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日蓮大聖人・池田大作

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序にかえて  

「随筆 人間革命」「私の履歴書」「つれずれ随想」(池田大作全集第22巻)

前後
1  去る三月二十三日の午後、本部の広宣会館で、第二代会長戸田城聖先生の、胸像除幕式が晴ればれと行われました。
 除幕の紅白の紐をひいたのは、日本とイギリスとフランスの、三人の若竹のような女子部員でした。会場には、日本の多くの幹部と、はるばる春季研修会のために来日していた、ヨーロッパ十数カ国の数百名の同志が参加していました。幕が払われたとたん、戸田先生の胸像の慈眼は、丸い眼鏡の奥から、私ども一同を見たのでありましょう。頬は心なしか微笑でゆるみ、──みんな、よくやったな……、と口許がほころび、破顔大笑する先生の声さえ、聞こえんばかりでありました。
 除幕の紐をひいた三人の若い女性たちは、当然のことではありますが、先生の生前のお姿も、謦咳も知りません。しかし、彼女たちに祖父があるように、妙法の師弟の道において、戸田先生は、まさしく彼女たちにとって、慈愛あふれる祖父であることはたしかです。先生逝いて十九年、彼女たちのように、先生の生前を知らない子や孫や曾孫が、この日本をはじめ、この地球上の世界の各地、八十数カ国にわたって涌出したところであります。先生の胸像は、それをじっと見守っていてくださる。私の今日このごろの感慨が、どのようなものであるかは、人びとの想像にまかせる他に、私には術もありません。
 胸像は、在りし日の先生のお顔を、初めて刻んだブロンズであります。私もここ十三年、崇高にして偉大な不世出の戸田城聖という全人格の魂魄を、なんとしても現代の多くの人びとに伝え残そうと心を砕き、一字一字をもって刻んでまいりました。それが拙著『人間革命』であり、いま第九巻まで辿り終わったところであります。原稿にして四千数百枚を超えましたが、ひとえに私の非才のゆえでありましょう、わが胸中になおありありと生きている先生の、すべてを語り尽くすことにおいて、まことにいたらぬわが禿筆を、歎くのみであります。
2  物語の結構上、みすみす書きもらさなければならなかった挿話を惜しみ、私はこれまで折にふれて「随筆 人間革命」として書きついでまいりました。それもいつか一書となすまでの枚数になり、乞われてこのたび、上梓する運びとなりました。それがこの書であります。
 この書をまとめたゲラ刷りを読んでも、語り尽くせぬ焦心は、年々いや増すばかりです。生得の日常となった友との激しい対話の日々の折々、私はいつもそこに、戸田城聖先生の魂魄が、いまもなお溌剌と鮮烈に息づいていることを、友と友との顔に人知れず認めずにはいられません。それを悟るにつけても、私の焦心のじれったさは、書き進めばすすむほど激しくなってまいります。
 『人間革命』も久しく休載しておりますが、じつは私の思索が休んでいるのではありません。語り尽くせぬ焦心と事の重大さのために、深い思索の緊張を強いられているからです。事の重大さというのは、物語はいよいよ戸田先生の晩年、最後の二年半のところにさしかかってきたことです。この期間、先生は、正面から社会との対決に初めて身を晒されました。そして心身の辛労のはてに、今日のわが学会の根源の軌道を、確然と敷設してくださったのであります。この軌道に、己の死を覚知した先生の最後の魂魄がこめられていることはいうまでもない。この先生の魂魄を間近に拝した者の一人として、私はこの追想におののきながら、思索はさらに思索を呼んで今日に及びました。
 しかし、私はいつまでも歳月の流れに身をまかせてはおられません。先生の魂魄もまた、いよいよ私の執筆を促しています。私は近々、勇気をふるって机に向かいます。勇気はいつの場合でも決意を生み、その決意の極まるところに、必死の祈りが生まれるはずです。この祈りこそ、戸田城聖先生の魂魄を文字に刻んで蘇らせる、唯一の活力であるにちがいありません。
 昭和五十二年四月二日  戸田城聖先生二十回忌の日に  池田 大作

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