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日蓮大聖人・池田大作

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「青年は希望」と説く作家 巴金氏  

「私の人物観」(池田大作全集第21巻)

前後
2  ちょうどこの日、東京の女子中学生たちが来所していた。私は、若い人びとが、さまざまな人物に接することは、なにものにも代えがたい教育だとつねづね思っている。歓迎をお願いすると快く応じてくれ、彼女らの愛唱歌を歌って一行の来着を迎えてくれた。はつらつとした明るい歌声に静かに耳を傾けておられた巴金氏は、歌が終わると、ほおを紅潮させている少女たちに、こう語りかけられた。
 「本当にありがとう。青年は人類の希望です。中日両国の青年は、また両国の希望です」
 そして世々代々とつづく友好への願いを話され、日本を訪問し、友好の道を開いているのも、若い世代の青年たちのためである、と訴えておられた。
 「若者の成長を見ると、嬉しくてたまらないのです」
 と、氏は、目縁に笑みを浮かべていた。少しも飾るところもなく、ひたすら、若い人たちに語りかけずにはいられない、といった氏の心の弾みが伝わってくるようであった。
 「青年は人類の希望です」――。この言葉が氏の心のなかにどれほど深い重みをもっているかは、その前日、東京の朝日講堂で行われた氏の講演にも明らかである。氏は二十三歳で混乱と矛盾に満ちた祖国を脱出し、パりに行った。「世を救い、人を救い、自分を救う道を捜し求めて」苦悩に沈む日々がつづく。そんなとき、当時、広くサッコとバンゼッティの冤罪助命運動が繰り広げられていたが、そのバンゼッティの一文に心をひかれて、彼に手紙を出す。ようやくきた獄中からの返書にあったのが「青年は人類の希望だ」という一句だった。バンゼッティはやがて処刑されてしまうが、残されたこの言葉が氏の活路を開く希望の座右の銘となったようである。以来、氏は、矛盾に満ちた社会に対する憎しみと、そこに苦吟する人びとへの愛とを、一行また一行と、ぺンに託すことを自らに課した。こうして文学者・巴金は誕生したのであった。
3  「ご講演の内容の一つ一つが、私の心を電撃のように打ちました」。私は、率直な感想を交えながら、とくに感銘をうけた氏の言葉を申し上げた。「命のあるかぎり、ひたすらペンを執りつづける作家でありたい」と語られたこと、あるいは「私は、敵との戦いをこれまでやめたことはない。敵とは、あらゆる伝統的意識、進歩と発展を阻害するあらゆる不合理な制度であり、今後もこれらと戦いつづけるであろう」と言われたことなどがそれである。
 「『生活こそ師』であるとのお話も、万鈎の重みのある、現実体験からの結晶でしょう」とも所感をお話しした。
 「それは、私を勇気づけてくださる」と、氏はあくまで謙虚であった。
4  私は氏の代表作『家』を前夜、感銘、深く読んだ。それは、封建的な中国の古い″家″制度が生み出す悲劇と、それを脱け出して新しい道を歩もうと苦悶し、戦う若い人間像を描いたものである。「封建的な矛盾に対する思想的な挑戦ですね。永遠の指針をはらんだ、革命文学といえると思う」と私は感想を述べた。作品は、若き主人公が家を出て新天地へと勇んで旅立つ情景で結ばれている。その「永遠に前方に向って流れてゆき、一刻もとどまることのない、緑の水を眺めやった」(飯塚朗訳、岩波文庫)という最後の印象深い一節を私が読み上げると、「青年をあらわしているのです」と、氏はまた穏やかな笑顔をつくられた。私は、この作品の主人公が自ら「青年だ」「青年だ」と叫びながら旧弊と戦う励みとしている場面を思い起こした。そして自伝的な色彩も強いと思われる作品の主人公と、眼前の巴金氏とが、二重映しに見えてくるのであった。
5  「青年の心というものは、利害の打算などには永遠に拘束されないのだ」(前出)――私は、そんな『家』の一節も心に浮かべていた。
 氏の作品に込められた若い生命への共感は、並々ならぬものがある。封建制の前になすすべもなく順応していく小心翼々たる者、その犠牲となる弱者、あるいは、反抗する強い人間。いくつかのタイプに描き分けられている青年たちのいずれにも、決して温かい眼差しは忘れていない。その意味では、氏はあくまでもヒューマニストである。
 けれども、氏の歩んでこられた道程は、言葉のうえで簡単にヒューマニストと一括してしまうには、あまりにも過酷で、重苦しい時代経験に満ちている。とりわけ新中国成立後では、文化大革命の嵐のなかで「文壇のボス」「大毒草」と批判された。みせしめのために、街頭を引き回されたり、労働に従事させられたこともあり、執筆の自由は全く奪われてしまった。こうしたどん底の精神的な苦しみが、十年にわたってつづいたのである。しかし氏は、絶対にくじけなかった。「必ず書きつづけるのだ」という燃えるような信念が、氏を駆り立てたのである。
 「自分の感情をそのままあらわす、自分の信条を出す、というのが、作品を書くにあたっての信念です」
 氏は、創作態度をそう話してくださった。その言葉のままに″誠実な作家″とは氏がよく評されるところである。林林氏も「巴先生の作品は、飾らなくて、真摯な文です。ぺンの先に民衆の、また自分の涙もあります。怒りの感情もこもっている」と言葉を添えてくださった。
 お会いしたとき、氏はすでに七十六の高齢であられた。春風がかよう庭内の小径を、ともに散策したが、足の運びがやや不自由げで、気づかわれた。しかし、ひとたび対座して語りだすと、その眼差しの奥には、青年のような光が点じられる。
 「先生は、革命の思想家です」と私が言うと、「いや、私は″物書き″です」と氏は謙遜されていたが、その胸中に燃え上がるような、誠実さに裏打ちされた「理」への愛と「非」への憎しみとの炎は、多くの若者の胸中にも同じような炎を点じていったにちがいない。その意味では″革命の思想家″と評してよいと思う。文学は常に民衆の心と共鳴しながら、時代をひらきゆくものでなければならぬと考えているからだ。書かれたものが変革への起爆剤とならねばなるまい。青少年には永遠の指針となるような、確固たる信念と希望を与えるものでなければなるまい。それが本当の文学ではないだろうか。そのような思想性をもつ作品は少なくなった――私は、感ずるままをお話しした。
 「厳しい批評家ですね」氏はそう言いながら、楽しそうに耳を傾けてくださった。
 話ははずんで、夏目激石の作品や『源氏物語』にまでも意見を交わした。中国でも『源氏物語』の翻訳が進んでいることや、謝女史がこれをすでに英訳で読んだことなどもうかがった。
 心はずむ歓談はまたたくまに過ぎてしまった。記念に一筆お願いすると、巴金氏は、「痛快に懇談でき、あなたの励ましに感謝する。人民友好事業のために奮闘することは、人生の最も美しいことである」としたためてくださった。日本への再遊と再会を楽しみに約しつつ、春の香りに満ちた樹間の道に、氏の後ろ影を見送った。
 巴金氏は、今回の訪日で「富士の見える乗り物に乗れますか」と言われていたという。静岡への車中でその思いが果たされたと聞いて、私も嬉しかった。氏にとっては十七年ぶりの来日だったからである。
 その後、京都でされた講演に、「聖教新聞」紙上で接した。「ペンを握りしめるとき、私は胸が高鳴る。たくさん書きたい。しかし残された時間はわずかしかない。八十歳になるまでの数年を決して無駄にできないと。その胸中には、いよいよ赤々と、創作への情熱の火が燃えさかっているようである。
 未来をみつめて生きるなかでこそ、人間はどこまでも青年のように若々しく、自分を高めゆくことができる。巴金氏は、まさに青年である。そして、信念に忠実に、真理のために誠実に、生命を燃焼させていく――そういう氏の生き方に、人間の尊厳性があろうと思う。
 どうか、氏にはいつまでもお元気で熱情あふれる健筆をふるっていただきたい。なぜなら、永遠に「青年は人類の希望」であるから――。

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