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日蓮大聖人・池田大作

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芳烈なタゴール精神の香り クリシュナ・…  

「私の人物観」(池田大作全集第21巻)

前後
2  未知の人に邂逅して、互いに共通の問題意識を見いだすのは、心楽しいことである。それは同時に、互いの感情を大いに親密にしてくれることでもある。加えて、クリパラーニ氏の話の展開は、周囲にアカデミズムに富んだ雰囲気をつくりだしていく深みをもっている。
 話題をガンジーに移して、ガンジーの思想が独自の発想になるものかどうか、その淵源を私が尋ねると、
 「ガンジーは″私の言説と行動は、独自のものではない。そこに見える丘と同じように、皆が古くから語っていることなのだ″と言っております」と氏は答えられた。
 考えてみれば、釈尊も自分の発見した真理は、自分の真理にあらず、久遠から常住している真理を発見したにすぎないという意味のことを述べている。ここに共通しているものは、真理に対するきわめてインド的な謙虚きである、と私は思う。
 クリパラーニ氏は言葉を継いで「ガンジーの″独自性″は、古来から語られてきた″善い行為″というものを、未適用の分野に実践していったことです。″政治的自由″″非暴力″″世界的・宇宙的な愛″――これらガンジーの主張は、釈尊の時代から言われてきたことです。ただ、その適用の分野において独自であったということです」と言われた。これも私には味わい深い創見と思われた。
 ふとクリパラーニ氏は話題を変えて、私が一九七五年五月、モスクワ大学で「東西文化交流の新しい道」と題して行った講演にふれられた。東西両文明を結びつける″精神のシルクロード″を、との私の主張は、タゴール宿年の願望と軌を一にしているとのことであった。そして「インドと日本を近づけてアジアを団結させ、さらに西洋との″シルクロード″をつくるべく、尽力してほしい」との激励の言葉をいただいた。
 私も、微力ながら生涯をその方向に賭けて進んでいきたい、とお話しした。
 このほか、アショーカ大王の事跡や、日印問の文化交流の展望なども話題にして、約二時間の会見を終わった。「日本に恋々としているのです」と言う氏と、いつの日にかの再会を期してお別れしたのである。
 ご高齢ではあられでも、まだこれから伸びようとする今年竹のようなみずみずしい求学心をたくわえておられた。そして、芳烈なタゴール精神の香りを残していかれた氏を思うとき、その背後に広がるインド精神文化の奥行き深い土壌に、いまさらのように敬服してしまうのである。

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