Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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ペンネームの由来  

1971.1.27 「随筆 人間革命」「私の履歴書」「つれずれ随想」(池田大作全集…

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1  妙悟空。これは、戸田先生のペンネーム。仏法東漸の、玄奘三蔵(『西遊記』)で有名な、孫悟空をもじったものともいえる。この中国の物語の主人公の、“孫”とは、小さいという意味。戸田先生が語ってくださったことによると、仏法に説く、“空”を孫ほど(小さく、わずか)に悟った、ということらしい。すると、妙悟空は、牢獄の中で仏法の真髄である、“妙”ともいうべき空観を、悟達した意義、といえまいか。
 妙悟空が、「聖教新聞」に連載を開始したのは、昭和二十六年(一九五一年)四月二十日である。月三回。やがて四回。その回数、百二十回。昭和二十九年八月までつづいた。単行本となったのは、昭和三十二年七月三日。約十万冊。当時のベストセラーである。
 強い近視眼での執筆は、困難な作業であったにちがいない。度の強い眼鏡を、はめたり、はずしたり。よく列車の中でも書いておられた。まことに書きづらそうであった。最初の原稿を、「出来たよ、これ見給え」と、見せていただいたのは、私である。光栄。
 ともあれ、妙悟空は、その孤高の師・牧口常三郎を、主軸として宣揚し、ご自身は、“巌さん”と呼んでいた。多分に小説風なところを見せている。しかし、急所は鋭く構成され、正確である。厳しき体験が横溢。
 よく先生は言われた。「小説を書くときは、かならず時代背景と思想とを忘れるな。この両者の欠けているものは、浅い書だ」と。
 法悟空。これは私のペンネーム。理由は簡単。仏法では、妙は仏界、法は九界。妙は本源、法は現象。妙は法性(悟り)、法は無明(迷い)。その原理からいえば、当然、妙は師、法は弟子となる。私の師は、戸田城聖である。ゆえに、弟子の私が、法悟空と命名。軽率であれば、お詫びするまで。ご存じのとおり、単純な私には、深い理由などはない。
 いま、法悟空は、妙悟空を書きつづけている。もっと叱られ、もっと教えを乞うべきであったと、胸を痛めながら、報恩のため頑張っている。あるときは“文は意を尽くさず”と、歎きながら。あるときは、不肖の弟子と、申し訳なく、泣きながら。あるときは、師に誓いながら──。惑い多き法悟空の心境である。
 法悟空は、今夜も、資料を少しずつ見ながら、思索に入った。
 妻がかけてくれた、宮城道雄の「さくら変奏曲」が、静かに室を流れている。
  妙と法 師弟の不二に 恐れなし
 いつぞやの日の一句である。

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