Nichiren・Ikeda
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沈黙の世界にはばたく詩想 クリシュナ・…
「私の人物観」(池田大作全集第21巻)
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4 「詩には常に呼びかけるもの(メッセージ)がなくてはならない。また、永遠性がなければなりません」
博士は、内に燃えるような詩魂を秘めた眼差しで、稟とした調子で言われた。
「しかし、詩人が使う言葉は、単に一部分でしかない。あとは″沈黙(silence)″なのです。この途方もなく広大
な″沈黙″の深みから、ホメロス、ダンテ、カーリダーサのような人たちが、不朽の叙事詩をとりだし、自分を表現しようとしたのです」
「この尊い″沈黙″の大空間のなかに、古代から今にいたるまで、どんな詩人も見いださなかった思想、誰もうたわなかった詩や歌があるのです」
ここにいう″沈黙″とは宇宙そのものをさしているのだろう。無限への衝動、永遠なる世界への回帰、そしてそこに培われる想像の自由な翼が、博士の詩の根底をなしているようである。
現実の世界の向こうに広がる、無限の″沈黙″の空間――しかしながら、その沈黙する深淵の広さや重みを身をもって感得し、そこからどれだけの生命を汲み出せるかは、詩人その人の精神の境地にかかる問題であろう。
個としての自身の生命が、同時に、あらゆる自然現象を生かし存在させる生命の一部であり、宇宙にはそのような広大な生命が脈打っている。この宇宙生命にふれて、自分本来の在り方に目覚め、個であるとともに宇宙全体の生命として生きようと志向する。そういう生き方のなかに、どこまでも内面の深化を求めていくことが、詩人には求められよう。
「私たちは、わが一個の生命を小宇宙ととらえます」。私は博士の言われた″五大″について、いくらか所見を述べた。五大が妙法蓮華経の五文字にあてはめられ、それぞれに深い意味があること。人間の肉体的な働きにもあてはめられること。すなわち五大がそのまま我即宇宙の哲理をあらわしていること……。
私たちは大いに語り合った。博士が突然、英訳されていた私の詩を朗々と暗誦されて、驚かされた一幕もあった。
「人間としての境涯が、最大の詩の源泉であると思います」と私が言うと、「そのとおり。偉大な詩は、偉大な詩人からしか生まれません。今後、真に偉大な詩人が出るとすれば、それは東洋からでしょう」と博士は明言して、快活な笑顔を見せるのだった。そんな博士の魂から流露するような、透明にして純粋な雰囲気が、鮮烈に私の心には残っている。
5 インドは不思議な国である。そこを訪れる者は、路頭にあふれる貧しさや喧騒に胸がつまりそうになりながらも、なお心の奥深くに言い解きがたく忍び寄るものを感じとる。その大地それ自体に、悠遠な伝統思想と豊かな詩情がたたえられているといってよい。
スリニバス博士は、お会いしたときは六十七歳であった。いつまでもお元気で永劫の道を歩みゆく偉大なる詩人として、街かどに、大自然のなかに、そして遠い祖先の精神のなかに、インドの″心″を求め、うたいつづけていただきたい。汲めどもつきぬ詩の泉は、そこにあるだろうと思うからである。