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日蓮大聖人・池田大作

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序にかえて  

「随筆 人間革命」「私の履歴書」「つれずれ随想」(池田大作全集第22巻)

前後
2  物語の結構上、みすみす書きもらさなければならなかった挿話を惜しみ、私はこれまで折にふれて「随筆 人間革命」として書きついでまいりました。それもいつか一書となすまでの枚数になり、乞われてこのたび、上梓する運びとなりました。それがこの書であります。
 この書をまとめたゲラ刷りを読んでも、語り尽くせぬ焦心は、年々いや増すばかりです。生得の日常となった友との激しい対話の日々の折々、私はいつもそこに、戸田城聖先生の魂魄が、いまもなお溌剌と鮮烈に息づいていることを、友と友との顔に人知れず認めずにはいられません。それを悟るにつけても、私の焦心のじれったさは、書き進めばすすむほど激しくなってまいります。
 『人間革命』も久しく休載しておりますが、じつは私の思索が休んでいるのではありません。語り尽くせぬ焦心と事の重大さのために、深い思索の緊張を強いられているからです。事の重大さというのは、物語はいよいよ戸田先生の晩年、最後の二年半のところにさしかかってきたことです。この期間、先生は、正面から社会との対決に初めて身を晒されました。そして心身の辛労のはてに、今日のわが学会の根源の軌道を、確然と敷設してくださったのであります。この軌道に、己の死を覚知した先生の最後の魂魄がこめられていることはいうまでもない。この先生の魂魄を間近に拝した者の一人として、私はこの追想におののきながら、思索はさらに思索を呼んで今日に及びました。
 しかし、私はいつまでも歳月の流れに身をまかせてはおられません。先生の魂魄もまた、いよいよ私の執筆を促しています。私は近々、勇気をふるって机に向かいます。勇気はいつの場合でも決意を生み、その決意の極まるところに、必死の祈りが生まれるはずです。この祈りこそ、戸田城聖先生の魂魄を文字に刻んで蘇らせる、唯一の活力であるにちがいありません。
 昭和五十二年四月二日  戸田城聖先生二十回忌の日に  池田 大作

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