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日蓮大聖人・池田大作

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率直に平和、文化の語らい チーホノフ・…  

「私の人物観」(池田大作全集第21巻)

前後
2  私は簡潔に三点にわたって提言した。一つは世界平和のための首脳会談についてである。全人類の願望は、戦争阻止である。その意味から、ブレジネフ書記長、チーホノフ首相に、モスクワを離れてスイスなど良き地を選んで、アメリカ大統領、中国首脳、日本の首脳と話し合いの道を徹底して開いてくれれば、どれほど全人類は安堵することか。そのために首脳会談を呼びかけ、戦争絶対反対の話し合いをつづけ、安心感を人類に与えていくべきである、と。
 チーホノフ首相は、話のほうに耳を寄せ、首をかしげながら、じっくり聴いていた。目はまことに穏やかであった。目に鋭い光があったコスイギン前首相とは対照的である。
 「ソ連の家庭で、第二次大戦のナチズムとの戦いで、父、夫、あるいは兄弟を失わなかった家庭は、おそらく一軒もありません。平和のありがたさを、ソ連国民は知っております」
 淡々とした語り口だったが、首相は、こう言って深くうなずいた。私も「死の商人をのぞいて、誰人も平和を望んでいます」と答えた。そして「首相も激務でお疲れでしょう。重要な仕事もおありでしょうから、簡潔に話します」と述べ、次に第二点の日ソ間の感情問題についてふれた。
 それは″条約″うんぬん以前に、日本人の魂をつかむための文化交流が必要だということであり、過去の大前提にとらわれず、あくまで進歩的に、両国民が納得できるようなトップ会談を重ねていくべきである、と申し述べたのである。
 七十六歳とチーホノフ首相は高齢であり、コスイギン前首相より一歳若いだけで、健康はどうかとみるむきもあったが、会談では血色がよく、痩身に真っすぐに背筋が伸び、なかなかお元気の様子だった。
 「文化交流は、一歩遅れているかもしれません」。首相は率直な所感を語り、平和のための文化交流を、今後、よく話し合いながら進めていくことで合意をみた。
 第三点は、西洋的な思考方法と東洋的な思考方法についてである。ソ連はどちらかというと前者で日本をみているように思う。しかし後者を見落としてはならないし、このことが日ソの友好親善関係にとって、キーポイントと受け止めていくべきである、と進言した。
 物腰が柔らかで、静かな紳士の首相は、満面に笑みを浮かべていた。
 そのとき、用意した誕生日の祝いの花龍が、やっと届いた。それを待っていた妻は、さっそく扉のほうに近寄り、花籠を受け取り、首相に渡した。首相は満面に笑みを浮かべて喜んでくれた。
 「それでは、お忙しいと思いますから、これで失礼いたします」と、お礼を申し上げ、辞去しようとした。
 すると首相は、「いけません。ちょっと待ってください。もう少しお話ししましょう」と私たちを引き止めた。
 同席のエリューチン高等中等専門教育相、クルグロワ対文連議長、モスクワ大学のログノフ総長、コワレンコ・ソ日協会副会長らも同じ仕草で私たちを引き止めた。そこで儀礼を込めた表敬訪問の予定が、一時間を超える懇談となってしまったしだいである。
3  テーブルの上の資料に目をやりながら、チーホノフ首相は、日ソ問の経済問題、貿易問題にふれた。とくにアフガン以後の両国関係の悪化を懸念し、たとえば極東、シベリアの開発については、双方に有利な条件が整っており、前向きに共同で着手されるべきであるなどを強調されていた。
 また国際間の緊張緩和については、ブレジネフ書記長のソ連共産党第二十六回大会におけるソ連の対外政策、そこに示された平和綱領を力説しておられた。話し方は、慎重に言葉を選び、学者が講義に臨むかのような印象をうけた。
 ソ連では今、消費財部門の振興を軸とした内政、とくに国民生活の充実が大きな課題となっている。第二十六回党大会で、チーホノフ首相が強調していたのも、その点であった。
 実務派宰相として本領発揮のときも、いよいよこれからであろう。
 経歴的にみてもチーホノフ首相は、十六年の長きにわたって首相の座にあり、名実ともにクレムリンの顔であったコスイギン氏と、一貫して歩みをともにしてこられた。コスイギン首相就任の翌一九六五年に副首相、七六年には第一副首相となり、コスイギン氏が心臓病で倒れ入院中、首相代行を務め、実務経験は豊かである。コスイギン氏のもとでの十数年間の蓄積がどのような花を咲かせるか、期して待ちたいものである。
 幸い、生まれがウクライナのドニエプロペトロフスクであり、同郷のブレジネフ書記長とは三〇年代からの知り合いで、書記長との呼吸は申し分ないとみられる。会見の席で、私は書記長あての親書を首相に託した。
4  会見を終えて外に出ると、五月の新緑が柔らかい日差しのなかに、生命の躍動の春を主張していた。街ゆく人びとも、コートを家におき、一年で最も良い季節を満喫しているかのようであった。

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