歴書」「つれずれ随想」(池田大作全集…

前後
2  たしかに先生は、巣鴨の東京拘置所で囹圄の身となり、そこに二年近くおられたことは、書簡その他で明らかだ。
 ところが出獄の四日前、急に巣鴨の未決監から、中野の豊多摩刑務所(後の中野刑務所)へ移されていたのである。つまり、先生は巣鴨から中野へ移され、三日にして、保釈出所の晴れの身となったのである。
 すると、現在の中野刑務所はいつまで、豊多摩刑務所の名称を使用していたのであろうか。私には疑問が広がった。事実、豊多摩刑務所は埼玉の浦和にも存在していた。調べてみると、数日の後、こういうことが判明した。――終戦直後までは、たしかに中野は豊多摩刑務所であった。戦時中、思想犯の増大でここには収容しきれなくなったのであろう、浦和に豊多摩刑務所分所というものが増設されている。そして戦後、浦和の分所はそのまま豊多摩刑務所の名を継いだが、いまは廃止になった(昭和三十二年に浦和刑務所と名称変更後、四十四年に廃庁)。
 一方、中野の豊多摩刑務所きの方は、連合軍に接収後、返還され、三十二年に中野刑務所と改称されている(五十八年に廃庁)。
 激動期の混乱があるとはいえ、現在、残されている歴史というものも、このように通説の錯誤により、誤って真相として伝えられている部分が相当あるものと、覚悟しなくてはならないだろう。
 ここに通説の恐ろしさを、私は沁々と知ったのである。
 今朝から雨。春が駆け足でやってくる。春が近づくと、いつしか少年のころを思い出す。「春が来た」「春よ来い」「春の小川」の歌が、恋しく浮かんでくる。燕も、雲雀も、鵙も、頬白も懐かしい。桃の花も、杏の花も、胡桃の花も、菜の花もそうだ。
 春風に吹かれ、わが友の幸せが、咲き薫ることを、ただ祈る日々である。

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