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日蓮大聖人・池田大作

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二十一世紀への日ソ教育交流 ホフロフ・…  

「私の人物観」(池田大作全集第21巻)

前後
5  三たびの訪ソの本年(一九八一年)五月、私は多くのソ連の功労者が眠るノボデビチ墓地を訪れた。ホフロフ総長の墓地が、ここにあるからである。墓前に花束を飾り、物理学者であるエレーナ夫人とともに冥福の祈りを捧げた。
 それからただちにモスクワ大学構内にあるホフロフ宅にうかがった。そこで初めて、二人のご子息に会った。長男のアレクセイ君は、モスクワ大学物理学部の博士候補、次男のドミトリー君は同じ学部の大学院ということで、二人とも物理学者であった故総長と同じ道を歩む若き学究である。ご遺族と、私と、妻と、通訳の方と、紅茶を飲み、チョコレートを頂戴しながら、家族的な語らいをすることができた。
 最後に私は「長い冬が去り、必ず緑が萌え出る時がくるように、ご一家にも必ず、総長のご遺徳で、輝かしい幸せの時がくることは、間違いありません」と激励した。エレーナ夫人はじめご遺族は「どうか先生ご夫妻が私の親戚でありますように、また、これからの長い旅が平安でありますように祈っております」と別れを惜しんでくれた。
 別れぎわに、記念として、総長の遺稿集のほかに、一枚の写真をいただいた。「ホフロフ家より」とサインされたその写真は、山登り姿のホフロフ総長であった。「山を愛しておりましたので」と、エレーナ夫人は、写真にじっと視線を注いでおられた。
 残された二人の立派なご子息が、必ずやお父さまに代わって、日ソの教育、文化の交流に尽くすことは間違いない、と私は祈っている。

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