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日蓮大聖人・池田大作

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率直に平和、文化の語らい チーホノフ・…  

「私の人物観」(池田大作全集第21巻)

前後
3  テーブルの上の資料に目をやりながら、チーホノフ首相は、日ソ問の経済問題、貿易問題にふれた。とくにアフガン以後の両国関係の悪化を懸念し、たとえば極東、シベリアの開発については、双方に有利な条件が整っており、前向きに共同で着手されるべきであるなどを強調されていた。
 また国際間の緊張緩和については、ブレジネフ書記長のソ連共産党第二十六回大会におけるソ連の対外政策、そこに示された平和綱領を力説しておられた。話し方は、慎重に言葉を選び、学者が講義に臨むかのような印象をうけた。
 ソ連では今、消費財部門の振興を軸とした内政、とくに国民生活の充実が大きな課題となっている。第二十六回党大会で、チーホノフ首相が強調していたのも、その点であった。
 実務派宰相として本領発揮のときも、いよいよこれからであろう。
 経歴的にみてもチーホノフ首相は、十六年の長きにわたって首相の座にあり、名実ともにクレムリンの顔であったコスイギン氏と、一貫して歩みをともにしてこられた。コスイギン首相就任の翌一九六五年に副首相、七六年には第一副首相となり、コスイギン氏が心臓病で倒れ入院中、首相代行を務め、実務経験は豊かである。コスイギン氏のもとでの十数年間の蓄積がどのような花を咲かせるか、期して待ちたいものである。
 幸い、生まれがウクライナのドニエプロペトロフスクであり、同郷のブレジネフ書記長とは三〇年代からの知り合いで、書記長との呼吸は申し分ないとみられる。会見の席で、私は書記長あての親書を首相に託した。
4  会見を終えて外に出ると、五月の新緑が柔らかい日差しのなかに、生命の躍動の春を主張していた。街ゆく人びとも、コートを家におき、一年で最も良い季節を満喫しているかのようであった。

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