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日蓮大聖人・池田大作

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″ヨーロッパ文化″への熱き思い デュプ…  

「私の人物観」(池田大作全集第21巻)

前後
3  一時間ほどの会見を終えて、ソーの宿舎に戻ると、日は暮れかけて、遠くの丘陵地帯に散在する家々が青い暮靄ぼあいに包まれていた。
 私は、パリでの日程のあと、モスクワ大学での講演を予定していた。東西の民族、体制、イデオロギーの壁を超えて、文化の全領域にわたる、民衆という底流からの交わり――西と東の人間同士の心をつなぐ「精神のシルクロード」の必要性を、私は訴えるつもりでいた。デュプロン総長との会談の一つの結論も、その点にあったようである。
 東西の文化交流を、そして″良心″のコミュニケーションを、と繰り返し語られる総長は、同時に「思想や民族性が違っても、なによりもそこに人間がいる」と心のなかで叫んでおられるようでもあった。あらゆるものを超え、人間性の根底において万人と万人を結びつけうるような何ものかを、総長も模索されていたのではなかろうか。春の日の名残の光をはらんで刻々と暮色を深めていく空を眺めながら、私は、講演の想を練った。
 デュプロン氏とは、本年(一九八一年)六月、パリで二度お会いした。その一回は、故トインビー博士との共著『生への選択』(邦名『二十一世紀への対話』)のフランス語版の出版を記念するレセプションのときである。
 二度目は、パリを発つ朝であった。そのとき、デュプロン氏は、ご自身がソルボンヌ校名誉総長になられたこと、今はイタリアのフィレンツェにあるヨーロッパ大学の教職についていること、そしてヨーロッパ大学の運営に対する構想を、真剣に語っておられた。また、私に、さまざまの意見を要請された。
 「「ヨーロッパ社会全体が危機に瀕しています」
 デュプロン氏が、そう話を切り出された。その″危機″打開のための教育センターの機能を、ヨーロッパ大学に託しているとのことである。「しかし」とデュプロン氏は嘆息をまじえて、運営が難しく、必ずしも十分な結果を得ていないと言われた。
 「ヨーロッパ各国は、歴史、文学、音楽のいずれをとっても別々の文化をもっていると考えている。ヨーロッパ大陸全体としての総合的文化はない。それをもたないといけない」と、デュプロン氏は″ヨーロッパ文化″の方向性を強調された。
 たしかに、近代ヨーロッパでは、各国ナショナリズムのうえにそれぞれの文化が築かれてきた。その意味では、デュプロン氏の指摘するように全体としての″ヨーロッパ文化″は存在しないといってよい。それは、外からみればヨーロッパという一軒の家はあっても、内からみれば独立したいくつかの部屋に仕切られているようなものである。その大きな弊害が″ヨーロッパの凋落″というような言葉であらわされる現象に出てきている。デュプロン氏が″危機″とみるのも、この点であろう。
 そして、やや皮肉ながらデュプロン氏の話によれば、ヨーロッパ大学の運営を難しくしている要因も、大学を構成するEC十か国の教育の在り方が各国各様であることからきているらしい。
 このままでは、ヨーロッパは、米、ソ、中、印のあいだで窒息して、世界の孤児になりかねないだろう――と、私は氏の″危機″意識には同意を述べた。また、現実的には、民族意識、国家意識はぬぐいがたいものがあり、ナショナリズムを否定することはできないにしても、各国それぞれに学び合いたいという、いわゆる″学際″的な動きは、いまや一つの時代の要請となっていることも事実である。それゆえに、統合的在視野を開いて互いの知識を吸収する場として、ヨーロッパ大学の先駆的な意義は決して小さくはあるまい――私は、デュプロン氏にそう所感を述べた。
 また、ヨーロッパ大学についてなにか具体的なアドバイスを、と求められたので、(1)ヨーロッパ大学の目的を内外に明確化すること(2)目的に対する理念の普遍化(3)ナショナリズムは否定することはできないにしても、ヨーロッパおよび世界の平和、文化のリーダーという誇りと教育の方向づけが、各国のリーダー養成につながるだろう(4)教授と研究生の断絶を埋めること、とくに互いに接する努力、その一環として世界の有能な学者との交流――など、感ずるままをお話しした。
 「伝統は根強いものです。新しいものの定着には、時間がかかります。一つの構想を深く具体化し、浸透させていくには三十年、五十年の展望をもってください」
 自身の来りし道を振り返りながら、私なりに励ましの言葉を送った。
 一時間半におよんだ、楽しい語らいが終わった。デュプロン氏に日本への来遊をお願いして、ご夫妻にお別れした。
 その日の午後、私はコンコルド機で、パリを発ち、ニューヨークに向かった。大西洋上を渡る機中、さまざまな思い出が胸に去来するなかに、すっかり年長の親しい友となってくださったデュプロン総長の面影があった。
 ――文化は、つくるものというよりは、生まれるものというほうが適切であろう。とあれば、ヨーロッパ統合文化の志向は、それ自体、困難な作業といわなければなるまい。しかし、いまだ道なき道も、新しい道をつくりゆこうとする者が、ひとたびは草むらのなかを強く踏みしめていかねばできないものである。時代を先取りしたデュプロン氏らの試みが評価されるときは、必ずくるにちがいない。
 教育の新しい実験に傾倒されるデュプロン氏に、私は、心のなかで声援を送った。

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