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日蓮大聖人・池田大作

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発展示す四国文化祭  

1971.2.8 「随筆 人間革命」「私の履歴書」「つれずれ随想」(池田大作全集第…

前後
1  『人間革命』第七巻の原稿も、少しずつ用意ができる。いよいよ戸田城聖が、学会の高揚期に向かって、雄渾の指揮を執り始めた。伸一青年も、凛々しく第一線に進もうとしている。多くの幹部も、広宣流布の出陣に、意気漲っている。皆、生き生きとしている。逞しい、誇りある使命感に燃えている。胸が躍る。私は書きながら思った。“生涯求道”を座右の銘としたころの、再確認を厳しくせねばと……。
 昭和三十年(一九五五年)一月二十二日。戸田城聖は、初めての四国指導のため高知に飛んでいる。これが、四国広布の先駆の日。戸田城聖の征くところ、陰にはかならず伸一青年がいた。
 その朝、大阪の伊丹空港より八時四十五分発の飛行機に乗る。一面、野原のような高知飛行場に着陸したのは、午前九時五十五分。総勢七名。戦時中、海軍の飛行基地であったようだ。とくに、当時の常在寺住職、細井師(後の日達上人)が一緒であった。僧俗一致の尊い姿と拝する。
 午後一時三十分より、土佐女子高校において高知地区総会。集まる数、数百名であった。先生は四国での第一声で、ルソーの民約論を思想とした、板垣退助、中江兆民の政治革命の実態を述べ、新しい時代の平和革命は、日蓮大聖人の仏法に基づく思想と実践による以外に、その方途は最早ないと強調。約三十分ほどの講演であったと思う。
 伸一青年も渉外部長として、高知の広宣流布は、仲良く皆さんの手で実現してほしいと話す。S園にて休息。夜七時より四国全土の僧侶と、学会の幹部と懇談。当時の四国の学会員は、約八百世帯。現在は、十数万世帯。戸田城聖一行は、その夜、十一時三十分発の夜行にて、高知駅を出発、大阪に向かう。関西の総会に出席するためである。師も多忙であり、弟子もつねに多忙であった。
2  わが四国は着実に発展した。盤石である。その証明の展開として、昨日の文化祭は、じつに見事であった。居並ぶ多くの来賓(知事をはじめ百数十名)も、惜しみなく拍手を送っていた。
 いよいよ社会と融合した平和運動、文化運動が定着してきた証左でもあろう。私も本当に感動した。ただただ、ご苦労さまと申し上げたい。
 ある著名なジャーナリストは、学会にはいかなる非難があっても、決して、やましいものがないから、あれだけの純粋美の躍動が思いきりできるのであろうと、語っていたと聞く。
 また、ある来賓は文化祭を見て、学会に対する偏見を恥ずかしく思ったという。真実を理解され嬉しい。
 いま、私は高松の四国文化会館の四階で、原稿を書いている。多くの男女青年が、疲れも、眠けも吹き払い、おそくまで一階、二階、三階で、文化祭の跡片付けをしているようだ。学会の尊い姿。四国の友よ、再びご苦労さまと、熱援を送ろう。四国は、未来の広布の堅塁に、さらに育っていくことと信ずる。
 東京では味わえない中華ソバのチャルメラが、私の部屋に聞こえてくる。静寂。ここに昔がある。夜は更けて、十二時近い。
  晴ればれと 四国の友の 黄金舞

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