Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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陰の支え“校閲マン”  

1971.1.31 「随筆 人間革命」「私の履歴書」「つれずれ随想」(池田大作全集…

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1  「聖教新聞」の、現在の編集長はM君。同志社大出身で、若き名編集長と、記者仲間で人気が高い。彼が語ったことを思い出す。
 それは、小説『人間革命』の連載にあたって、決して忘れられぬ、陰の存在は校閲マン。その中核がK君である、と。K君は昭和三十四年(一九五九年)に、一流紙S社より入社したという。実直にして、強信の学会育ち。以来、十二年──校閲学校の校長との愛称をもつ。この学校を通らなければ、一人前の編集記者にはなれない。幾人もの編集長も育て、送り出している。
 大正十四年生まれというから、当年四十五歳であろう。まさに、男の働き盛り。いまでは、いくぶん、頭も薄くなりかけたようだが、活字との戦いをしているときの、その気迫や技術は、年々冴えわたっているようだ。校閲一筋に生き抜いている、尊い、旺盛なる姿は、厳粛にさえ思われる。
 第一巻の連載から第六巻にいたるまで、彼が、眼光鋭く、一字一句の誤りをも見逃すまいと、頑張ってくれたと聞く。感謝にたえない。おそらく、この“随筆”も、K君の眼を通っているにちがいない。重ねて頭を垂れる。
 私の、小説『人間革命』には、読者の要望もあり、ルビ(ふりがな)を沢山つけるようにしている。新聞活字は、左右二・八ミリ、天地二・二ミリの大きさ。ルビの活字は、もっと小さい。この小さな、小さな活字と、彼は、一日中戦闘。右手に赤鉛筆。左手にルーペ(拡大鏡)。そして、ついに第六巻では、活字はもとより、一つの句読点、一つのルビも含めて、誤植なしという、金字塔を打ち立ててくれた。私の拙文のほうが、申し訳ない思いの昨今である。
 彼は、よく言う。「活字が笑っている」と。誤植の活字が、校閲マンの眼に映る様を、端的に表現した言葉であろう。彼ほどのベテランにもなれば、笑っている活字の発見も、さぞ早いにちがいない。
 いまだ稚拙な、『人間革命』の新聞連載の、陰のこうした涙ぐましい努力の結晶を聞くたびに、この支援者を、私は生涯、忘れることができない。
 校閲マンは、紙面を守る最後の砦。取材記者の華々しさは、この舞台にはまったくない。ただ、活字との対面。否、活字との戦い。それも、輪転機の轟音の響くなかである。目立たない仕事ではあるが、この校閲マンがいるからこそ、新聞も、連載も、他紙に堂々と伍する品格を、もつことができるわけである。
 いわば、最後の砦を守る、不撓不屈のナイトである。医師であり、科学者でもある。よく、本の奥書に、著者、発行者、発行所が認めてあるが、校閲者の名前も同列したらと、私は、ふと思ったりした。
2  一昨日は、中部の文化祭。名古屋城近くの愛知県体育館が開催場所であった。光と、音と、色彩の民衆文化に、地元のある新聞記者は“美の法律”なりと絶賛。とくに、創作劇“信長は行く”は圧巻。本当によかった。勝利、敗北の谷間を、つねに攀じ登る、中部の勇気と団結を見て、本当に嬉しかった。
  辛くとも 冬を忍びて 栄光道
  春は来ぬ 愛知の友の 人間舞

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