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日蓮大聖人・池田大作

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美しき自然を永遠に、と オルショビー博…  

「私の人物観」(池田大作全集第21巻)

前後
2  フランクフルトの緑は、ひときわ色鮮やかであった。
 モスクワからの空の旅から見た、平和な西ドイツの天地に映える濃淡の色合いは、まことに爽やかに映った。フランクフルト国際空港から宿舎までのアウトバーンの道々に連なる五月の緑は、旅の疲れから蘇生させてくれるようであった。
 本年(一九八一年)の五月十六日、夕刻のことである。わずか数時間前に別れを告げてきたモスクワの萌え始めた緑も、北方特有の淡い装いで、人びとに散策の慰めを添えてくれていた。
 しかし、今のフランクフルトの森と林は、多少その深さが異なっているようである。いずこの林を見ても、手入れの行き届いた一本一本の木々の姿に、さすがに西ドイツの自然保護は進んでいると、旅人たちは気づかずにはいられないであろう。美事なものであった。有名なボン大学名誉教授のゲルハルト・オルショビー博士は、その緑の″守り人″の一人である。
 翌十七日の午後のことである。私は郊外のホテルの鮮やかなる緑に囲まれた庭園で、ドイツのメンバーら八百人との交歓の集いをもった。そこへ旧知の博士を招待したところ、喜んで駆けつけてくださったのである。折から、教育学とギリシャ哲学の権威者であり、ボン大学の教授であるJ・デルボラフ博士夫妻、ベルリン自由大学のN・A・カーン博士も来訪してくださった。私は、懐かしいこれらの方々と、芝生の上でテーブルを囲みながら、緑陰の懇談のひとときをもつことができた。
 談論おもむくままに、ソ連訪問の印象、平和への志向、生命について、環境問題等々、話題は深く広くつづいた。オルショビー博士も終始楽しそうに歓談され、ライフワークともいうべき環境保全問題にかける情熱の一端を力強く語っておられた。
 この再会の冒頭、博士は、私の手を固く握り「あなたとの出会いは三度目です。その三つとも決して忘れません」と述懐しておられた。その六年前の最初の出会い――人間と自然をめぐる博士との対談は、私の人生にとっても忘れ得ぬ思い出の一ページでもあった。
3  オルショビー博士と最初にお会いしたのは一九七五年三月末の昼下がり、東京の信濃町にある聖教新聞社の一室であった。ヨーロッパの人にしては小柄なほうに属するだろう。だが引き締まった身体を地味な背広に包み、笑みを浮かべながら博士は訪ねてきてくださった。
 さっそく応接室に招じ入れ、歓待の言葉を述べると、「この建物に入ったときから、わが家に帰ったような気持ちです」と親しそうに語っておられた。また、応接室の内部にゆっくりと目を配りながら「日本的な色彩とヨーロッパ風の調度品とを組み合わせた、なんともいえないコンビネーションに、心が和みます」ともほめてくださった。
 背筋をピンと伸ばした話しぶり、髭を蓄えた端正な顔と眼鏡の奥で生気を放つ眼差しの光が、その人柄をしのばせていた。
 話の端緒として私は、仏法の自然観ともいうべき「依正不二」論の重要性を申し上げた。依正不二とは、正報である主観世界と依報である客観世界とが一体不二であると説いたもので、正報が人間であるとすれば、依報とはそれを取り巻く環境にあたる。しかもそれは単に静態的に人間と自然との繋がりを説いたものではなく、人間の主体的で、ダイナミックな生命の発動をとおして、自然環境との調和を図っていく哲理である。人間と自然との「調和」ではなく「支配」を基調にしてきた近代的思考の流れを転換する作業が急務なのではないか――と。
 終始うなずきながら耳をかたむけておられた博士は、全面的な賛意を表し「自然環境の汚染といっても、自動的にそうなるのではなく、人間との関係においてなるのである。ゆえに、人間に関する洞察を無視しては、環境汚染の本質もわからなくなってしまう」と語っておられた。とくにこの問題が、先進国と開発途上国とを問わず全人類的課題であるとし、「だからこそあなたのおっしゃる″思考の流れ″を変えることが必要である」と力説された。
 ――博士はある論文で、ルソーやへルダー、ゲーテ等を挙げ、現代の環境問題を考察するための「深い精神史的背景」に言及している。それらの思想家はいずれも、キリスト教の正統とは異質の自然への視座をもっていた。
 たとえばニュートン流の自然観と鋭く対決したゲーテが「われわれの外界にないものは、同時にわれわれの心中にもない。それで外部の世界に、それぞれ色彩があるように、目にも色彩がある」と言っているように。
 こうした自然観への洞察があったればこそ、博士は、仏法の依正不二論に即座の共感を示されたのであろう。だからこそ私が「緑を、自然を大切にしようとする心のない政治は、その政治を行う政治家の心それ自体が砂漠である証拠である」と述べたのに対し、博士も深く同意されたにちがいない。
 学究のみの人ではない。ハノーバー工科大学で造園学博士号を取得して以来、一貫して″環境畑″を歩いているが、一九七二年以来、ドイツ自然・環境保全研究所長、また連邦政府への自然・環境保全十八人諮問委員会の一員として、実際の環境政策推進にあたっている。その間、毎年のように世界を駆け、国連の場で講演したこともある。古稀に手が届こうとする現在でも、その走力はいっこうに衰えをしらない。いわば、行動する学者といってよい。
 対談の席上、私が、環境汚染が世界的規模で広がりつつある現在、ぜひとも「地球環境国連」(仮称)ともいうべき機構をつくり、英知を結集していくべきではないか、と提唱したところ、博士は「絶対にそうしなければならない」と賛同してくださった。静かな口調をとおして、人類の生存を憂慮する良識の響きが、ひしひしと感じられた。
 また博士は、環境保全のための不可欠の条件として、(1)少年時代からの教育(2)良い法律を作る(3)国家による自然の管理(4)運動のイニシアチブをとって推進する人、の四点を挙げられた。なかでも、(4)を強調し、私ならびに創価学会の運動への期待を寄せられた。この点は、かつて対談したアンドレ・マルロー氏も同じように要望されていたことであり、私も、できるかぎりの尽力を約した。
4  オルショビー博士とはその後一度、一九七八年九月に、同じ聖教新聞社でお会いしている。したがって、フランクフルトでの対談は、つごう三度目となる。あいにく身辺忽忙をきわめ、じっくり腰をすえてお話しすることができなかったが、こんど機会があれば、牧口常三郎創価学会初代会長の『人生地理学』などを話題にしたいと思っている。その分野での牧口会長の先駆的業績は、国内では最近とみに声望を高めつつある。博士の見識とも、幾多の点で共鳴音を奏でるにちがいないと信じている。

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