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日蓮大聖人・池田大作

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「私の人物観」(池田大作全集第21巻)

前後
2  翌一九七五年五月、箱柳の花芽の匂いに包まれる陽春のモスクワで、再び大臣にお目にかかれた。短時間ではあったが、ざっくばらんなあの大臣の口吻に接して、嬉しかった。また、広く明るい窓のほとりに長いテーブルを配置した、寄せ木の床の会議室も懐かしかった。
 このときの訪ソで、モスクワ大学と創価大学のあいだに正式に学術交流の協定が成ったし、私自身もモスクワ大学より名誉博士号を授与されるという二重の栄に浴した。そのことを大臣に心からお礼申し上げ、創大へぜひ一度、とお話しすると、「即答はできぬが、もし日本へ行ける機会があれば、ぜひ創大に伺わせていただきたい」との心強い答えを聞くことができた。
 約束を違えることなく、大臣が創価大学へとられたのは、三年後の一九七八年六月のことであった。「ソ連の大学教育」と題して講演をされ、その後、来学を記念する昼食会に姿を見せた大臣と、固く握手を交わした。
 その胸郭が広い好丈夫ぶりは三年前と少しも変わりはないのだが、ただ、時差の関係や滞日中の繁忙なスケジュールのせいもあろう、それになんといっても七十一歳という年齢でもあられた。モスクワでお目にかかったときに比べると、少し疲れをお見受けしたのはぜひもないことであった。
 いつまでも健康で、お元気でいていただきたい――大臣には心から、そうお願いした。
 ほどなくモスクワに帰着した大臣から書簡が寄せられてきた。その末尾に「私たちの対話がモスクワでつづけられるよう期待します」とあった。今回の訪ソで、その期待にお応えすることができ、私にとっても大きな喜びであった。
 創大のため、また私のために真摯に尽力してくださった、恩義深い方である。日ソ両国を問わず、教育が国家百年の計であるように、私たちの信義と友情もいついつまでも、と念願している昨今である。

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